あなたは後藤又兵衛という人物をご存知でしょうか。
さまざまな軍事記には勇猛な武士として語られています。
そんな後藤又兵衛は現在放送中の
- 「学園BASARA」
に登場していることから、知っているという方も多いかもしれません。
「学園BASARA」の中の後藤又兵衛は、破れた服を着た背の高いキャラクターとして登場していますが、実際、後藤又兵衛は180cm以上の身長であったとされ、また大阪の陣において53箇所の切り傷を負った記録が残されており、忠実に沿って再現されたキャラクターのようです。
そんな後藤又兵衛の
- 生涯
- 性格
- 最期
- 大坂の陣での逸話
- エピソード
をご紹介いたします。
これを読めば、後藤又兵衛の生涯や性格、関ヶ原の戦いの逸話やエピソードを知ることができますよ。
1年1組
後藤又兵衛
CV. 三木眞一郎得意科目:書道
苦手科目:道徳https://t.co/Wf05VnPbaK#学園BASARA #学バサ pic.twitter.com/Oqt8FL8baq— アニメ『学園BASARA』公式 (@gakuen_basara) 2018年9月10日
後藤又兵衛の生い立ちと生涯
後藤又兵衛は永禄3年(1560年)、現在の兵庫県である、播磨国姫路近郊の神東郡山田村で父・別所氏家臣の後藤新左衛門、母・神吉頼氏の娘から次男として誕生しました。
又兵衛という名前は、通称で、本名は後藤基次といいます。
天正6年(1578年)荒木村重が織田信長に反旗を翻したため、黒田官兵衛(黒田孝高)が荒木村重を説得しに有岡城へと向かいますが、荒木村重によって幽閉されてしまいます。
この際、黒田家家臣一同の誓紙への署名を黒田官兵衛の家臣であった又兵衛の伯父・藤岡九兵衛が拒否したため、後藤家は一族追放となり、その後、仙石秀久に仕えることとなります。
又兵衛の幼少期の記録などは残されておらず、又兵衛の記録が見られるようになるのは、天正14年(1586年)からです。
天正14年(1586年)、豊臣秀吉による九州征伐の戸次川の戦いにおいて、主君・仙石秀久が島津家久に敗れ讃岐国に逃げ帰ると、又兵衛は黒田官兵衛の重臣・栗山利安の与力となり黒田家に仕えることとなりました。
文禄元年(1592年)から始まった朝鮮出兵にも参加し、朝鮮出兵における第二次晋州城攻防戦では敵軍の城壁を打ち破るなどの功績を残します。
その後、豊臣秀吉が亡くなると、慶長5年(1600年)に秀吉亡き後の権力を巡って関ヶ原の戦いが始まりました。
この関ヶ原の戦いでは、東軍に味方し西軍・石田三成の家臣・大橋掃部を討ち取るといった功績を残します。
関ヶ原の戦い後、功績を称えられた又兵衛は黒田家重臣の一人として
- 大隈城
- 16,000石の所領
を与えられます。
その後、慶長9年(1604年)3月20日に主君・黒田官兵衛が亡くなると、その2年後の慶長11年(1606年)、又兵衛は一族とともに黒田家から逃げるように出奔します。
出奔の原因は、又兵衛が細川氏、池田氏と頻繁に手紙のやり取りをしていたことから、主君・黒田官兵衛と関係が拗れたためとされています。
黒田家から出奔した又兵衛は、細川忠興を頼りましたが、もともと黒田家と細川家は戦後処理を巡って対立関係であったため、黒田官兵衛の嫡男・黒田長政と細川家が一触即発の状況となりました。
これに対して幕府も動き出し、徳川家康の仲裁によって又兵衛は細川家から退去となりました。
そんな又兵衛の功績を称えていた
- 福島正則
- 前田利長
- 結城秀康
らが、又兵衛を仕官に招きましたが、黒田長政によって又兵衛は「奉公構」とされたので、又兵衛は再び仕官になることはありませんでした。
この「奉公構」とは、武士に対する処罰の1つで、勝手に出奔した武士や改易を受けた武士を2度と雇用させない。といった処罰です。
旧主の許しがなければ、2度と再就職することはできないので、追放刑よりも一層重い罰とされています。
こうして、再就職を禁止され浪人(無職)となった又兵衛は慶長16年(1611年)から京都で浪人生活を送ります。
大坂の陣に参加する
慶長19年(1614年)江戸幕府と豊臣家の対立である大阪の陣が始まると、又兵衛は大野治長の誘いを受け、豊臣軍に味方し、大阪の陣に参加することとなりました。
大阪城に向かうと、又兵衛は天満の浦での閲兵式の指揮を任されることとなりました。
大野治長、大野治房の補佐を行った又兵衛は、徳川家康から警戒されており、又兵衛のもとに京都相国寺の僧・揚西堂を使者として送り、摂津国を与える代わりに、味方にならないか。と誘いを受けます。
しかし、又兵衛はその誘いを武士道に反するとして断りました。
後藤又兵衛の最後や死因は?墓はどこ?
