C.S.ルイスの生涯と経歴は?ナルニア国物語の原作者とキリスト教。聖書とのつながりとは
2005年に公開された映画『ナルニア国物語:第1章 ライオンと魔女』
話題になった映画なので、見に行った人も多いのではないでしょうか?
では、『ナルニア国物語』の原作の作者は誰かご存知ですか?
「え、ナルニア国物語って原作があったの?」「読んだことはあるけど、誰だったっけ?」と思ったそこのあなた!
ナルニア国物語の作者は、C.S.ルイスという人ですよ!
「初めて聞いた…。」「名前だけは知ってる!」と思った方は、ぜひともこの記事を読んで下さい。
この記事では、
- C.S.ルイスの生涯と経歴
- CSルイスの書籍。ナルニア、痛みの問題、悪魔の手紙、キリスト教の精髄
- ナルニア国物語とキリスト教。聖書とのつながりとは?
- まとめ CSルイスの世界を知るおすすめ作品
を紹介します。
これを読めば、C.S.ルイスの生い立ちや性格、作品、キリスト教との関係についてよく分かります。
『ナルニア国物語』だけでなく、他の作品も楽しめるようになります。
「C.S.ルイスのことは知ってる!」という方も、もちろん大歓迎です!
C.S.ルイス参考文献
- 世界の歴史まっぷ:
- C.S.ルイス年譜:http://www.misheila.sakura.ne.jp/lewis-note.html
- 『ナルニア国の父 C・S・ルイス』 著:マイケル・ホワイト 訳:中村 妙子 出版:岩波書店
CSルイスの生涯と経歴
C.S.ルイスは、本名を「クライブ・ステイブルス・ルイス」と言います。また、周りの人々からはクライブの愛称である「ジャック」で呼ばれていました。
この記事では、C.S.ルイスで統一します。
C.S.ルイスは、20世紀のイギリスに生きた人物です。
具体的には、
- 1898年11月29日、北アイルランドのベルファストで生まれる
- 1963年11月22日、イギリスのオックスフォードで亡くなる
64年の人生を生きました。
「アイルランドやイギリスの地名を言われても分からない…」という方は、地図を載せているので、照らし合わせながら読み進めて下さい、
(参考:世界の歴史まっぷ)
C.S.ルイスの父であるアルバート・ジェイムズ・ルイスは事務弁護士をしており、政治論を戦わせるのが好きな雄弁家でした。
また、母であるフローレンス・オーガスタ・ハミルトンは冷静で頭の良い女性であり、当時の女性としては珍しく大学で論理学と数学を修めていました。
2人とも読書家で、C.S.ルイスの家には両親の蔵書がたくさんありました。
C.S.ルイスは、ルイス家の次男として誕生しました。兄弟は3歳年上の兄が1人だけです。
兄の名前はウォレン・ハミルトン・ルイスといい、周りの人々からウォーニーと呼ばれていました。
C.S.ルイスとウォーニーは子どもの頃から仲が良く、お互いに一生の親友だと思っていました。
素敵な兄弟関係ですね!
2人は喧嘩してギスギスした時期があっても、何だかんだで最後まで、お互いに助け合う兄弟だったんです!
世の中には血が繋がっているのに憎み合う兄弟もいることを考えると、まさに理想的とも言える兄弟関係ではないでしょうか?
兄弟関係が最悪だと、正直周りの人も迷惑するので、周囲の人の精神衛生にも物凄く良いと思います。私の親戚にいる兄弟たちにも見習ってほしいです…。
すみません、話が逸れました。
C.S.ルイスと家族は、ベルファストのリトル・リーという一軒家に住んでいました。このリトル・リーは設計ミスが目立つ家で、あり得ない所に隙間と見分けがつかないくらい小さな部屋がたくさんありました。
しかしこの小さな部屋は、子どもだったC.S.ルイスとウォーニーの格好の遊び場になります。
いつの時代も、子どもは自分だけの秘密の場所で遊ぶのが好きです。この兄弟も、両親に見つからないような部屋にこっそりと私物を持ち込み、秘密基地にしてよく遊んでいました。
また、2人は両親の影響で幼い時から読書家で、マーク・トウィンやアーサー・コナン・ドイル、ビアトリス・ポターなどの作家が書いたファンタジーを好んで読んでいました。
まだ10歳になる前からファンタジーを好む読書家だったなんて、後のファンタジー作家C.S.ルイスの片鱗を見る思いがしませんか?
