後藤象二郎の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

あなたは後藤象二郎という人物をご存知でしょうか。

坂本龍馬と深い関わりを持っていた人物です。

 

現在放送中のNHK大河ドラマ「西郷どん」や同じく大河ドラマの「八重の桜」「龍馬伝」「篤姫」など、多くの明治時代を舞台にした大河ドラマに登場しています。

ですので、知っている方も多いかもしれませんね。

後藤象二郎という人物は一体どのような人物であったのでしょうか。

 

今回は後藤象二郎の

  • 生い立ち
  • 経歴
  • 性格
  • エピソード

をご紹介いたします。

これを読めば後藤象二郎の生い立ちや経歴、性格やエピソードを知ることができますよ。

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後藤象二郎の生い立ちと生涯。家族や兄弟、子供はいる?

後藤象二郎は天保9年(1838年)3月19日、現在の高知県である土佐国の藩士、後藤正晴と大塚荘八勝従の娘の長男として誕生しました。

 

兄弟はいなかったとされています。

 

嘉永元年(1848年)7月25日、象二郎が10歳の時、父・後藤正晴が病気で亡くなってしまったため、義理の叔父であった吉田東洋のもとで育てられました

後藤象二郎の妻と子供について

象二郎は後に磯子という女性と結婚します。

その女性との間には

  • 後藤貞馬
  • 後藤猛太郎
  • 岩崎早苗子
  • 大江小苗
  • 長與延子

が誕生しました。

 

次男・後藤猛太郎は日本活動フィルム会社の初代社長となった人物です。

後藤象二郎の経歴や強さは?

安政2(1855)年4月に吉田東洋が私塾「少林塾」を開くと、象二郎も学び始め、また柳河藩士の大石種昌に大石神影流剣術を教わります。

 

安政5年(1858年)吉田東洋の勧めで幡多郡奉行となりました。

 

万延元年(1860年)9月になると大坂藩邸建築のための土木関係の諸業務や上水の管理を行う普請奉行となりました。

 

文久元年(1861年)には御近習目付となりましたが、翌年、開国派であった吉田東洋は尊皇攘夷活動を行っていた土佐勤皇党の武市半平太らによって暗殺されていまいます

これによって、象二郎の職は解かれ浪人となりました。

 

翌年の文久3年(1863年)象二郎は勉学に励むため江戸へ旅立ちます。

江戸に出た象二郎は

  • 江戸幕府の洋学研究機関である開成所で大鳥圭介から英語を
  • 会津藩士・高橋金兵衛に航海術を

学びます。

その後、元治元年(1864年)になると幕政へ復帰し、土佐藩主・山内容堂から信頼を得象二郎は大監察や参政といった職に就きました。

 

またこの頃になると、亡き吉田東洋の妻・琴が亡くなったため、2人の1人息子で11歳であった正春を象二郎は引き取り、育てます。

 

慶応元年(1865年)5月11日、攘夷派で土佐勤皇党の武市半平太を吉田東洋の暗殺や、その他京都での暗殺に関わったとして切腹を命じました。

その後、慶応2年(1866年)には幕府の命令で

  • 薩摩、長崎に出張
  • 上海を視察し海外貿易の研究

などを行います。

大政奉還のために奔走する

このころから、坂本龍馬と交流を持つようになりました。

象二郎は京都にいた藩主・山内容堂に呼ばれ、長崎から出向する際、共に船に乗船していた坂本龍馬から船中八策を提示されます。

 

坂本龍馬の考えた船中八策とは

  • 大政奉還
  • 上下両院の設置による議会政治
  • 有能な人材に政治活動をさせる
  • 不平等条約の改定
  • 憲法制定
  • 海軍力の増強
  • 御親兵の設置
  • 金銀の交換レートの変更

 

といった条件が記されたもので、提示された象二郎は船中八策をもとに、幕府政治崩壊を直前にしてもなお政局を主導しようとする将軍・徳川慶喜に対し、明治天皇に政権返上を行う大政奉還を勧める計画を行います。

 

大政奉還論は土佐藩の在京幹部である

  • 寺村道成
  • 真辺正心
  • 福岡孝弟

にも説くと賛同を得ることができ、倒幕を目的としていた薩摩藩の

  • 西郷隆盛
  • 大久保利通
  • 小松帯刀

らと会談の末、薩摩国と土佐国が倒幕の為に協力するといった薩土盟約を結びました

 

締結後、すぐさま京都へ向かおうとしていた象二郎でしたが、

  • 藩主・山内容堂は盟約自体には賛成するものの、兵を出すことは不本意であると兵を出すことに反対したため、薩摩国と約束していた兵を集められなかった。
  • 長崎でイギリス船のイカルス号の水平が殺害された事件で土佐国の武士が容疑者として浮上していたため、その交渉人として、象二郎が命じられ、京都入りが遅れた。

 

この2つのことが原因で、薩土盟約は解消となります。

盟約は解消となりましたが、象二郎は、大政奉還をするため、藩主・山内容堂を説得し10月3日に藩主・山内容堂と連名で将軍・徳川慶喜に対し、大政奉還建白書を提出しました。

 

こうして大政奉還建白書は受けとられ、10月14日、徳川慶喜は明治天皇に統治権の返上をする大政奉還を行いました。

象二郎の働きは称えられ

  • 中老格700石に加増
  • 役料800石を与えられる

計1,500石に栄進となります。

 

