『論語』に多くの名言を残し、儒教の祖として崇められている孔子。
孔子を知らない人はいませんよね。
今回は、孔子の
- 生い立ち
- 経歴と代表作
- 性格が分かるエピソード
について紹介していきます!
こちらを読めば、孔子の生い立ち・経歴や作品・性格や人となりが分かって、
作品もさらに楽しめるようになります。ぜひご覧ください。
孔子の生い立ちは?
孔子は紀元前551~紀元前479年、中国の春秋時代に生きた思想家です。
当時の中国は、小国家の集まりであり、孔子は魯国に生まれました。
- 名字:孔
- 名前:丘(きゅう)
- 字:仲尼(ちゅうじ)
と言います。
孔子と呼ばれていますが、「子=先生」という意味なので、
名字に先生を付けて呼ばれている形になります。
今で言うと、「鈴木先生!」ってな感じですね。
父は孔子が生まれた時には70歳を超えており、
母は16歳だったと言われていますが、詳しくは分かっていません。
- 次男だったそうです。
- 父は高齢だったため、孔子が3歳の時に亡くなってしまいます。
- 孔子は早くにして後ろ盾を失ってしまったんですね。
17歳の時には、母も亡くなってしまったので、若くから苦労を重ねていたようです。
この前後、独学で勉強に励んでいました。
結婚は19歳の時、長男誕生は翌年のことでした。
30歳前後で、孔子は魯国に仕官しています。
- 倉庫を管理
- 牧場を管理
これらの下級役人として働いていました。
この頃、孔子は初めての弟子をとった記録が残っています。
役人として働く一方で、自分の考えに共感してくれる弟子もできるなんて、順風満帆な生活ですね。
しかし、孔子が35歳の時、魯国の昭公がクーデターに失敗し、斉国へ追放。
- 孔子も後を追って斉国へ一時亡命します。
- 再び魯国へ戻ってきた孔子ですが、仕官することよりも、弟子を取り教育することに力を注ぎ始めました。
- この頃から、門人が増え、名声が高まっていきます。
後に主要となる弟子たちは、この頃に入門した人が多かったようです。
早くから孔子の元で学ぶことで、主要メンバーとなっていったんですね。
10年ほどは弟子の教育に集中していた孔子ですが、50歳頃、定公に抜擢され再び仕官。
斉国からの刺客を見破り、定公の命を守った功績が認められました。
- この功績により、「大司寇(だいしこう)=最高裁判官」となることができました。
- これは、魯国の実権を掌握することを意味します。
- 同時に、外交官も兼ねることとなりました。
孔子が政治を改革するチャンスが舞い降りてきたわけです。
弟子の中で武力に優れた者を重用し、敵の城壁を破壊する計画を立てるなど、
様々な政策を試みましたが、なかなかうまくいきませんでした。
そんな折、斉国からの女性歌舞団にうつつを抜かし、
政治を顧みなくなった定公に失望した孔子は、辞職。
55歳にして弟子と共に13年間の諸国周遊の旅を始めました。
この時、辞職したのは、反対派との政争に敗れたからだとも伝えられています。
いずれにせよ、せっかく、国の実権を握ることができ、政治を改革しようとした孔子でしたが、うまくいかなかったようですね。
13年間の周遊生活は、主に布教活動でした。
- 衛
- 晋
- 宋
- 鄭
- 陳
- 蔡
- 楚
と当時の主要国家の多くを訪問しています。
各地で、諸侯たちに「礼儀・道徳」を基本とした政治の必要性を説いて、
社会秩序の回復を訴えました。
が、受け入れられることはありませんでした。
68歳、魯国の大臣に呼び戻されて帰国。
助言役として少しは政治にかかわったものの、聞き入れてはもらえないのが現状でした。
それを分かっていたからか、孔子は
- 『易経』『詩経』といった古典の整理
- 門人の教育
に専念し、73年の生涯を閉じることとなりました。
独学で学び、自分なりの政治を訴え続けた孔子でしたが、生前、彼の政策を受け入れてくれる諸侯はいなかったのが残念です。
チャンスはあったものの、いざと言う時に、うまくいかなかったのが悔やまれますよね・・・
孔子の経歴と作品。代表作は?
生前は重用されなかった孔子の政策でしたが、
今や儒教としてその考えは国家の宗教にまでなっていますよね。
ここでは、
- 孔子がどのような思想を掲げていたのか
- 代表作はどのようなものがあるのか
を紹介していきましょう。
1.孔子の思想
孔子は周王朝創立に尽力した周公旦を理想的な人物と考えていました。
その周の政治を現実の世に再現することを目標に掲げました。
周公旦は孔子が生まれた魯国の開祖でもあります。
少年時代、自分の生まれた国を作った人について学び、感銘を受けたんでしょうね。
孔子は大きく3つの柱を掲げました。
- 仁:深い人間愛
- 礼:人の行うべき規範
- 義:人の行うべき正しい道
孔子は、力によって人を支配するのではなく、人間の精神に直接訴えかける徳によって政治を行うべきだと主張したのです。
これを徳治主義と言います。
- 人間社会の秩序を最も重んじ、反乱・下剋上といった、秩序を破る行為を徹底的に嫌いました。
- 徳による理想社会を実現するためには、「仁」「礼」「義」が必要だと説いたのです。
- まさに、現代社会が取り入れている考え方そのものですよね。
これを2500年前には説いていた孔子、すごすぎます!
