2013年のNHK大河ドラマで、綾瀬はるかさんが演じたことで一気に知名度が高まった新島八重。
「幕末のジャンヌ・ダルク」、「日本のナイチンゲール」と呼ばれた彼女の生きざまは激しさを持ち合わせながら、慈愛の心に満ち溢れています。
今回は、新島八重について
- 新島八重の生い立ちや家族を紹介
- 新島八重の性格がわかる面白エピソードとは
- 新島八重の人物像が分かる面白い逸話とは
を紹介します。
これを読めば、新島八重の生い立ちや家族構成・エピソード・逸話などがわかります。
新島八重が生涯を通して伝えたかったことや、後世に残した影響などを知ることができます。是非、ご覧ください。
いまの文ちゃんと同じような感情に駆られた時、一昨年前の大河の主人公は男装して銃を取ってました #花燃ゆ #八重の桜 pic.twitter.com/IHHBFvIa1U
— みかん (@hutakigusa) 2015年7月5日
新島八重の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い
新島八重の生い立ちや家族を紹介
新島八重は、江戸後期から昭和初期を生きた会津藩、現在の福島県出身の女性です。
新島八重こと、山本八重は弘化2年(1845年)、会津藩の砲術師範・山本権八と佐久夫妻の三女として誕生します。
山本夫妻は、三男三女の子どもに恵まれましたが、無事に育ったのは4名だけで、長女に関しては、名前も不詳とされています。
また、長男・覚馬とは17歳もの歳の差があります。
また、八重の下には三男・三郎がいます。
明治4年には京都府顧問となっていた実兄・山本覚馬を頼って京都へ向かいます。
また、裏千家13代千宗室(円能斎)の母との出会いがきっかけで茶道に親しむようになったのもこの頃です。
様々なことに興味を持ち、精通していく八重の姿は、今の女性でも憧れる部分がありますよね!
さらに兄の元に出入りしていたアメリカ帰りの準宣教師・新島襄と知り合い、明治9年(1876年)に再婚(最初の夫は川崎尚之助)します。
二人の間に実子はいませんが、襄は八重のことを「彼女の生き方はハンサムなのです。」とアメリカの友人宛への手紙に綴っています。
二人の仲睦まじい姿が想像できる素敵なエピソードですよね。
新島八重の性格がわかる面白エピソードとは
慶応4年に会津戦争が始まると、八重は女性でありながら、鉄砲を主力に戦うべきと考え、薙刀で戦うとした婦女隊には加わることはありませんでした。
その代わり、断髪・男装し、砲術をもって奉仕し、鶴ヶ城籠城戦では自らスペンサー銃と刀を持って奮戦しました。
敗戦後、捕虜となった最初の夫と生き別れるも、後に離婚の手続きがとられ、離婚に至りました。
また、かの有名な白虎隊に所属していた少年たちにも砲術の手ほどきもしていました。
白虎隊にも砲術の手ほどきをしていたなんて、さすが新島八重、恐るべしという感じですね。
新島八重の人物像が分かる面白い逸話とは
八重の二人目の夫、新島襄は同志社女子学校設立で有名な人物です。
長年にわたるアメリカでの生活で西洋文化が身についていた襄と、自分の信じたことに対しては一歩も引かない男勝りの性格だった八重。
男尊女卑だったこの時代、世間からすれば相当型破りの夫婦の誕生でした。
しかし、当たり前のように夫より先に車に乗る姿を見た人々は襄のレディファーストの精神は理解されず、八重は世間から「烈婦」「悪女」と酷評されたこともありました。
しかし、とうの二人はそんなこと気にも止めず、八重を将来のパートナーとして迎えた新島襄は、彼女のことを微笑ましいとすら思っていたようです。
また襄亡き後の八重は、日本赤十字社の正社員となり新たな道を歩み始めることになります。
当時、日本赤十字社は、戦地で負傷した兵士の救護を目的に創設された組織で、当初は男性救護人のみにおける西南戦争での救護活動を行っています。
その後、幾度の戦争を経て、負傷した兵士の救護を目的とした従軍看護婦の養成を開始します。
日清戦争では厳選された看護婦たちが国内予備病院に限り救護活動の任務にあたりました。
この時、八重は広島の病院で怪我人の看護だけでなく40人の看護婦の取締役を務め、看護婦の地位向上にも努めました。
明治29年(1896年)にはその功績が認められ、勲七等宝冠章が授与され、さらに、明治37年(1904年)の日露戦争では、大阪の病院で2ヶ月間従軍し、後に勲六等宝冠章が授与されました。
その多くの功績により八重は昭和3年(1928年)、昭和天皇の即位大礼の際、銀杯を下賜されました。
即位大礼とは、天皇が皇位を継承したことを日本内外に示す国事行為で最高の皇室儀礼です。
その4年後の86歳で亡くなった八重の葬儀は「同志社社葬」として執り行われ4,000人もの参列者がありました。
八重がどれだけ多くの人に慕われていたかがよく分かるエピソードですよね。
まとめ:新島八重はどんな人?分かりやすいおすすめ作品
新島八重の生い立ちや家族、面白エピソードや逸話について紹介しました。
最後に新島八重についてまとめておきますね!
- 新島八重は、江戸末期~昭和初期の教育者、看護婦、茶道家である
- 新島八重自身、女性の身でありながら銃や刀を使い戦に奮戦した
- 新島襄とは仲睦まじい夫婦だった
- 看護婦として、後の世にも残るような功績を多く残した
新島八重の生涯は、「幕末のジャンヌ・ダルク」「日本のナイチンゲール」と呼ばれるにふさわしいまるでドラマのような人生だったんですね!
新島八重のドラマのような人生をもっと知りたい!という人にはこの2作品がオススメです。
- 大河ドラマ「八重の桜」(2013年・NHK/演・綾瀬はるか)
- 「白虎隊」(2007年・テレビ朝日/演・中越典子)
ぜひ、新島八重の生涯や当時の彼女のかっこいい生きざまに想いをはせてみてください。
以上、「新島八重の生い立ちや家族、面白エピソード・逸話」でした。
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