朝ドラ「エール」古山裕一(こやま・ゆういち)のモデルとなった古関裕而(こせき・ゆうじ)とはどんな人?

現在放送中のNHK朝ドラ「エール」

昭和を代表する作曲家の古関裕而(こせき・ゆうじ)さんの生涯です。

一体、古関裕而さんとはどのような人物なのでしょうか?

古山裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而さんは実在の作曲家で、甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」や、1964年の東京オリンピック入場行進局「オリンピック・マーチ」、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」などの作曲で知られる、昭和の日本音楽史を代表する作曲家です。

この物語は、古関裕而さんと、その奥様の古山音(二階堂ふみ)のモデル、声楽家でもあった古関金子(きんこ)さんのお話です。

曲名だけですと、分からないものもあるかもしれませんが、実際の曲を聞かれると、ああこの曲も古関裕而さんの作品なのかと思われるものが沢山あると思います。

古関裕而氏は、1909年福島市大町に生まれ、1930年9月に日本コロムビア(株)に作曲家として入社以来、全国の校歌や社歌なども含め生涯で5,000曲あまり作曲しました。

昭和の音楽界を舞台に、二人三脚で歩んでいった夫婦の、夫婦愛が描かれます。

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古関裕而さんの生い立ち

音楽に恵まれた環境の中で育つ                 

 福島県福島市大町にあった呉服店「喜多三(きたさん)」に長男として誕生しました。父親が音楽好きで、大正時代ではまだ珍しかった蓄音機を購入し、いつもレコードをかけていたそうです。古関氏は幼少の頃から音楽の中で育ち、ほとんど独学で作曲の道を志していくこととなります。

1916年(大正5年)、古関氏は7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学しました。担任の先生が音楽好きで、音楽の指導に力を入れていたこともあり、10歳の頃には楽譜が読めるようになりました。授業だけでは物足りなくなり、市販の妹尾楽譜などを買い求めるようになり、作曲に夢中になり、クラスメイトが詩を持って古関氏に作曲を依頼してくるようになりました。

妹尾楽譜(せのおがくふ)とは
大正期に妹尾幸次郎 (せのお こうじろう)によって出版された、一連の好きなものを好きな分だけ、例えば一曲分のみ、二曲分のみなど自由に入手ができる楽譜

作曲の才能が開花

 1922年(大正11年)、音楽家の多い旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学しました。家業を継ぐために商業学校に入りましたが、常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中だったと言われます。

妹尾楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等を買い集め、独学での作曲法の勉強を続けていました。ある時、校内弁論大会にハーモニカで音楽をつけることになり、古関氏が書き溜めていた曲を合奏用に編曲して大勢で演奏することになり、初めて自分の作品が披露された出来事となりました。また、在学中に家業の呉服店が倒産しました。

学校を卒業する頃、福島ハーモニカーソサエティーに入団し、作曲・編曲・指揮を担当しました。地元の音楽仲間が主宰していた「火の鳥の会」が近代音楽家のレコードコンサートを開いていたことで、ここで初めて近代フランス、ロシアの音楽に出会い、衝撃を受けました。このレコードコンサートには頻繁に通っていたようです。

卒業後、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務します。この頃、学生時代から憧れていた山田耕筰の事務所へ楽譜を郵送し、何度か手紙のやり取りを行っていました。古関氏は、当時発行される山田の楽譜はほとんど空で覚えていたということです。

福島ハーモニカーソサエティーとともに仙台中央放送局(現NHK仙台放送局)の記念番組に出演します。この頃、リムスキー=コルサコフの弟子で仙台に在住していた金須嘉之進に師事することになりました。金須氏は正教徒で、正教の聖歌を学ぶため革命前のペテルブルクの聖歌学校に留学し、そのときリムスキー=コルサコフから管弦楽法を学んでいました。

プロの作曲家の道へ

 1929年(昭和4年)、管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、これが入賞しました。これは日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞で、当時の新聞でも大々的に報道されたそうです。

『竹取物語』は、色彩的で斬新なオーケストレーションがなされており、また、打楽器のみで演奏される楽章なども含まれていたといわれます。

この入賞の報道を読んだ声楽家志望の愛知県豊橋市在住の内山金子(きんこ)さんが古関氏にファンレターを送りました。熱烈な文通を経て1930年、古関さん20歳、金子さん18歳でスピード結婚しました。古関氏は愛妻家で、晩年までおしどり夫婦であったと言われています。

金子さんとの結婚逸話
ふたりは1回も会わずに、文通で交流を深め、駆け落ち寸前の失踪事件を起こしたあと、ついに結婚に至ったそうです。当時としてはたいへん珍しいカップルだったようです。

