幕末、戊辰戦争で活躍した榎本武揚(えのもとたけあき)。
あなたは知っていますか?
2004年の大河「新選組‼ 」では、草彅剛さん、「新選組‼」の後日談として放映された「土方歳三最期の一日」では、片岡愛之助さんが演じていました。
今回は榎本武揚について
- 榎本武揚の生い立ちを経歴は?
- エピソードから見る榎本武揚の性格は?
- 逸話からわかる榎本武揚の人物像とは?
を紹介します。
こちらを読めば、榎本武揚の生い立ちや明治国家への功績、人となりがわかります。
榎本武揚を描いたドラマや小説ももっと面白く味わえます。
ぜひ最後まで読んでくださいね。
サトリンさん、詳しいお話ありがとうございます💕。今この回見終わり次に突入したところです。
(つよぽんの出番はホンの少しだけでした)
ラブリンに変わってしまうんですね。それにしても、段々切ないストーリー展開😭。
ホント泣けてきます…#新選組#香取慎吾#草彅剛 pic.twitter.com/8C5zEYcLxS— しゅーまい📎 (@sotto_kyutto) 2018年2月24日
榎本武揚の生い立ちと経歴
榎本武揚は、天保7年(1836年)江戸下谷(したや:現在の東京都台東区御徒町)で生まれました。幼名を釜次郎といいます。
父は榎本武規(たけのり)といい、若いころは伊能忠敬(いのうただたか)の弟子として、地図の作成に携わっています。
武規は、御徒目付(おかちめつけ)として、11代将軍徳川家斉の御付きとなって、将軍家の御用を勤め上げてきた人です。
科学者の才能を持ち育つ
父の影響を受けて、釜次郎も幕臣としての強い意識と科学者の才能を持った青年に育っていきます。
- 嘉永4年(1851年) 昌平坂学問所に入学
- 嘉永6年(1853年) 修了
釜次郎は、昌平坂学問所での成績は、最低の『丙(へい)』でした。
オランダへと留学
その後
- 安政元年(1854年) 函館奉行堀利煕の従者として函館へ行く
- 安政3年(1856年) 長崎海軍伝習所に入所
- 安政5年(1858年) 築地軍艦操練所の教授になる。釜次郎から武揚に改名
- 文久2年(1862年) オランダ留学
榎本武揚にとって、オランダ留学は大きな転機となります。
オランダでは、船舶運用術・砲術・蒸気機関学・化学・国際法などを学びました。
そして慶応2年(1866年)、幕府がオランダに発注していた軍艦『開陽丸』が竣工し、榎本ら留学生が開陽丸に乗り、帰国の途につきました。
- 慶応3年(1866年)3月 帰国
- 同年5月 開陽丸の艦長となる
- 慶応4年(1868年) 1月2日 兵庫沖で薩摩藩の軍艦と交戦、勝利する
- 同年1月12日 大坂から江戸へ引き揚げる
鳥羽伏見の戦いの負傷兵や新選組を乗せ江戸へ
鳥羽伏見の戦いの最中1月7日深夜、大坂城にいた将軍・徳川慶喜は、わずかの側近とともに大坂城を抜け出し、榎本不在の開陽丸に乗り、江戸へ逃げ帰っています。
榎本は、大坂城に残されていましたが、将軍が逃げたと分かると、城内に残っていた武器や備品、金18万両を運び出し、富士山丸に積み込みました。
そして、新選組や旧幕府軍の負傷兵を乗せ、江戸へ帰ります。
- 慶応4年1月23日 海軍副総裁に任命される
- 同年8月 開陽丸ほか8隻の軍艦などを率いて品川沖から北へ脱走
- 同年10月 蝦夷地(北海道)函館に上陸
- 同年12月 『蝦夷共和国』樹立。選挙で総裁に選ばれる
- 明治2年(1869年) 5月 新政府軍に降伏 投獄される
榎本武揚といえば、戊辰戦争で降伏したところまでは有名です。
明治に入ってからの榎本は、なぜかあまり知られていません。
明治以降の榎本武明の活躍
実は、榎本の明治以降の功績は大きなものだったのです。
- 明治8年(1875年) 樺太千島交換条約を締結
- 明治13年(1880年) 海軍卿に就任
- 同年8月 駐清匿名全権公使となり、北京へ赴任。天津条約締結に貢献
- 明治18年(1885年) 初代逓信大臣就任。
- 同年 電気学会を設立。初代会長となる
- 明治22年(1889年) 文部大臣就任
- 明治24年(1891年) 外務大臣就任
- 明治27年(1894年) 農商務大臣就任
その後、明治41年(1908年) 腎臓病を患い亡くなりました。
次々と要職につき、明治新国家の国づくりに大きな貢献をし、「最良の官僚」とも評されました。
榎本武揚の性格がわかる面白いエピソードとは?
