「その時歴史が動いた」とは
NHKで放送されていた日本の歴史情報/ドキュメンタリー番組。
NHK大阪放送局制作、NHKプラネット近畿総支社協力。
「歴史」の決定的瞬間となる“決断、決行”の時に、人は何を考え、どう動いたのか。
「歴史」の転換点となった“その時”を取り上げ、そのことが後の日本にどう関わっていったのかを解き明かしていく歴史教養番組。
歴史好きには必見の番組。
・ガイド役: 松平 定知(まつだいら さだとも)元NHKエグゼクティブアナウンサー
「その時歴史が動いた」放送期間
・2000年~2009年
・後継番組は「歴史秘話ヒストリア」
U-NEXTで見れる「その時歴史が動いた」作品(2020年4月18日現在)
No | タイトル | 長さ(分) | 配信状況 | 番 組 概 要 |
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1 | 運命の一瞬・東郷ターン~日本海海戦の真実~ | 42 | 日露戦争の勝敗を大きく左右したのは、日本海海戦での連合艦隊司令長官・東郷平八郎が敵前で150度ターンする決断だった。大国ロシアに勝利を収めた運命の一瞬。 | |
2 | 新選組参上!~池田屋事件に賭けた若者たち~ | 42 | 勤王の志士と新選組が激突した池田屋事件。新選組が志士たちのクーデター計画を阻止したことで、時代は幕末の動乱へと動き始める。しかし、勤王の志士20数名に対し、新選組隊士はわずか4名。事件の発生から終結までの17時間を克明に追い、幕末の若者たちの情熱が歴史を揺り動かした瞬間を描く。 | |
3 | 敵は本能寺にあり ~なぜ光秀は主君・信長を裏切ったのか~ | 42 | 天正10年、本能寺の変。事件の詳細に迫る史料が発見された。光秀軍の将兵・本城惣右衛門(そうえもん)が当日の様子を生々しく記したもので、光秀軍の武将たちは敵が信長と知らされずに襲撃に加わったことがわかる。史料や研究を手がかりに、謀反の道を選んだ光秀の心の内を探る。 | |
4 | 坂本龍馬 幕末の日本を動かす~薩長同盟成立の時~ | 42 | 慶応2年(1866)、坂本龍馬立ち会いの下で、薩長同盟が成立し、時代の流れが変わった。新生日本のために奔走した、幕末の風雲児・坂本龍馬の手腕を検証する。 | |
5 | 徳川家康・非情の天下取り ~大坂の陣・豊臣家滅亡の時~ | 42 | 徳川方20万、豊臣方10万という史上空前の闘いとなった冬夏二度の大坂の陣。関ヶ原の戦い以降、豊臣恩顧の大名たちは豊臣秀頼への忠誠心を捨てきれず、反徳川の動乱の火種となる可能性があった。徳川家康は秀頼を切腹に追い込む。戦国の世を終わらせ、徳川幕府による天下泰平の時代を築こうとする家康の執念を描く。 | |
6 | 奇兵隊決起せよ! 高杉晋作挙兵の時 | 42 | 幕末、奇兵隊を率いた長州藩士高杉晋作。当初、高杉が倒幕を訴え、長州藩保守派を打倒しようとしたとき、奇兵隊は決起を拒む。元治元年(1864)12月15日夜、高杉はたった一人で決起するが、徐々に賛同者は増え、奇兵隊も加わり大きな勢力となっていく。大胆な行動力で情勢を一変させた高杉晋作、決起のその時を描く。 | |
7 | ミッドウェー海戦の悲劇 ~日本空母部隊壊滅の時~ | 42 | ミッドウェー海戦。連戦連勝の日本海軍は主力空母4隻と艦載機を失い空母部隊は壊滅し、太平洋戦争で日米の形勢が逆転した。詳細な研究では、海軍中枢部の情報軽視や判断の迷いなどの「必然的な敗北」であることが指摘されている。作戦を練る際の「図上演習」の結果改ざんや魚雷を爆弾に交換する兵装転換のミスなど、CGによる再現映像や証言をもとに、敗北の真相に迫る。 | |
8 | 予ノ判断ハ外レタリ ~ソ連対日参戦の衝撃~ | 44 | 昭和20年8月9日、ソ連軍は圧倒的な戦力で満州へ侵攻。関東軍は敗走し、翌日、日本はポツダム宣言の受諾を決定。陸軍参謀本部の河辺虎四郎中将は「予ノ判断ハ外レタリ」と、その日の日記に記している。ソ連参戦の前兆はあったが、軍上層部は有効な手だてを打たなかった。資料や証言を元に、太平洋戦争終結へ至る国際情勢を交え、ソ連参戦の過程を検証する。 | |
