あなたは、新選組隊士の新見錦(にいみにしき)を知っていますか?
2004年の大河ドラマ「新選組‼」では、個性派俳優の相島一之(あいじまかずゆき)さんが演じていました。
ちょっと憎たらしくて癖のある新見錦を好演されていましたよ。
今回は、新見錦について
- 新見錦の経歴は?
- 新見錦のエピソードから見る性格
- 逸話からわかる新見錦のもう一つの顔
などを紹介します。
こちらを読めば、新選組関連の小説やドラマの違った一面が見えてきて、
より楽しめるようになります。是非お読みくださいね。
NHK大河の新選組!好きすぎて…ほんと布教したい!!
うちがオタクに舞い戻る切っ掛けの作品!
10年?前のですが脚本三谷幸喜さんで面白いし俳優陣すごく豪華なんですよ!!?
DVDボックス高くて涙目だけど多分買う… pic.twitter.com/Ogcq37oRC2— えにゃ@3/17西4【コ17a】 (@enyamame) 2015年4月15日
新見錦の性格はどんな人物像?エピソードや逸話が面白い
新見錦の生い立ちと経歴
新見錦は、1836年に誕生したと伝わっていますが、詳しいことは分かっていません。
水戸藩(現在の茨城県)の浪士で、共に新選組のメンバーになる芹沢鴨とは同志でした。
新見錦は、「にいみにしき」と読むのが一般的とされていますが、「しんみにしき」ではないかという説もあり、そのあたりははっきりしていません。
剣は、芹沢鴨、永倉新八(新選組隊士)と同じ、神道無念流。
免許皆伝を受けていました。
新選組のメンバーになるだけあって、剣術の腕は確かでした。
新見錦の略歴
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1863年 2月 芹沢鴨らとともに、浪士隊に参加。浪士隊には後の新選組メンバー:近藤勇・土方歳三らも参加していた
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同年 3月 江戸へ戻る浪士隊から離れ、新選組の前進:壬生浪士組を結成。芹沢鴨、近藤勇とともに局長となる
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同年 5月頃 局長から副長へ格下げとなる
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同年 9月13日頃 祇園 「山緒」(やまのお)で切腹
新見錦は、同じ水戸浪士芹沢鴨の片腕といわれていますが、新選組隊士として活躍した記録は、あまり残っていません。
そのため、いまだ謎の多い人物ですが、
数少ない資料やエピソードから、新見錦の実像を探ってみましょう。
新見錦の性格が分かる面白いエピソードとは?
エピソード1 新見錦は実在した人物ではなかった?
子母澤寛の『新選組始末記』では、新見は酒や遊びにふけり、隊務をさぼることが多かったうえに、隊の費用とうそをついて民家からお金をゆすったりしていたと書かれています。
ですが、1863年5月に新選組を預かる会津藩に提出された新選組隊士の名簿には、新見錦の名前がありません。
新選組隊士の島田魁が書いた新選組の覚書『英名録』にも名前がありません。
唯一記録として残っているのは、大坂の商人から100両を無理やり借りたときの書類に、芹沢鴨・近藤勇とともに記された名前です。
そのため、新見錦という人自体の存在が疑問視されることさえあります。
エピソード2 切腹した理由もはっきりと分かっていない。
1863年9月に切腹した理由も本当のところははっきりとしていません。
永倉新八の『新選組顛末記』によると祇園「山緒」で遊んでいた新見錦のもとへ行き、非行の数々を上げて詰腹を切らせたとあります。
その場にいたのは、土方歳三・沖田総司・永倉新八・原田左之助などのそうそうたる剣客たちだったため、剣術が優れていた新見錦もさすがに覚悟を決めて立派に切腹したということになっています。
ドラマや小説などで書かれている新見錦の最期もたいていはこのような状況です。
新見錦は、乱暴狼藉を働く、新選組としてふさわしくない人間として処断されたというのが、今の一般的な認識になっています。
でも、新見錦には別の顔があった!のです。
新見錦の人物像が分かる面白い逸話とは?
新見錦という名の人物が新選組にいたという記録は、ほぼありません。
先ほど紹介した『英名録』にも載っていませんし、新選組の屯所となっていた西本願寺に仕えていた西村兼文が書いた『新撰組始末記』にも新見の名前は出てきません。
いったいどういうことでしょうか。
逸話1 新見錦とはいったい何者?
新見の代わりのように、田中伊織(いおり)という名前の人物が壬生浪士組結成当時からのメンバーとして『新撰組始末記』に書かれています。
田中伊織の最期についても、「近藤の意に応ぜざる事のあるをにらみ、闇殺す」と暗殺したことを書き残しています。
京都壬生寺(みぶでら)は、新撰組の初めの屯所の隣にあるお寺ですが、壬生寺には、近藤勇の胸像のほか、芹沢鴨と平山五郎の墓、合祀塚(壬生塚)があります。
合祀塚には、奥沢栄助、野口健司らの新選組隊士とともに田中伊織の名前が刻まれています。
没年は1863年9月13日です。
まさに新見錦が切腹した日です。
これらのことから、田中伊織が新見錦ではないかという意見が少なくありません。
逸話2 実は長州のスパイだった?
もう一つ、別の見方もあるのです。
(なんだか推理小説みたいですね、わくわくしませんか?歴史ってこういうところも魅力なんですよね)
明治になり、長州派など維新を目前に倒れた志士たちの御霊を祀った京都霊山の招魂社に、新見錦の名があることが分かりました。
新選組局長にまでなった新見錦が新選組の敵であった長州志士とともに祀られているのはなぜでしょうか。
当時新選組には、長州のスパイが潜り込むことがよくありました。
新選組にも隊内のスパイを探し出す組織がありました。
隊士がスパイだとわかると、人知れず処断されていましたので、公には切腹や行方不明、浪士に切られたなどと記録されています。
もしかしたら、新見錦も実は長州のスパイだったのかもしれません。
それがばれて、うまく口実をつけて斬られたのではないでしょうか。
幕末の動乱期なら、あり得ることですよ。
新見錦、謎が多い人物だからこそ、
いろんな推測、いろんな見方ができます。
【結論】新見錦の性格はどんな人物像?エピソードや逸話が面白い
今回は、新見錦の経歴とその人となりを紹介しました。
簡単にまとめておきましょう。
- 新見錦は、新選組結成当時からのメンバー
- 新見錦は、素行の悪さのため切腹させられた
- 新見錦は、本当の名前ではない
- 新見錦は、田中伊織ではないか?
- 新見錦は、スパイだったかもしれない
ほとんど記録に残っていない新見錦。
わずか28年の人生に何があったのでしょうか。
今回の記事を読んでいただいたあなたなら、今までの新見錦をまた違った形で楽しめますよ。
最後に新見錦を楽しめる作品を紹介します
- 「輪違屋糸里」 浅田次郎
- ドラマ 「輪違屋糸里~女たちの新撰組~」 2007年
ドラマのほうは私自身は、キャスティングに不満が少々あります。
でも新見錦役の山田純大さんはよかったです。
新しい新見錦を見せてもらいました。
あなたもいろいろな新見錦を楽しんでくださいね。
以上、「新見錦の性格はどんな人物像?エピソードや逸話が面白い」でした。
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