一家はいわゆる中流家庭で暮らしに困ることはなく、C.S.ルイスは幸せな子ども時代を送っていました。
しかし、C.S.ルイスが9歳の時に、突然の悲劇が一家を襲います。
1908年の春、母フローレンスが重い病にかかり、父方の祖父リチャードが脳卒中で突然この世を去りました。
父アルバートは祖父の死に落ち込みますが、追い討ちをかけるように、母フローレンスの病が癌であることが分かりました。しかも既に全身に転移しており、長くはないだろうと医者に告げられました。
1908年8月23日、母フローレンスは亡くなりました。
当時9歳だったC.S.ルイスはもちろん、寄宿学校に通っていた12歳のウォーニー(『ハリー・ポッター』に出てきたように、イギリスやアイルランドの子どもたちは、10歳になる年から寄宿学校に通います)は、母の死に寂しさと周囲の大人の支えを必要としていました。
しかし、こういう時に子どもたちを慰めなければいけない父アルバートが、すっかり意気消沈してしまったのです。
- 毎日浴びるようにお酒を飲み、現実逃避をする
- 少しのことでイライラし、怒鳴りつける
- 感情の起伏が激しくなり、啜り泣いたかと思うと、少ししたら何かを罵り出す
父親のこんな姿を1年近く間近で見たC.S.ルイスは、父アルバートへの信頼を一気になくします。しかもその時期、ウォーニーは寄宿学校に戻っていて、C.S.ルイスの気持ちを受け止めてくれるのは、近くに住んでいた母方の祖父母だけでした。
嫌いな父親と一緒の家に住まなければいけないC.S.ルイスは、小さな部屋に1人で閉じこもり、空想の世界で遊ぶようになりました。後に生まれる『ナルニア国物語』の元になる世界は、この時にC.S.ルイスの心の中に浮かんだのです。
世界中の子どもたちを魅了したファンタジーが、こんな境遇の子どもの気持ちから生まれたと考えると、切なすぎて何とも言えません…。
1908年、10歳になったC.S.ルイスは、兄と同じハートフォードシャーにあるウィニヤード寄宿学校に行くことになります。
しかし、その寄宿学校は最悪の教育環境でした。
- ケイプロン校長は精神病を発症しており、日常的に生徒を虐待していた
- 校長の虐待に対して訴訟を起こされたこともあり、学校の評判は最悪で、C.S.ルイスが入学した時には、生徒数が20人を切っていた
- 教師は校長を含めて3人しかおらず、数学以外の教科は教えてもらえない
- スポーツ施設や図書館もなかった
- シャワールームもなく、寄宿生は共同浴場で週に1回だけ、冷たい水で身体を洗うことしか出来なかった
「何かの映画に出てくる昔の孤児院ですか」と聞きたくなる光景です。とても教育施設とは思えません。
C.S.ルイスは寄宿学校の惨状を手紙に書き、別の学校に移りたいと、何度も父親に訴えます。無理ないです。
しかし、意気消沈して自分の感情すら制御できない父親には、C.S.ルイスの訴えは届きませんでした。
ってちょっと!お父さん、しっかりしてよ!
てか、お兄ちゃんはこんな環境でお父さんに訴えなかったの
と色々と突っ込みたくなりますが、ウィニヤード寄宿学校は、C.S.ルイスが入学して1年も経たないうちに突然閉校します。
まあ、こんな状況ですからね。まず校長の精神病を治療した方が良いとなったのでしょう。
C.S.ルイスはベルファストに戻ることができましたが、すぐに地元のキャンベル・カレッジ寄宿学校に転入しました。
1910年9月のことでした。
しかし、C.S.ルイスは同年の11月に、キャンベル・カレッジ寄宿学校を退学することになります。
というのも、彼は
- 元々身体が弱く、幼い頃から様々な病気に罹っていた
- ウィニヤード寄宿学校の劣悪な環境で、閉校の少し前に、アデノイドの手術を受けなければいけなかった
- キャンベル・カレッジ寄宿学校に転入して数週間後、再び病気になり、年内一杯は療養しなくてはいけなくなった
という状況だったのです。
虚弱体質でウィニヤード寄宿学校の環境を耐えたなんて、よく頑張ったと思います。むしろ、このくらいの影響で済んで良かった方です。
とにかくゆっくりと療養してすっかり元気になったC.S.ルイスは、1911年1月から新たな学校に行きます。
そこはモールヴァンにあるシャーバーグ予備校という学校で、ウォーニーが通うモールヴァン・カレッジのすぐ近くにある小規模な寄宿学校でした。
前の2つの学校と違って、C.S.ルイスはそこで楽しい日々を過ごします。
- 有能な教師陣が在籍しており、C.S.ルイスの学力面での遅れを短期間で取り戻す手助けをした
- ウォーニーと彼の友だちに付いて回って、コミックや三文小説、ミュージック・ホールなど、年相応な楽しみを覚えた
- 若い寮母のミス・カウィに懐き、彼女はC.S.ルイスが飢えていた母性を与えてくれた