9 | 関ヶ原合戦 家康 なぞの大突撃 ~ヨーロッパ製甲(かっ)ちゅうの威力~ | 42 | 慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原の合戦。この時、家康はヨーロッパ製の南蛮甲冑(かっちゅう)に身を包んでいた。半年前、漂着したオランダ船から入手した銃弾に強い最新の甲冑だった。家康は豊臣恩顧の武将たちにも甲冑を分け与える。勝敗を左右する一因となった南蛮甲冑に迫る。 | |
10 | 弟・義経を討て ~源 頼朝・武家政権確立への決断~ | 42 | 平安時代の末に、一人の若武者が天才的な戦術で平家を打ち倒した。その若武者の名は源義経。しかし、源頼朝は弟・義経を冷遇したため、兄弟は争うようになる。頼朝は関東に武家政権を樹立するが、平家を滅ぼして兄の政権樹立に貢献した弟・義経を、なぜ、討ったのか。非情な決断を下した「その時」を描く。 | |
11 | 伊能忠敬 56歳からの挑戦 ~日本地図誕生の時~ | 42 | 文政4年、「大日本沿海輿地全図」が江戸幕府に提出された。これは伊能忠敬が歩測で作った日本最初の地図だった。忠敬は上総国で商売をしていたが、50歳を過ぎると隠居して、天文学の勉強のために江戸に出る。幕府天文方・高橋至時に弟子入りし、ここで地図作りを始める。第二の人生にかけた忠敬の執念に迫る。 | |
12 | 桶狭間の戦い~織田信長、逆転への情報戦略~ | 43 | 桶狭間の合戦で織田信長は今川義元を討ち、戦国時代の状況を一転させた。今川軍二万五千に対し、織田軍はわずか四千。兵力も少なく地形も不利な条件で、信長はいかに勝利できたのか。今まで捨て身の奇襲攻撃で運良く勝ったとされていたが、信長は十分な勝算を持って決戦に臨んでいた。徹底した情報収集で決定的瞬間に機敏な作戦に出て勝利した信長の突撃の時を描く。 | |
13 | 「脱盟者」たちの忠臣蔵 ~忠義か人情か 人生の選択の時~ | 43 | 「忠臣蔵」で名高い赤穂浪士の吉良邸討ち入り。47人が忠義の士として称賛を浴びる一方、70人あまりの脱盟者がいた。なぜ、彼らは誓約を破り脱盟したのか。近年見つかった貴重な史料「江赤家秘録」をもとに、脱盟者たちの心情や複雑な事情を追う。そして、同盟崩壊の瀬戸際で討ち入りを決行した大石内蔵助の決断の時を描く。 | |
14 | 男たちよ、立て! 北条政子 演説の時 | 43 | 源頼朝の死後、鎌倉幕府を支え続けた妻・北条政子。承久3年(1221)、後鳥羽上皇は朝廷に実権を取り戻そうと鎌倉幕府討伐を宣言。政子は鎌倉武士たちを集めて演説を行い、朝廷に鎌倉幕府の優勢を示した。豪族の娘として生まれ、妻や母としての立場に揺れながらも、東国と武士たちを守ろうと決断した尼将軍の姿を描く。 | |
15 | 秀吉の妻・おね 関ヶ原を動かす ~西軍戦勝祈願の時~ | 43 | 慶長5年(1600)7月18日、秀吉をまつる京都・豊国社で、西軍が戦勝祈願式を行なった。この日、参詣に訪れるはずの秀吉の正妻・おねは姿を見せず、豊臣の名の下に戦を正統化し、おねを慕う大名たちを引き入れようとした西軍のもくろみは外れる。その行動が2か月後の関ヶ原の合戦に決定的な影響を与えた。 | |
16 | 秀吉・家康 たった一度の直接対決~天下取りの知恵くらべ~ | 43 | 織田信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は、尾張の小牧長久手で対決し、秀吉は家康に局地戦で完敗する。しかし、2年後に大坂城で会見した時、立場は逆転、秀吉は家康に臣下の礼をとらせた。負けたはずの秀吉がなぜ家康を臣下とし、天下人となったのか。新しく発掘された遺構や資料から、一度敗れた秀吉が巧みな外交戦略で家康を凌駕し、真の意味で天下統一を果たした瞬間を描く。 | |
17 | 春日局 徳川家康を動かす ~戦国女性、太平の世への願い~ | 42 | 二代将軍徳川秀忠の嫡男・家光(幼名・竹千代)を深い愛情で育てた乳母・春日局。しかし、秀忠と母のお江(ごう)は次男の忠長をかわいがる。周囲も忠長を将軍後継者と見て、家光と春日局は冷遇される。春日局は家康に、家光こそ三代将軍にすべきと直訴。春日局の遺品や手紙を紹介しながら、長期安定政権の礎となったその時を描く。 | |