大阪城は大阪冬の陣において、すべての堀が埋められてしまったため、大阪夏の陣からは大阪城から出て戦わなくてはなりませんでした。
又兵衛は慶長20年(1615年)5月1日に前衛隊として大阪城を出ると、後衛隊の毛利勝永、真田信繁と合流し道明寺村付近に集結します。
この道明寺の戦いで、徳川方先鋒大将の水野勝成が率いる部隊が近づいていることを知ると、中間地点の小松山に布陣しました。
水野勝成の率いる部隊の奥田忠次を討ち取る功績を残しましたが、小松山は徳川軍の伊達政宗、松平忠明らに囲まれ、伊達政宗の家臣・片倉重長が率いる鉄砲隊に鉄砲を放たれ、56歳で亡くなりました。
しかし、又兵衛は伊達政宗の家臣・片倉重長が率いる鉄砲隊によって戦死した他に
- 『武功雑記』では松平忠明配下の山田十郎兵衛が討ち取った。と記される
- 『難波戦記』では部下の吉村武右衛門に命じて、首をはねさせた。と記される
- 又兵衛は大阪の陣で亡くなっていないという生存説
が残されています。
よって又兵衛の墓は
- 大阪の陣で戦死したのち、妻が池田家家臣三浦家の出身であったため池田家のある鳥取藩の鳥取県鳥取市の景福寺に建てられた
- 部下の吉村武右衛門に命じて、首をはねさせた後、吉村武右衛門が又兵衛の首を持ち帰り伊予国の長泉寺に埋葬した
- 大阪の陣で生き残った又兵衛が放浪の旅で耶馬渓にたどり着き、身を隠して暮らしていたものの、豊臣秀頼の病死を知ると自害したとされ、しばらくして、村人が自害した人物が又兵衛であったことを知り、大分県中津市の耶馬渓に又兵衛の墓を建てた
などがあります。
また、大阪の柏原市立玉手山公園にも又兵衛の供養塔があります。
この玉手山は旧小松山であり、大阪の陣の際、小松山で又兵衛が戦死したことから、この公園に供養塔が建てられるようになりました。
【兜のエピソード】後藤又兵衛の性格が分かる面白い逸話
後藤又兵衛の肖像画に描かれている兜には、丸い飾りが付けられています。
- 兜につけられた飾りは前立と呼ばれ、又兵衛の兜につけられた丸い前立ては「大日輪」と呼ばれるものです。
- 太陽神である天照大御神を表したものです。
又兵衛にはこのような逸話が残されています。
- 城井氏との戦いで破れると、一揆鎮圧軍を率いていた黒田長政は頭を丸坊主にしました。
- 黒田長政の部下たちも、黒田長政に追従して頭を丸坊主にする中、又兵衛だけは丸坊主にしません。
- そのため、周囲からなぜ、頭を坊主にしない。と咎められると、又兵衛は「戦いに敗北は付き物、敗北の度に髷を落としていたら、一生、毛が揃うことはない」と言い返したとされています。
またこのような逸話も残されています。
- 文禄の役の際、主君・黒田長政が朝鮮軍の敵将と取っ組み合いとなり、その勢いで川に落ちても、又兵衛は助けにはいきませんでした。
- この事に対し小西行長の家来に、なぜ、一騎打ちに参加しないのか。と問われると、又兵衛は「このようなことで、敵に討たれるのなら我が殿ではない。」と言い放ち、静かに主君と朝鮮軍の敵将との取っ組み合いを見ていたとされています。
- 主君・黒田長政は敵将を討ったものの、これ以来、又兵衛を恨むようになり、黒田家と又兵衛の対立関係となった原因の1つとして考えられています。
又兵衛のこのような逸話から、又兵衛は冷静で、人に合わせることのない一匹狼のような性格であった事がわかります。
又兵衛は身長180cmを超えた人物であり、大阪の陣の際は太っていたとされています。
そんな大男でしたが、大阪の陣では53箇所も傷を負っていたと『長沢聞書』に記録されています。
まとめ 後藤又兵衛はどんな人?ドラマや映画。
後藤又兵衛の生涯や正確、最期や大阪の陣での逸話やエピソードのご紹介でした。
簡単にまとめると
- 仙石秀久に仕えた後、黒田長政に仕える
- 黒田家から出奔した後、大野治長の誘いを受け大阪の陣に参加
- 大阪の陣において、伊達政宗の家臣・片倉重長が率いる鉄砲隊の攻撃を受け戦死
- 生存説がある
- 天照大御神を表した兜をかぶる
- 冷静な性格であった
- 身長は180㎝以上あったとされる
後藤又兵衛は大坂の陣の軍事記などに勇猛な武士として書かれることが多いですが、その最期は謎に包まれた人物でした。
そんな後藤又兵衛はNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」に登場しています。
この作品では
- 後藤又兵衛を俳優の塚本高史さん
- 黒田官兵衛を俳優の岡田准一さん
- 黒田長政を俳優の松坂桃李さん
が演じられました。
また現在放送中のアニメ「学園BASARA」にも登場しています。
このアニメに登場する後藤又兵衛はあまりかっこいいキャラクターではなく、どちらかというと少しくらいキャラクターとして登場しています。
学生帽には丸い飾りがついており、これは実在した又兵衛の兜につけられた丸い前立て「大日輪」をモチーフにしていることがわかります。
これを機に、後藤又兵衛に興味を持った方は
- NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」
- アニメ「学園BASARA」
を見てみてください。
以上「後藤又兵衛の性格と生涯。最期や大坂の陣の逸話とエピソード」のご紹介でした。
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