- 勉学で優秀な成績を残し、将来は学問の分野で頭角を表すだろうと期待された
一方で、生活の急激な変化は、まだ過敏な年頃だったC.S.ルイスの心に混乱も起こしていました。それは、キリスト教への信仰の受け止め方の混乱として現れたのです。
日本人には馴染みが薄い宗教ですが、外国の人って宗教をとても大切にするんです。特にC.S.ルイスが生きた20世紀初頭は、まだ宗教が人々にはっきりとした影響を持っている時期でした。
キリスト教には、信仰する教義の内容によっていくつかの派閥があります。これを宗派といって、C.S.ルイスが生涯で主に触れた宗派は、簡単にまとめると
- カトリック…ローマ教皇をトップにする宗派。約2千年前から存在する。キリスト教の原形とも言える宗派。
- プロテスタント…1517年、カトリック教会の在り方に疑問を抱いたマルティン・ルターがキリスト教の改革を行って作った宗派。宗教上のトップは存在せず、基本的に教会や信徒、聖職者は横並びの関係。
- 英国国教会(聖公会)…公式にはプロテスタントの中の一派とされているが、カトリックとプロテスタントの合いの子のような宗派。政治的にローマ教皇の影響力がイギリスに及ぶことを嫌った16世紀の国王・ヘンリー8世が、イギリス国王をトップとして教会をまとめると宣言し、成立させた。儀式や教義はカトリックのままだが、ローマ教皇をトップとしないことが特徴。
の3つがあります。
ややこしいですね。現代日本人には分からない感覚ですが、外国の人は宗派の違いで戦争も起こした歴史があります。「それくらい自分が信じる宗教を大切にしてるんだ」くらいに思ってもらえれば大丈夫です。
さて、C.S.ルイスの家庭は代々プロテスタントを信仰していました。そのため、母・フローレンスが病気になった時、彼は「お母さんの病気を治して下さい。」と必死にお祈りをしました。
なんて健気なんでしょう!
しかし、母は亡くなり、その直後からC.S.ルイスのキリスト教への信仰心は揺らぎます。
- 母の葬式を見たC.S.ルイスは、祈りを聞き入れてくれなかった神の元に母が逝ったことの皮肉と、死を美化するための決まりきった儀式に滑稽さを感じた
- ウィニヤード寄宿学校のケイプロン校長は、月に2回生徒たちを英国聖公会の教会に連れて行き、信仰について学ぶことを強制した
- ケイプロン校長が怖かったC.S.ルイスは、恐怖を感じながら英国聖公会の信仰を受け入れた
- シャーバーグ予備校では、寮母のミス・カウィがおまじないや占いなど、C.S.ルイスが知らなかったオカルトを教えた
- また、神話を読むことにハマっていた彼は、「聖書に書かれていることも、数ある神話の中の1つに過ぎない」と考えるようになり、キリスト教への信仰心は薄れた
今までの出来事を考えると、信仰心がなくなっても仕方がない部分が多いですね。
信仰する宗教が大切な外国で、こんな考えを持つこと自体が危険人物と見なされる理由になるのですが、彼を責めるのも筋違いでしょう。
とにかく、C.S.ルイスは宗教を信仰心よりも斜に構えた学問としての視点から見ていました。
彼のこの傾向は、その後約30年ほど続きます。
1914年、16歳になったC.S.ルイスは、ウォーニーと同じモールヴァン・カレッジに進学します。
しかしモールヴァン・カレッジの環境はC.S.ルイスに合いませんでした。更に同じ年に、ウォーニーが喫煙している所を見つかって学校を退学処分になり、C.S.ルイスは孤独になってしまいます。
C.S.ルイスは学校の勉強の他に独学で文学を勉強し、エッセーや論文、劇などの執筆を始めました。
そんな生活を約1年送った後、父・アルバートは突然、C.S.ルイスを個人指導の教師であるウィリアム・カークパトリックの元に送りました。
ウィリアムはアルバートの恩師であり、ラーガン・カレッジという学校の元校長でした。ウォーニーは退学処分になった後、イギリスのサリー州に住むウィリアムの元に送られて個人指導を受け、サンドハースト陸軍士官学校に見事合格したのです。
それを見たアルバートは、オックスフォード大学の受験を考えていたC.S.ルイスも同じように指導してもらおうと考えました。
ちょうどその頃、世界は第一次世界大戦(1914年〜1918年)真っ只中でしたが、C.S.ルイスは大学受験のため、規則正しいカリキュラムに則って勉強に励みました。
そこでは、
- 中心的な科目はラテン語とギリシア語
- ウィリアムの専門である論理学
を学びます、
また、ウィリアムは
- ウォーニーよりもC.S.ルイスの方が知的な潜在能力は高い
- しかし、公的な学校のカリキュラムでは、彼の才能を引き出すことはできない
ことに気づき、C.S.ルイスに合った教育を施しました。
その結果、彼は1916年に実施されたオックスフォード大学の奨学生試験に合格したのです!