18 | 戦艦大和沈没 ~大艦巨砲主義の悲劇~ | 42 | 平成12年、戦艦大和の設計原図の一部が発見され、極秘建造の大和の実像が明らかになった。全長263メートル、満載排水量7万2800トン、主砲は46センチ砲9門。日本海軍が威信をかけ建造したが、威力を発揮できず、昭和20年、九州沖で沈没。建造から沈没の瞬間まで、発見された資料を元にCGで大和の戦闘状況を再現、大艦巨砲主義に固執した悲劇を明らかにする。 | |
19 | 土方歳三 北の大地に散る ~戊辰戦争、最後の激戦~ | 42 | 元新選組副長・土方歳三は、旧幕府軍の最後の拠点・箱館(函館)で明治新政府軍と戦闘中、銃弾に倒れる。新選組の鬼の副長から部下に慕われる指揮官へ変ぼうした土方は、滅ぼされた幕府と戦死した盟友への思いから、新政府を拒絶する。再現ドラマとスタジオ討論を交え、土方が北の大地に散った最期の時を描く。 | |
20 | 伊達政宗、百万石への挑戦 | 43 | 東北随一の勢力を誇った戦国大名、伊達(だて)政宗。徳川家康から百万石の所領を与えるという約束を破られ、与えられたのは荒れ地の多い貧しい国だった。天下取りの夢や百万石の夢を打ち砕かれてもくじけず、東北に全国でも有数の米どころを築いた政宗の生き方を描く。 | |
21 | 三国志英雄伝 第1部 奇跡の風、長江に吹く ~孔明の知略・天下三分の計~ | 42 | 「三国志」に登場する英雄の中から、仁義の武将・劉備(りゅうび)と天才軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)の2人のサクセス・ストーリーと夢の終えんを2回で描く。初回は、2人の出会いである“三顧の礼”から、“赤壁の戦い”まで。これらの名場面は実際にはどうなっていたのか。現地調査と近年の研究を交えて検証する。 | |
22 | 三国志英雄伝 第2部 死せる孔明 中国を動かす ~千年の時をこえる教え~ | 42 | 「三国志」の英雄を紹介する第2回は、天才軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)が目指す理想の政治と“五丈原(ごじょうげん)の戦い”を描く。なぜ孔明は宿敵を倒せなかったのか? 近年、孔明の子孫が多く暮らす村「諸葛鎮」(しょかつちん)で発見された孔明のメッセージとは? “五丈原の戦い”を中心に、現代人が孔明から学ぶべき知恵に迫る。 | |
23 | キリシタン女性 関ヶ原合戦をゆるがす ~細川ガラシャの悲劇~ | 43 | 絶世の美女と言われ、謀反人・明智光秀の娘として苦難の人生を歩んだ細川ガラシャ。関ヶ原の合戦を2か月後に控えた慶長5年7月17日、彼女は西軍・石田三成の人質になることを拒んで自害する。近年、オーストリアで、ガラシャを主人公にした17世紀の音楽劇の楽譜付き台本が見つかった。ガラシャの生き方と悲劇を描く。 | |
24 | 羽柴秀吉 なぞの敵前退却 ~賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦・勝利の秘策~ | 43 | 織田信長の死後、新時代を築こうとした羽柴秀吉。織田家重臣で旧来の秩序を重んじた柴田勝家。両者は近江・賤ヶ岳で対決する。持久戦の最中、秀吉は突然の敵前退却という奇策に出るが、それは巧妙なワナだった。結果、秀吉が勝利する。秀吉が天下統一への第一歩を踏み出した「その時」を描く。 | |
25 | 戦国の茶人 秀吉と闘う ~千利休切腹の悲劇~ | 43 | 堺の商人で茶人・千利休が鑑定した茶道具は価値が高まり、諸大名が殺到。豊臣秀吉は貿易独占を狙って利休を弾圧し、利休は茶の湯の美学で対抗する。天正19年(1591)2月28日、秀吉の命で利休は切腹、商都・堺の命運も尽き、日本に芽生え始めた自由都市国家の芽も絶たれた。 | |
26 | 前田利家の妻・まつの決断 ~加賀百万石・息子への教え~ | 43 | 加賀百万石の礎を築いた前田利家と妻・まつ。利家の死後、徳川家康と石田三成のどちらにつくかを迫られる中で、まつは次の天下人を鋭く感じ取り家康の人質となる。その行動は前田家を救っただけでなく、前田家が家康に従ったことで天下太平への道筋をつけたとも言われる。まつが家康の人質となる決断を下した「その時」を描く。 | |