慶応4年(1868年)になるとイギリス公使パークスが天皇謁見に向かう際の護衛を勤め、この際、パークス暗殺を企て襲撃してきた浪士たちと斬り合いとなるも、そのうちの1人、朱雀操を討取り、パークス暗殺を防ぐことに成功しました。

この働きはイギリスのヴィクトリア女王に賞賛され、恩賜の刀を贈られます。

明治時代になり官職に就く

明治時代になると、象二郎は新政府で

  • 大阪府知事
  • 参与
  • 左院議長
  • 参議
  • 工部大輔

などの職に就きましたが、

 

  • 西郷隆盛
  • 板垣退助
  • 江藤新平
  • 後藤象二郎
  • 副島種臣

らとともに、朝鮮半島の開国を武力で開国しようと主張した征韓論争において敗れたため、板垣退助、西郷隆盛とともに官職を辞職します。

 

その後、

  • 板垣退助
  • 江藤新平
  • 副島種臣

とともに愛国公党を結成しました。

 

明治7年(1874年)になると商社「蓬莱社」を設立し、実業家となります。

しかし、2年後には放漫経営で破綻となり、三菱の岩崎弥太郎に売却となりました。

 

明治14年(1881年)板垣退助らとともに自由党を結成すると大同団結運動を推進します

 

明治16年(1883年)福澤諭吉から朝鮮から清を追い出し朝鮮の近代化改革指導を行ってほしいという要請で李氏朝鮮政府の金玉均を援護するため、フランス公使から艦隊を借り、朝鮮半島に送り込む計画を企てましたが、失敗に終わりました。

 

その後、

  • 黒田内閣や第1次松方内閣で逓信大臣
  • 第2次伊藤内閣で農商務大臣

などに就任しましたが、明治27年(1894年)5月、商品取引所の開設にともなう収賄事件の責任をとって大臣を辞職しました。

 

明治29年(1896年)夏頃になると象二郎は心臓病を患い始め、箱根で療養生活を送りましたが、明治30年(1897年)8月4日、60歳で亡くなりました

【エピソード】後藤象二郎の人柄や性格が分かる逸話

日本人として最初期のルイ・ヴィトンの顧客であった

後藤象二郎は日本におけるルイ・ヴィトンの最初期の顧客であったとされています

明治15年(1882年)から16年(1883年)の間に板垣退助と渡欧しルイ・ヴィトン本店に立ち寄った際、板垣退助のために鞄を購入したことが当時の顧客名簿の購入者欄に記されています。

当時はまだ日本にルイ・ヴィトンの店舗などはなく、最先端のお洒落を楽しんでいたことが分かります。

板垣退助とは馴染であった

ルイ・ヴィトンで鞄を買った、後藤象二郎は自身のために、鞄を購入したのではなく、幼馴染の板垣退助のために購入しました。

 

板垣退助は吉田東洋が開いた私塾「少林塾」でともに学んだ仲で、

  • 板垣退助は後藤象二郎を「やす」
  • 後藤象二郎は板垣退助を「いのす」と呼んでいました。

幼馴染であった2人は、明治維新後もともに征韓論争や、自由党の結成などをしており、2人が信頼し合っていたことが分かります。

 

そんな後藤象二郎は

  • 坂本龍馬から「後藤は実に同志にて、人のたましいも志も土佐国中で外にあるまいと存候」
  • 福沢諭吉から「政府の現状を変え、諸悪をはらい清める、非常大胆の豪傑、満天下唯一の人物は後藤伯だけである」
  • 山本正心から「私はあれほど逢うて心持のよい先輩は、先づ林有造先輩と好一対の英雄式大人物であったと深く深く頭脳へしみ込んでいる」

と評価され後藤象二郎が多くの人から慕われていたということが分かります。

まとめ 後藤象二郎はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

後藤象二郎の生い立ちや経歴、性格やエピソードをご紹介いたしました。

 

簡単にまとめると

  • 幼くして両親を亡くし、吉田東洋に育てられる
  • 吉田東洋の私塾で板垣退助と出会い、幼馴染となる
  • 坂本龍馬と交流を深める
  • 将軍・徳川慶喜に大政奉還建白書を提出し、大政奉還が実現される
  • 明治に入り大臣職に就くも、収賄事件の責任をとり辞職
  • 多くの人から慕われていた

 

徳川慶喜が出した大政奉還の裏には、後藤象二郎という人物の大きな働きがありました。

その後もパークス暗殺事件を阻止、征韓論争を行うなど、明治に入っても活躍し続けた人物でした。

亡くなる3年前まで大臣をしてた象二郎でしたので、多くの人から信頼され、慕われていたことが分かります。

 

そんな後藤象二郎が登場する有名なNHK大河ドラマは現在放送中の「西郷どん」です。

この作品では

  • 後藤象二郎を俳優の瀬川亮さん
  • 板垣退助を俳優の渋川清彦さん
  • 坂本龍馬を俳優の小栗旬さん
  • 西郷どんを俳優の鈴木亮平さん

が演じられています。

 

その他にも

  • 大河ドラマ「八重の桜」では後藤象二郎を俳優の京極圭さん
  • 大河ドラマ「龍馬伝」では俳優の青木崇高さん
  • 大河ドラマ「篤姫」では俳優の古本新乃輔さん

が演じられています。

 

これを機に、後藤象二郎に興味を持った方は、ぜひ大河ドラマ「西郷どん」「八重の桜」「龍馬伝」「篤姫」を見てみてください。

以上「後藤象二郎の性格と経歴、生い立ちやエピソード」のご紹介でした。

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