しかし、戦争の影は学問都市であるオックスフォードにも、容赦なく忍び寄ります。
- 平和な時には数千人の学生がいるが、C.S.ルイスが入学した時には、外国人学生を含めてもその一部の人数しかいなかった
- 1917年5月、C.S.ルイスも訓練生として、臨時兵舎に移らなければいけなくなった
- 彼はそこで同室になったエドワード・ムーア(愛称パディ)と親しくなる
- C.S.ルイスは歩兵隊の少尉に任命され、11月からフランスの戦地に行くことになった
C.S.ルイスも他の学生と同じように従軍しなければいけませんでした。
この時に友人のパディと出会ったことは、後のC.S.ルイスの人生に大きな影響を与えますが、この時の彼には知る由もありません。
C.S.ルイスは戦地に赴く前の夏に1ヶ月間の休暇を与えられ、二週間をパディの母と妹と共にパディの故郷であるブリストルで過ごし、残りの二週間をベルファストで父と共に過ごしました。
また、10月にも2日間の休暇を与えられ、C.S.ルイスは父に一目会おうとしますが、電報の行き違いで会うことはできませんでした。
彼はそのまま戦場に向かいます。
- その間、父・アルバートは息子に一目会えなかったことを後悔し、ますます酒浸りになる
- C.S.ルイスは前線に着いた後に父に送った手紙で、「隊長はすごく良い人だし、戦況は新聞が伝えているほど悪くない」という内容を努力して書いた
- しかし1918年1月に病気に罹って野戦病院に送られる
- この時、近くの戦場で大尉として参戦していたウォーニーは病院に駆けつけ、兄弟は久しぶりに再開した
- 病気が治ったC.S.ルイスは前線に戻されるが4月15日に負傷し、イギリスに送還された
- その直後に戦争は終結した
C.S.ルイスが第一次世界大戦で経験した出来事は、簡単にまとめるとこの通りです。
幸い怪我は後遺症が残る物ではありませんでしたが、ロンドンの病院に彼が入院している間、精神的に不安定な父・アルバートは一度も見舞いに来ませんでした。
このことは、せっかく縮まりかけた父子の関係を再度遠ざけてしまいます。
代わりにC.S.ルイスの元に頻繁に見舞いに来たのは、パディの母・ジェイニーでした。実はパディが戦闘中に行方不明になっており、終戦後も帰還しなかったことから、ジェイニーは亡くなった息子の親友を気にかけるようになったのです。
また、C.S.ルイスとパディは戦地に行く前に、「もしも2人のうち片方だけが生き残ったら、相手の親の面倒を見る」という約束を密かに交わしていました。そのため、C.S.ルイスはこれから30年近くジェイニーの面倒を見ています。
約束をちゃんと守るなんて真面目ですね〜。
ジェイニーはこの頃夫とは離婚協議中で、すでに何年も別居していました。また、夫は金持ちであるにも関わらず、12歳のパディの妹・モーリーンの養育費を払おうともしません。
そのためC.S.ルイスは、1919年1月に復学すると、オックスフォード郊外の借家にジェイニーとモーリーンの3人で暮らし始めます。
この時、C.S.ルイスは
- ジェイニーを「お母さん」と呼び、ジェイニーも彼のことを「坊や」と呼んだ
- 水を得た魚のように研究に励んだ
- イギリス政府からの戦傷補償金と奨学金、父からの仕送りで生活した
- 無神論者となり、地元の友だちで敬虔なキリスト教徒であるアーサーの説得を受けても、自分の意見を変えようとしなかった
という生活を送ります。
C.S.ルイス自身はこの生活に満足しますが、周りの人々から見たら思わずギョッとしてしまうことが満載です。
まず
- まだ夫と正式に離婚していないジェイニーと暮らすことの世間体
- 学生なのに一家を養う経済困難
がC.S.ルイスの将来に悪影響を与えるのではないかと心配した父と兄は、彼に今の生活を辞めるように必死で説得します。
しかし親友との約束を果たそうとするC.S.ルイスは首を縦には振らず、父と兄との仲が険悪になってしまいます。2人は問題の発端となったジェイニーを一生嫌っていました。
息子思い、弟思いが裏目に出たんですね。
とにかくC.S.ルイスは、ジェイニーとモーリーンとの生活を変えませんでした。
