芳春院(前田まつ)の性格と子供出産の逸話。前田利家や前田慶次との関係は?

戦国大名であった前田利家の妻・芳春院(前田まつ)をご存知でしょうか。

前田利家との間に2男9女の子供が誕生し、戦国時代において、最も子供を出産した女性となりました。

大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」では、そんな前田利家と妻・まつが描かれ、前田まつを知ったという方が多いかと思います。

そんな、大家族の母であった前田まつは、どのような女性であったのでしょうか。

今回は、前田まつの

  • 生涯
  • 性格
  • 子供や出産の逸話
  • 前田利家と前田慶次の関係性

 

についてご紹介いたします。

これを読めば、前田まつの生涯や、前田利家との関係性、性格、子供や出産の逸話を知ることができますよ。

 

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芳春院(前田まつ)の生い立ち

前田まつは天文16年(1547年)7月9日、現在の愛知県あま市である尾張国海東郡沖島の篠原一計の娘として誕生します。

父・篠原一計は織田家の家臣です。

しかし、まつがまだ3歳の頃、父・篠原一計は亡くなります。

母は尾張守護斯波氏の家臣であった高畠直吉と再婚を決め、4歳のまつは母の妹の嫁ぎ先である尾張荒子城主・前田利昌に養子に出されました。

この尾張荒子城主・前田利昌には、13歳の息子がいました。

その息子こそが前田利家です。

いとこである前田利家に嫁ぐ

永禄元年(1558年)、まつが12歳になった時、いとこである利家に嫁ぐこととなります

前田利家の生い立ちと経歴は?性格やエピソードが面白い

この時、前田利家は21歳です

この時代は12歳は立派な成人とみなされ嫁ぐことができました。

前田利家は身長約182cmもあり、容姿の整った男性であったとされています。

また当時、流行していた派手な服装を好む傾奇者であったとされ、攻略結婚であったのか、それとも恋愛結婚であったのかは定かではありませんが、まつがイケメンかつ高身長の前田利家に惚れた恋愛結婚であったのかもしれませんね。

12歳で母親となる

その翌年の永禄2年(1559年)まつと前田利家の間に長女となる幸姫が誕生しました。

12歳で母親になれるとは、驚きですよね。

夫・前田利家が無職に

前田利家は信長に仕えていましたが、この頃、前田利家は信長のお気に入りであった同朋衆の拾阿弥(じゅうあみ)と対立を起こし、拾阿弥を殺害するといった事件を起こしてしまいました。

前田利家は拾阿弥を殺害するとそのまま逃げてしまいます。

お気に入りの拾阿弥を殺害された信長は、前田利家を追い出し、長女・幸姫が生まれたばかりにも関わらず前田利家は浪人となりました。

今でいう無職です。

無職となった前田利家は、信長に許しを得るため、永禄3年(1560年)勝手に桶狭間の戦いに参加します。

この戦いで、前田利家は多くの功績を残しましたが、信長には許してもらえませんでした。

夫・前田利家が織田信長の家臣として復帰

しかし、翌年の永禄4年(1561年)におきた森部の戦いに無断で参加した前田利家は豪傑とされる足立六兵衛を討ち、ようやく信長に許してもらい、家臣として復帰することができました。

この翌年の永禄5年(1562年)正月、長男・利長が誕生します。

その後も、

  • 永禄6年(1563年)、次女・蕭姫(後に中川光重の正室となる)
  • 元亀3年(1573年)、三女・摩阿姫(のちに豊臣秀吉側室、後万里小路充房の正室となる)
  • 天正2年(1574年)、 四女・豪姫(のちに秀吉養女、宇喜多秀家の正室となる)
  • 天正5年(1577年)、五女・与免(のちに浅野幸長婚約者となるも早くに亡くなる)
  • 天正6年(1578年)、 次男・利政
  • 天正8年(1580年)、 六女・千世(のちに細川忠隆の正室、村井長次の正室となる)