最後まで新政府軍に抵抗していた榎本は、明治新政府の高官として仕える
投獄から3年後の明治5年(1872年)、函館戦争で新政府軍の参謀だった黒田清隆や福沢諭吉の助命嘆願のおかげで、榎本は釈放されます。
その後、黒田清隆の懇願を受け入れ、北海道開拓使に就任します。
最後まで新政府軍に抵抗していた榎本が、明治新政府の高官として仕えることになるのです。
榎本の心のうちはどんなものだったのでしょう。
蝦夷地を開拓した目的
榎本は、品川沖から北へ逃亡する時に『徳川家臣大挙告文』という手紙を勝海舟に託しました。
その中には
「不幸のどん底に落とされた徳川家臣のために、蝦夷島開拓について許可を願っていたが許されなかった。もうほかに打つ手はない、こうなれば戦うしかないのだ」
という趣旨の文が書かれています。
榎本は、徳川家臣として最後まで新政府に抵抗することが最大の目的ではなかったのです。
この先、新政府ができたときにおそらく職を失ってしまう武士たちの生活を成り立たせるために、蝦夷地を開拓するというもう一つの目的があったのです。
残念ながら、蝦夷共和国はひと時の夢で終わりましたが、榎本は、蝦夷地の開拓をあきらめたわけではありませんでした。
明治政府に仕えることには、抵抗はあったでしょうが、それ以上に蝦夷地開拓の望みをかなえたいという思いのほうが強かったのです。
榎本の行動は、自分自身の欲などではなくて、自分と同じ徳川に仕えてきた武士たちを救うという夢をかなえるためのものだったのです。
先に述べたように榎本の明治以降の実績は、本当に大きいものです。
でもその割に評価が低いのは、幕臣だった榎本が明治政府に仕えたことが悪く思われているからです。
「忠臣というものは、二君(二人の主君)に仕えるべきではない」という武士の精神に反していると福沢諭吉が評価したことも榎本に対する世間の批判を大きくさせました。
でも、榎本にはそんな批判よりも大切な目標があったのです。
世間の評判を気にせずに自分の信じたことをやり通せる榎本は、戊辰戦争で散っていった多くの武士と同じくらい信念をもって武士だったのです。
榎本武揚の人物像が分かる面白い逸話とは?
榎本武揚と土方歳三の関係性
戊辰戦争最後の戦、函館戦争の際、幹部クラスで戦死したのは陸軍奉行並の土方歳三だけでした。
榎本と土方は、新政府軍との戦いの中、仙台で初めて出会っています。
近藤勇を失っていた土方にとって榎本は、自分の神輿として担ぐにふさわしい人物だと考えました。
一方榎本も、噂で聞いていた「鬼の副長」とは、かけ離れた相貌の土方に驚くとともに、天性の勘の良さや肝の太さに、思いのほかのやさしさに魅かれるものがありました。
その土方歳三は、函館戦争最後の戦いで、孤立した元新選組の仲間たちを助けるためにわずかな人数で出撃し、壮絶な最期を遂げています。
一方で、榎本は命を長らえることになりました。
ドラマや小説では、この二人を対比させて描かれることがあります。
武士として華々しく散った土方とおめおめと生き恥をさらした榎本という構図は確かにドラマチックです。
でも榎本は、実は降伏する気はなかったのです。
土方歳三の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い
己の意地より日本の未来を考える
新政府軍の降伏勧告を拒否し、自分が大事にしていた『海津全書』という国際ルールについて書かれた本を、新政府軍の黒田清隆に託します。
これからの日本にとって絶対に必要な本だと考え、この戦で自分とともに灰になることを避けるために敵方に渡したのです。
その後榎本は,自室で自刃(自殺)しようとしますが、気づいた側近が体を呈して止めました。
土方がわずかな友と出撃したことを知った時も、後を追うように出撃しようとしました。
この時も周りの人たちに止められ、命の捨て場所がなくなってしまったのです。
明治政府に投獄されている間も、自分はいずれ処刑されると覚悟していました。
牢屋の中で、榎本は鶏や鴨を人工的にふ化させる装置や焼酎・石鹸・西洋ろうそくの製造方法などを図入りで解説した本を書き、家族に送っています。
これからの生活のため、家計の足しにするようにとアドバイスまでしています。
自分が死んだ後も家族が困らないようにと考えてのことだったのです。
榎本は生き残りたくて生き残ったわけではなかったのです。
でも「生き残った以上は、自分の持てる知識を役に立てたい」と考えて、最後まで抵抗していた明治政府に仕えたのです。
己の意地より日本の未来を考える、榎本武揚はそんな人物だったのです。
まとめ:榎本武揚の経歴と逸話から真の榎本像を見る
今回は榎本武揚を紹介しました。
簡単にまとめておきましょう。
- 榎本武揚は徳川家臣として最後まで新政府に抵抗した
- 榎本武揚は豊富な知識を持った人物
- 榎本武揚は自分の欲より日本の未来を考えた人
- 榎本武揚は「最良の官僚」と言われた人
- 榎本武揚は二君に仕えた立派な忠臣
榎本武揚の印象が少しは変わりましたか?
榎本武揚をもっと知りたいなら、こんな本やドラマがおすすめです。
- 年末時代劇スペシャル「五稜郭」
- 人生を二度生きるー小説榎本武揚 童門冬二
- 武揚伝 上・中・下 佐々木譲
年末恒例の時代劇では、里見浩太朗さんが榎本武揚を、渡哲也さんが土方歳三を演じています。函館戦争がメインになっていますが、榎本の信念や日本の未来を思う様子がうかがえ、里見浩太朗さんさすがの素晴らしい榎本です。
小説はどちらも榎本の明治以降の反省もしっかりと描かれてますので、とても読みごたえがあります。
以上「榎本武揚の生い立ちと功績・逸話からみる人物像」でした。
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