一方、学業面では哲学と古典文学で優秀な成績を修めます。
しかし研究職としての就職先がなく、父と交渉して大学にもう1年在籍し、英語英文学も修めます。
そして
- 1924年10月、26歳の時に、ユニヴァーシティ・カレッジで哲学の個人指導教官
- 1925年6月、27歳の時に、オックスフォード大学のモーダリン・カレッジの英語・英文学特別研究員
- 1946年、48歳の時に、セント・アンドルーズ大学の名誉博士
として就職することが出来ました。
オックスフォード大学でC.S.ルイスは
- 作家仲間で『指輪物語』『ホビット』の作者であるトールキンと出会う。
- 1927年、29歳の時に「アイスランド・サガの読者会」に参加。
- 1931年、33歳の時に文芸クラブ「インクリングス」に参加し、自分で会合を開くようになる。
- 1941年、43歳の時に「ソクラテス・クラブ」を創設し、会長に任命される。
など、文豪仲間との交流と議論のための場を持ち、作家としての感性を磨きます。
一方、私生活では
- 1929年9月、31歳の時に父・アルバートが癌で亡くなる。アルバートの死亡の直前、C.S.ルイスはアルバートとウォーニーと和解する。
- 1930年4月、子ども時代を過ごしたリトル・リーを売却し、そのお金でオックスフォード郊外に家を買って、ウォーニーと住むことを決める。
- 1930年7月、オックスフォード郊外のヘディングトンに「キルンズ荘」という一軒家を購入し、ジェイニーとモーリーン、ウォーニーと4人で暮らし始める。しかし、ジェイニーとウォーニーの馬が合わず、2人の仲裁に奔走するハメになる。
- 1931年、33歳の時に、トールキンの影響でキリスト教信仰を受け入れ、敬虔なプロテスタント教徒になる。しかしカトリック教徒だったトールキンはC.S.ルイスがプロテスタントを信仰したことで裏切られたと感じ、次第に2人の仲は疎遠になっていく。
などの変化が起こります。
また、この時期はC.S.ルイスの作品が次々と作られた期間でもあります。
この中で後のC.S.ルイスの作品に大きな影響を与えたのは、プロテスタントへの回心です。
C.S.ルイスの創作活動をまとめると、
- 1926年、28歳の時に、物語誌『ダイマー』を出版
- 1933年、35歳の時に、宗教書『天路退行』を出版
- 1936年、38歳の時に、学術書『愛のアレゴリー』を出版。学者としての地位を確立し、ホーソンデン賞を受賞。
- 1937年、ゴランツ賞を受賞
- 1938年、40歳の時に、SF三部作の第1巻『沈黙の惑星を離れて』を出版
- 1941年、43歳の時に、宗教書『痛みの問題』を出版。BBC宗教部門担当者から、キリスト教信仰についてのラジオ講演を依頼される。29回のラジオ講演を行う。
- 1942年、44歳の時に、宗教書『悪魔の手紙』を出版し、人気を博する。学術書『〈失楽園〉研究序論』を出版。
- 1943年、SF三部作の第2巻『ペレランドラ』を出版
- 1947年、SF三部作の第3巻『いまわしき砦の戦い』を出版
- 1950年、52歳の時に、「ナルニア国物語」シリーズ第1巻『ライオンと魔女』を出版
- 1951年、「ナルニア国物語」シリーズ第2巻『カスピアン王子のつのぶえ』を出版
- 1952年、「ナルニア国物語」シリーズ第3巻『朝びらき丸、東の海へ』を出版
- 1953年、「ナルニア国物語」シリーズ第4巻『銀のいす』を出版
- 1954年、「ナルニア国物語」シリーズ第5巻『馬と少年』を出版
- 1955年、「ナルニア国物語」シリーズ第6巻『魔術師のおい』、自叙伝『喜びのおとずれ』を出版
- 1956年、「ナルニア国物語」シリーズ第7巻『最後の戦い』を出版
- 1957年、カーネギー賞を受賞
多くの創作活動をします。
「書籍の出版や賞の受賞はともかく、なんでラジオ講演までしてるの⁉︎」とびっくりですよね。
作品の詳細について後ほど説明しますので、気になった方はぜひ読んでみてください。
さて、活発な創作活動を行なっていたC.S.ルイスのキルンズ荘での生活も、大きな変化を迎えます。