が誕生し、まつは2男9女の母親となりました。

天正8年(1580年)の時点で、まつはまだ32歳です

明治天皇の代まで前田利家の血は受け継がれた

のちに娘たちは、各武将の大名に嫁いでいるので、戦国時代において前田利家の血を持つ子供は多かったとされています。

そのため前田利家の血は明治天皇まで受け継がれることとなりました

また、この時代幼少期の間に亡くなる子供が多くいました。

しかし、まつと前田利家の間の子供の中で幼少期に亡くなったのは、1人だけです。

まつと前田利家は自身の子供たちを大切に育てていたことがわかります。

前田家に危機が迫る

天正11年(1583年)信長亡き後の権力を巡って豊臣秀吉と、柴田勝家による賤ヶ岳の戦いがおきます。

前田利家は、親交のあった柴田利家に味方をしましたが、 四女・豪姫を秀吉の養子に出していたこと、古くから親交を持っていたことから、秀吉との関係性に悩みます。

そんな前田利家でしたので、いざ戦いが始まると、敵の豊臣軍に攻撃することもなく、戦場から勝手に離れてしまいました。

結局この戦いでは、柴田勝家は負け、豊臣秀吉が勝利を収めることとなります。

秀吉は、前田利家が秀吉との関係性に悩んだ挙句戦場を離脱したとはいえ、1度敵となった前田利家を許すことはできませんでした。

そこで、まつは直接秀吉に会い、夫を許すように頼んだとされています

その結果、秀吉は前田利家を許し、前田家は危機を脱することとなりました。

「芳春院」と名乗る

慶長4年(1599年)秀吉亡き後、前田利家は62歳で病死してしまいます。

夫を亡くしたまつは、「芳春院」と名乗りました

前田家を救うため、人質として江戸へ向かう

しかし、夫を亡くした悲しみに明け暮れる暇もなく慶長5年(1600年)、前田家は徳川家康から謀反の疑いをかけられます。

謀反の疑いをかけられると、前田家の当主となっていた長男・利長は徳川家康に反抗し、交戦を主張しました。

この前田家の最大のピンチの中、まつは、自ら徳川家の人質になることでこの争いを収めようとします。

こうしてまつは、加賀に子供たちを残し、江戸へ向かいました。

江戸での暮らしは14年にも及んだとされています。

同年9月15日に秀吉亡きあとの権力を巡って、関ヶ原の戦いが起こりました。

この関ヶ原の戦いは徳川秀吉率いる東軍の勝利に終わります。

まつは

  • 西軍についていた次男・利政の赦免
  • 西軍についた四女・豪姫の夫・宇喜多秀家の助命
  • 大名取り立てとなっていた前田利家とその側室との間の子供・利政の赦免

 

などを行い、前田家のために奔走する日々を送っていました。

まつの最期

しかし、利政の赦免の約束がされていたにも関わらず、約束が破られるとショックのあまり体調を壊し、京都で療養することとなります。

この際、子供たちのいる加賀に寄ることは許されず、慶長19年(1614年)長男・利長が病死または服毒自殺によって亡くなると、ようやく加賀に帰ることを許されました

長男の最期を見ることはできなかったのです。

その後、元和3年(1617年)まつは金沢城内で71歳で亡くなりました。

【逸話】芳春院(前田まつ)の子供、出産エピソード

まつは12歳で、長女を出産し32歳までの約21年間の間で、

  • 永禄2年(1559年)長女・幸姫
  • 永禄6年(1563年)次女・蕭姫
  • 元亀3年(1573年)三女・摩阿姫
  • 天正2年(1574年) 四女・豪姫
  • 天正5年(1577年)五女・与免
  • 天正6年(1578年) 次男・利政
  • 天正8年(1580年) 六女・千世

 

と、2男9女の母親になりました。

ここに記されているのは、はっきり存在の分かる子供で、実はもっとさくさんの子供がいたのでは?とされています。

前田利家と親交のあった豊臣秀吉とその正室・高台院の間には子供はいませんでした。

子供を欲しがる豊臣夫婦に、まつは幼い四女・豪姫を養子として送り出します。

この出来事以来、秀吉の正室である高台院とは懇意の間柄となり、深い信頼関係が生まれたとされています。

このような逸話からまつは優しい性格であったことが分かります。

 

前田利家や前田慶次との関係は?

前田利家との関係性

夫となった前田利家は、当時流行っていた服を身に着け、傾奇者と呼ばれた人物でした。

そんな前田利家は、かなり短気な性格であったとされています。

しかし、計算高く世渡り上手な一面もあり、ケチな性格でもあったことから、前田家の家計はすべて前田利家が管理していました。

まつよりも9歳年上の前田利家ですので、まつも安心して家計を任さられたのではないでしょうか。

これだけ多くの子供を持った女性は戦国時代の中で、とっても珍しく、戦国時代において最も子供を出産した女性とされています。

夫婦仲は非常に良かったことが分かります。

 

前田慶次との関係性

前田慶次はまつと前田利家から見ると、年上の義理の甥という関係となります。

漫画「花の慶次」では、まつが前田慶次に惹かれるといった描写がなされていますが、実際、

  • 前田慶次に関する史料は少なく、どのような人物か判明されていない部分が多い。
  • まつと前田慶次に接点はない

 

このようなことから、前田慶次とまつが不倫関係となるようなことはなかったとされています。

 

まとめ 芳春院(前田まつ)はどんな人?ドラマや映画はある?

芳春院(前田まつ)の生涯や、性格、出産の逸話や前田利家や前田慶次との関係性についてご紹介いたしました。

簡単にまとめると

  • 4歳で前田家の養子になる
  • 12歳の頃、21歳の前田利家と結婚
  • 2男9女の子供を授かる
  • 夫亡き後、徳川家の人質となり江戸で14年間過ごす
  • 71歳で亡くなる
  • 豊臣夫婦に豪姫を養子として出す
  • 前田利家とはおしどり夫婦であった
  • 前田慶次とは接点はない

 

まつと前田利家は、おしどり夫婦であったことがよくわかりました。

戦国時代において、これだけの子供を育て上げた前田家の教育方針が気になります。

そんな芳春院(前田まつ)が登場する有名な大河ドラマは「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」です。

この作品では

  • 芳春院(前田まつ)を女優の松嶋菜々子さん
  • 前田利家を俳優の唐沢寿明さん
  • 前田利長を俳優の伊藤英明さん
  • 前田慶次を俳優の及川光博さん

 

が演じられました。

これを機に、芳春院(前田まつ)に興味を持った方は、

  • 大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」を見てみてください。

 

以上「芳春院(前田まつ)の性格と子供出産の逸話。前田利家や前田慶次との関係」についてのご紹介でした。

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