この頃、古関さんは複数の交響曲やピアノ協奏曲、交響詩『ダイナミック・モーター』、弦楽四重奏曲など、膨大な作品群を完成させています。けれど、それらの楽譜は現在ほとんど行方不明になっており、『竹取物語』の所在も知れないとのことです。

同年9月、コロムビアの顧問山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家になり、夫婦で上京しました。東京では菅原明朗に師事しました。菅原は『竹取物語』のスコアを読んで驚き、後年まで称賛しています。

多才な作曲家の才能

しかし、古関さんは、実家が経済的に破綻してからは一族を養わなくてはならず、次第にクラシックの作曲から離れざるをえなくなりました。コロムビア入社も主に生活費のためであったと言われます。本人は作曲の勉強のための洋行を希望していましたが、叶いませんでした。
東京に移ってからのオーケストラ作品に、関東大震災を描いた交響詩『大地の反逆』があり、ストラヴィンスキー的な音楽であるといわれています。

1935年(昭和10年)、26歳の頃、新民謡調の「船頭可愛や」が大ヒットし、人気作曲家の仲間入りを果たします。
この頃、声楽家志望だった妻の金子さんは帝国音楽学校へすすんでいました。

戦時中の音楽と戦後の音楽

戦時中は戦時歌謡でも数々の名作を残しています。古関メロディーのベースであったクラシックと融合した作品は、哀愁をおびたせつない旋律のもの(「愛国の花」、「暁に祈る」など)が多く、それらが戦争で傷ついた大衆の心の奥底に響き、支持されました。

戦時歌謡を作るかたわら、ヴァイオリン協奏曲のスケッチも重ねていましたが、完成に至らぬうちに譜面が散逸してしまいました。古関さん自身、前線の悲惨な体験や目撃が「暁に祈る」や「露営の歌」に結びついたと証言しています。また自らの作品で戦地に送られ、戦死した人への自責の念を持ち続けていたと言われています。

戦後は、暗く不安な日本を音楽によって明るくするための活動に力を注ぎました。長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌「長崎の鐘」。戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」。

戦後日本の発展の象徴でもある1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた「オリンピック・マーチ」。現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」。その他にも「フランチェスカの鐘」、「君の名は」、「高原列車は行く」などの格調高い曲を数多く創作しました。また、クラシックの香り溢れる流行歌や、勇壮で清潔感のあるスポーツ音楽が大衆の心をとらえました。

テノールの美しい音色と格調のあるリートのベルカントで歌唱する藤山一郎氏、叙情溢れるリリックなバリトンで熱唱する伊藤久男氏などの歌手にも恵まれました。

テレビ・ラジオ・演劇作品へ

劇作家の菊田一夫氏と名コンビを組み、数々のラジオドラマ、テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカルのヒット作品を世に送り出しました。1961年に菊田と手がけた森光子主演の有名な『放浪記』は長期公演舞台となりました。

古関さんは、戦後、クラシック音楽の作曲を完全に諦めていたわけではなく、菊田と共同したミュージカル『敦煌』から交響組曲『敦煌』を編んでいます。

また、NHKテレビラジオを通じて各音楽番組に出演しました。ラジオドラマ『君の名は』では放送中に、スタジオにオルガンを持ち込み、生演奏をして劇中伴奏を務め、他の番組でも時折生演奏で数多く出演しました。

一方で、流行歌の作曲家としても活躍した江口夜詩とともに、「近世の日本のマーチ作曲者の代表的存在」とされています。

福島市 古関裕而記念館

フジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を1972年10月の開始から、初代司会者の萩本欽一とともに1984年6月まで務めていました。

福島市最初の名誉市民になり、同地には1988年11月に「福島市古関裕而記念館」が建てられました。しかし古関氏はこの頃すでに入院生活を送っていたため、現地に足を運ぶことは出来なかったそうです。

傘寿の誕生日を迎えて1週間足らずの1989年(平成元年)8月18日、脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で亡くなりました(享年80歳)。盛大な音楽葬が催され、生前、早稲田大学、慶應義塾大学の応援歌を作曲していた古関氏のために参列した両大学の応援団がそれぞれの応援歌を歌い、古関氏の棺は左右からさしかけられた両校の校旗をくぐって多くの参列者に見送られました。

JR東日本 福島駅の発車メロディー

2009年4月に生誕100年を記念し、JR福島駅の発車メロディーに古関の作品が採用されることになりました。在来線ホームに「高原列車は行く」、新幹線ホームに「栄冠は君に輝く」が採用されました。
同年8月、同じく生誕100年を記念したモニュメントが古関の地元・福島市の福島駅東口駅前広場に設置されました。

古関裕而さんの代表的な作曲作品

NHK朝ドラ「エール」を是非ご覧ください!

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