「ナルニア国物語」シリーズ第1巻『ライオンと魔女』を出版した1950年、ジョイ・デヴィッドマン・グレシャムというアメリカ人女性から、C.S.ルイスはファンレターを受け取ります。
C.S.ルイスは筆まめな性格で、ファンレターには出来るだけ返信を送っていました。そのため彼女とも何度か手紙でのやり取りをしています。
しかし、C.S.ルイスは熱心なファン(今でいう追っかけですね)の女性から勝手に婚姻届を役所に出された過去があり(怖っ!)、ジョイとのやり取りも慎重に行いました。
ジョイは一度離婚しており、ダグラスとデヴィッドという2人の息子を育てるシングルマザーでした。
文通を通じてジョイは何度もイギリスに渡り、C.S.ルイスと会って話もしたのです。欲しいものは取りに行く逞しい女性だったんですね。
一方、C.S.ルイスも頭の切れが良く、議論も活発に出来るジョイに惹かれます。
1951年、C.S.ルイスが53歳の時に、ウォーニーと折り合いが悪かったジェイニーが亡くなります。モーリーンは既に結婚して家を出ていました。
その後、C.S.ルイスはジョイをウォーニーに会わせてみたところ、活発な性格のジョイをウォーニーは気に入りました。そこでジョイは息子たちを連れてイギリスに渡り、C.S.ルイスの家の近くに住みます。
ところが、1956年、C.S.ルイスが58歳の時に、ジョイと息子たちの滞在許可が期間満了のため降りなかったのです。ジョイはギリギリまでC.S.ルイスに相談出来ませんでしたが、万策尽きて彼に相談します。話し合いの結果、2人は婚姻届を出して、ジョイと息子たちの滞在許可を出してもらいました。
外国人同士の恋人の場合、このような結婚の流れは良く聞きますね。C.S.ルイスもその1人でした。
しかも58歳で初婚です!
C.S.ルイスもウォーニーも結婚にはトンと興味がなく、「自分は一生結婚しないだろう。」と漠然と思っていたようなのです。だから亡くなった親友の母親と妹の面倒を最後まで見ることが出来たのですが、人生は何があるか分かりませんね!
なし崩しに結婚をした2人ですが、ジョイとの生活はC.S.ルイスにとって幸せな結婚生活でした。
- ジェイニーが亡くなってから女手がなかった家に、ジョイが来たことで明るさが出た
- まだ10代だったダグラスとデヴィッドを、C.S.ルイスはとても可愛がった
- ジョイとウォーニーとの仲は良く、C.S.ルイスが喧嘩の仲裁に入ることもなかった
しかし1957年、結婚してから1年も経たないうちに、ジョイが末期の癌に罹っていることが判明します。
気のせいでしょうか?C.S.ルイスの親しい人ってほとんど癌で亡くなっているような…。
C.S.ルイスはもちろん驚き悲しみますが、ジョイとの残りの時間を大切に過ごすことを決意します。
そして、
- 行っていなかった結婚式を正式に行う
- 2人で旅行に行く
などの思い出を作ります。
何て素敵な夫婦なんでしょう!結婚後の絆って、時間じゃなくて愛情なんですね。
焦って結婚して夫婦仲が悪くなるよりも、この2人の関係の方が断然良いです!
すみません、話が逸れました。
楽しい時間を一緒に過ごした2人ですが、1960年7月13日、C.S.ルイスが62歳の時に、ジョイは亡くなります。
その3年後の1963年11月22日、ジョイの後を追うように、C.S.ルイスも心臓発作で亡くなりました。
倒れたC.S.ルイスを発見したのはウォーニーで、彼は辛くてお葬式に出られませんでした。自分より先に弟が亡くなるなんて、上の兄弟としては辛すぎます。
C.S.ルイスの財産管理はジョイの息子のダグラス・グレシャムが行い、利益よりも義父の作品が世の中にきちんとした形で出るように管理をしました。ダグラスは納得したシナリオが出来るまで、何十年も「ナルニア国物語」の映画化に許可を出さなかったそうです。
C.S.ルイスの素晴らしい作品は、ダグラスの協力もあり、今でも世界中の子どもから大人まで魅了し続けています。
CSルイスの書籍。ナルニア、痛みの問題、悪魔の手紙、キリスト教の精髄
では、ここからはC.S.ルイスの作品について紹介します!