27 | この難を逃げ候こと 本懐にあらず ~改革者・大久保利通 暗殺の悲劇~ | 42 | 明治新政府の中心人物・大久保利通は西郷隆盛らとともに徳川幕府を倒し、体制を一新するため改革を進めた。しかし、大久保は朝鮮出兵を巡って対立した西郷らを失脚させたため、士族は反発を募らせて各地で反乱を起こす。大久保が新しい日本を作るために奔走し、暗殺されるまでを再現映像を交えて描く。 | |
28 | “役人の不正 許すまじ~大塩平八郎 決起の時~ | 43 | 大坂町奉行所の元与力が起こした大塩平八郎の乱。これを機に全国で一揆が続発、幕末へと突き進むことになる。決起前日、大塩は幕府老中にあてて、重職につく人物の不正を記した建議書を送った。決起は失敗し、建議書も届かなかったが、天保の改革を促す結果となる。大塩の手紙や幕府側の資料、建議書などを紹介、大塩の決起が江戸幕府を大きくゆるがした瞬間を描く。 | |
29 | 徳川家康 三方原の大ばくち ~敗れて学ぶ 覇者の哲学~ | 42 | 戦国時代、東海の小大名・徳川家康に強大な敵が迫った。無敵の騎馬軍団を操る甲斐の名将・武田信玄。元亀3年(1572)、家康は戦いで信玄に大敗する。家康はなぜ信玄に敗れ、そして敗北から何を学び、後の天下統一にどう生かしたのか。若き日の家康が味わった生涯最大の敗北とその敗北から学んだ家康の生き方を描く。 | |
30 | 鎧(よろい)をまとった母・淀殿の悲劇 ~裏切られた平和への願い~ | 42 | 豊臣秀吉の側室として権勢をふるった淀殿。政治に口を出し豊臣家を滅亡に導いた悪女というイメージだが、それは江戸時代に作られた虚像にすぎない。関ヶ原の合戦後、淀殿は寺社仏閣の復興など文化政策を手がけながら、豊臣と徳川の平和的共存を図ろうとした。しかし、家康の策略によって打ち砕かれる。淀殿の真の姿をとらえる。 | |
31 | 新選組 鳥羽伏見に散る ~旧幕府軍大敗北の真相~ | 43 | 幕末、鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍の先鋒として戦った新選組・土方歳三は、薩長に怒りを覚える一方、旧幕府軍内部の矛盾にも苦しんだ。意思決定のできない首脳部、相次ぐ味方の裏切り。慶応4年(1868)1月6日、ついに撤退となる。なぜ、兵力では勝る旧幕府軍が敗れたのか。土方歳三の目を通して、敗北のその時に迫る。 | |
32 | 肉を切らせて骨を断つ ~織田信長・捨て身の復讐(ふくしゅう)戦~ | 42 | 織田信長は、姉川の合戦で北近江の大名・浅井長政に逆転勝利する。信長が優勢に戦う長政の陣深くに攻め入った時に、大逆転劇の幕が切って落とされた。長政は信長の妹・市を妻としながら、なぜ義兄である信長を裏切ったのか。信長の形勢逆転にはどのような秘策があったのか。天下統一への足場を固めた姉川の合戦で、信長が形勢を逆転した一瞬に迫る。 | |
33 | ヒトラー情報 日本を揺るがす ~「真珠湾」へのもう一つの道~ | 42 | 日本海軍の真珠湾攻撃と同日、ドイツ軍のモスクワ攻略が失敗する。それは、日本にとって開戦時の前提が崩れることを意味した。日本がドイツの勝利を信じた理由に、ヒトラーの信頼が厚い駐独大使・大島浩からの情報があった。日本を太平洋戦争へ突入させる一因となった「ヒトラー情報」に迫る。> | |
34 | 緊迫の二十四時間 ~新資料が明かす二・二六事件の内幕~ | 43 | 昭和日本の運命を決定づけた二・二六事件。陸軍青年将校らが重臣たちを殺害し、軍主導の政権を作ろうとしたクーデター未遂事件だった。近年、近隣住民が当日の様子を撮影したフィルムや当時の首相秘書官の証言テープが公開された。首相不在の権力空白の中で、事件はどのように終息したのか。新資料を交えて事件の内幕を見つめ、日本の歴史を動かした緊迫の24時間を描く。 |
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