代表的な作品である
- 「ナルニア国物語」シリーズ
- 『痛みの問題』
- 『悪魔の手紙』
- 『キリスト教の精髄』
のあらすじと詳しい解説を紹介します。
ぜひご覧下さい!
「ナルニア国物語」シリーズ
第1巻『ライオンと魔女』では、第一次世界大戦のためロンドンから疎開したピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーのペペンシー兄弟が主人公です。4人は古い屋敷で遊ぶうちに、ひょんなことから衣装だんすを通り抜けた先にある異世界・ナルニア国に迷い込みます。そこで出会ったフォーンのタムナスやビーバー夫妻、ライオンのアスランと共に、冬に閉ざされたナルニア国を救うため、白い魔女に立ち向かいます。
シリーズは時系列がバラバラで、ナルニア国の歴史順だと、第6巻『魔術師のおい』、第1巻『ライオンと魔女』、第2巻『カスピアン王子のつのぶえ』、第3巻『朝びらき丸 東の海へ』、第4巻『銀のいす』、第5巻『馬と少年』、第7巻『さいごの戦い』に並べ替えることが出来ます。
第5巻『馬と少年』はナルニア国に住む登場人物のみで物語が進みますが、他の巻は私たちが住む世界から子どもたちがナルニア国に迷い込み、冒険をする物語です。そのため、「完全に異世界の登場人物のみで書かれているファンタジーが読みたい!」という方も、「異世界に迷い込む物語が良い!」という方も楽しめます。
シリーズ順に読んでも良し、時系列順に読んでも良しなど、自分なりに楽しめる読み方が出来る壮大な物語です。
『痛みの問題』
宗教書ですが、「苦しみに耐えなさい」という精神論ではなく、「痛みは人間の知性に問題を与える」ことを主張しています。
また、この作品では「神が善・悪であるなら、どうしてこの世界には痛みと悪が存在するなか」という問題にも取り組み、C.S.ルイスなりの答えを導こうとしています。
伝統的な聖書の天国と地獄についての考え方への反論、宗教をただ信仰として受け入れるのではなく、自分の頭で考えることの大切さを感じます。
個人的には、キリスト教徒でなくても精神論を唱えるブラック企業経営者にぜひ読んでほしいのですが…。キリスト教の知識が必要な内容である上に、ブラック企業経営者は自分のことをブラック企業経営者と思ってないので、おそらく読んでもらうことは無理ですね。
ブラック企業経営者でなくても、哲学書がお好きな方にお薦めの作品です!
『悪魔の手紙』
新米のワームウッドという小悪魔に、彼の伯父で大悪魔のスクルーテイプが人間を誘惑する方法を伝授している手紙の内容を集めた雑誌の連載小説。
この作品では「神が善・全能であるなら、どうしてこの世界には痛みと悪が存在するのか」という問題の答えが描かれています。とは言っても堅苦しい内容ではなく、親しみやすい文章で科学者や社会学者、政治家などのエリート層を痛烈に批判している面白い作品です。
キリスト教徒ではない一般読者もターゲットにしており、現在も15ヶ国語に翻訳され、200万部以上の売れ行きを叩き出す世界的ヒット作になっています。
宗教に関する本だからと嫌厭するのではなく、一種の面白い小説として読んでみてはいかがでしょうか?
『キリスト教の精髄』
BBCラジオに依頼されてC.S.ルイスが行った放送講話の内容が編集され、まとめられた作品。
キリスト教徒には様々な宗派があり、細かい所では教義の内容が全然違います。また、視聴者にはキリスト教徒でない人々も当然います。
C.S.ルイスはそのことを踏まえた上で、宗派によって変わることがない教義の核心についてのみ、分かりやすい言葉で説明しています。
「キリスト教って何?」「キリスト教に興味はあるけど、いっぱい本があって、どれから読んで良いか分からない…」という方に、入門書としてぴったりな本です。
ナルニア国物語とキリスト教。聖書とのつながりとは?
では、C.S.ルイスの作品の中で最も有名な「ナルニア国物語」とキリスト教との関係について紹介します。
「ナルニア国物語ってキリスト教と関係あったの⁉︎読んでて全然気づかなかった…」という方、気づかなくても無理ないですよ。
だってC.S.ルイスは、『悪魔の手紙』や『キリスト教の精髄』やBBCのラジオ放送で、キリスト教について分かりやすく、しかも面白おかしく説明できた人なんですよ!「ナルニア国物語」の中にこっそりとキリスト教の要素が入ってて、キリスト教について知らない人が読んでても楽しめる作品を作るのなんてお手の物でしょう!
ただし、ここでは「ナルニア国物語」の内容のネタバレも入っています。自己責任でご覧下さい。苦情は一切受け付けません。
「ナルニア国物語」には、
- 第1巻『ライオンと魔女』でアスランが白い魔女に殺され、再び生き返る
- 第1巻『ライオンと魔女』で、エドマンドは白い魔女に騙されて出されたプリンを食べ、一度は兄弟とアスランを裏切るが、許されて戻る
- アスランは第6巻『魔術師のおい』でナルニア国がある世界を作り、第7巻『さいごの戦い』で世界の崩壊と再生を導く
- 第6巻『魔術師のおい』で、アスランは世界創造の時にポリーという女の子とディゴリーという男の子を連れて来て、冒険に導く
- さらに、ポリーとディゴリーにその後の歴史でキーワードになるりんごの木の種を植えさせる
などのキリスト教的要素が満載です。
解説すると、
- アスランは白い魔女の罪を贖うために殺さ、生き返る。これはキリストが人類の罪を償うために、磔で処刑され、3日後に生き返ることになぞらえられている。
- エドマンドは金貨と引き換えにキリストを裏切った使徒・ユダに見立てられている。キリストは自分を裏切ったユダも処刑する人類のことも許しており、エドマンドもアスランの許しを得ている。
- アスランは創造主であり、世界が終わった後に最後の審判を行うキリスト教の神の役目。
- ポリーとディゴリーは、旧約聖書に描かれる最初の人類・アダムとイヴの役割を果たす。
- また、アダムとイヴは楽園にあった果実を勝手に食べた罪で追放され、その後の人類は苦しみに満ちる地上で生きなければならなくなった。ポリーとディゴリーが植えたりんごの木の種は、ナルニア国にも人の世と同じような試練の時代が待ち構えていることを暗示している。
という解釈が出来ます。
実際、C.S.ルイスも「ナルニア国物語」をキリスト教のオマージュを意識して書いていました。
他にも細かい点を挙げたらキリがないのですが、「ナルニア国物語」とキリスト教との関係について解説している本はたくさんあります。
「ナルニア国物語」を違った角度から再発見することが出来ますので、興味を持った方はぜひ調べてみて下さい!
まとめ CSルイスの世界を知るおすすめ作品
C.S.ルイスの性格と経歴、面白い作品について紹介しました。
最後にC.S.ルイスについて簡単にまとめますね!
- 9歳の時の母親との死別、寄宿学校での虐待、父親との関係に悩んで、キリスト教徒の家庭に育ちながら無神論者だった時期がある
- 第一次世界大戦に従軍し、怪我で退役した
- オックスフォード大学の卒業後、就職先がなくて1年間苦労した
- 『指輪物語』の作者であるトールキンと仲が良く、彼の影響でキリスト教に回心した
- キリスト教徒でない読者にも分かりやすい言葉で宗教解説をすることに長けており、宗教書や小説に留まらず、BBCでのラジオ講演放送も依頼された程だった
- 恋愛に興味がなかったが、ジョイと出会って58歳の時に初めて結婚した
- 兄のウォーニーとは一生の親友だった
子どもの時に辛い思いをした人は、子ども時代への懐古や自分と宗教との距離感に悩み、すばらしいクリエイターとして大成する傾向があります。
C.S.ルイスもその典型だったんですね。
そんな彼が描き出した素晴らしい世界観を楽しんでみませんか?
初めてC.S.ルイスの作品に触れるという方には、「ナルニア国物語」シリーズがぴったりです。
本で読むのも良いですし、「本を読むのが苦手」「長い小説を読む時間がない」という人は、映画から入ってみるのはいかがでしょう?
下に映画の予告動画を載せていますので、興味を持った方は、ぜひご覧下さい!
以上、「C.S.ルイスの生涯と経歴は?ナルニア国物語の原作者とキリスト教。聖書とのつながりとは」でした。
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