当時は武力ですべてを手に入れる時代。
そんな中で、このような考えは受け入れられなくて当然と言えば当然ですよね。
時代が孔子に追い付いていなかったとでも言うべきでしょうか。
武力で人を支配するのって簡単なんですよね。
体罰も同じです。
言葉で教えて、心に訴えかけて・・・これは忍耐との勝負です。
殴る蹴ると痛みを与えて恐怖心を与え従わせるのは簡単なんですよね。
しかし、それではいけない!そんなの、上に立つものがすることではない!!
みんながそれぞれに「仁」「礼」「義」を持てば、秩序が保たれる!!!と考えていたんですね。
- とは言え、孔子も、今考えるとなかなか酷いことはしているんですよ。
- 虫一匹も殺せない・・・なんてタイプではありません。
- 君主を守るためには、敵国の刺客の手足を切り落とさせたり、敵国に攻め入ろうとしたりしています。
それはいいのか?と疑問に思ってしまいますが、それは君主を守るため、国を守るための行為なので、
きっと社会秩序を破る行為ではないと判断したんでしょうね。
2.孔子の代表作。論語
さてさて、当時の君主、諸侯たちにはなかなか受け入れられなかった孔子の思想ですが、門人は3000人いたと言われています。
なかなかの数ですよね。
- やはり、政治に不満を持った人が多くいたのでしょう。
- 統治者たちには響かなかった思想も、庶民たちには響くものがあったんですね。
- そんな孔子と弟子たちのやり取りをまとめた『論語』を孔子の代表作として挙げておきましょう。
教科書にも取り上げられていることが多い作品ですので、一部を目にしたことがある人も多いでしょう。
「子曰く・・・」で始まるあれです!
『論語』は20編、499章から成っています。
孔子の代表作としましたが、実際に書いたのは孔子ではありません。
弟子たちが孔子の言葉ややり取りをメモしていたものを、孔子の死後に持ち寄り編纂したものです。
今では、
- 『孟子』
- 『大学』
- 『中庸』
と並んで、儒教における「四書」の一つとなっています。
このようにして、弟子たちが書き残しておいてくれたおかげで、現代でも孔子の言葉、教えを読むことができるんですね。
本当にありがたい!
2500年も昔の言葉なんて・・・と思っている人もいるかもしれませんが、あなどることなかれ!
今でも共感できる言葉が多いんです!!
少し紹介してみますね。
子曰、學而時習之。
子曰、學而時習之。(子曰く、学びて時に之を習ふ。)
不亦説乎。(亦説ばしからずや。)
【現代語訳】
先生が言うには、学んだことを復習して身に付けていくのは、なんと嬉しいことではないか。
これ、教科書に載ってた~って人がいるのでは?
とっても有名な一節です。
- 勉強嫌いだわって人多いですよね。
- しかし、本来勉強って楽しいものなはず。
- 自分が好きなことについて知識を深めていくの、楽しくないですか?
勉強を強制されると抵抗感が半端なく生まれてしまいがちですが、「学ぶ」って何でもいいんですよ。
自分が知りたいこと、興味があることを学んでいる瞬間は本当に楽しい時間であることを思い出させてくれる一節です。
子曰、不患人之不己知、患己不知也。
子曰、不患人之不己知、患己不知也。(子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。)
【現代語訳】
先生が言うには、人が自分を分かってくれないことを嘆くのではなく、自分が他人を理解してあげられないことを嘆きなさい。
深い!
人って、自分を認めてほしい、肯定してほしい生き物ですよね。
- そればかりを主張するのではなく、
- 「あなたは他人のことを理解しようとしていますか?」
- 「まずは。他人を認めることから始めませんか?」と諭されています。
なんだか、ずしりと心に刺さるお言葉です。
自分自分自分・・・では、必ず争いは起きてしまいますもんね。
子曰、學而不思則罔。思而不學則殆
子曰、學而不思則罔。思而不學則殆。(子曰く、学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。)
【現代語訳】
先生が言うには、学んでも考えなければ、物事ははっきりしない。逆に、考えても他者から学ばなければ、それは危険である。
他者から学ぶこと、自分で考えること、これら両方をすることこそが成功への第一歩だと言っています。
他者から学んだことを丸飲みしていても、自分のものにはなっていきませんよね。
すぐに忘れてしまうし、役には立ちません。
自分が考えたことだけに固執して、押し通してしまうと、それは独断にしかならず、危険が伴ってしまうことも多々あります。
- 友だちからでもいい、親からでもいい、もちろん、本からでもいい。
- 何でもいいので、学び、考えることが大切なんですね。
- そして、自分が考えたことは、一度それを誰かに話してみると、より深い考えになっていくんですね。
どうでしょうか?
なるほど~と思わされる言葉ばかりじゃないですか。
もっともっと読んでみたい気持ちになりますよね!
- 人間関係に悩んでいる時
- 勉強や仕事で行き詰っている時
様々な場面で、何か現状を打開できるような一言にめぐり合うことができるんです。
すごく昔の言葉なのに、心に響くということは、人間の根本は変化していないんだなって実感することができますよね。
孔子の性格がわかる面白いエピソード
孔子は「飲食にこだわりが強い」人だったようです。
ご飯は
- 十分に精白されている米
- 冷肉を細く切った物
が大好きでした。
逆に、
- 時間が経ち蒸れや変色、悪臭がする飯や魚や肉
- 煮込み過ぎ型崩れした物
- 季節外れの物
- 切り口の雑な食べ物
- 適切な味付けがされていない物
は食べませんでした。
他には、
- 祭祀で頂いた肉は当日中に食べる
- 自分の家に供えた肉は三日以上は持ち越さず、三日を過ぎれば食べない
- 食べる時には話さない
などのマイルールがあったそう。
食へのこだわりがすごい!(笑)
型崩れした物、切り口の雑な物は食べないだなんて、主婦からしたら、「は?」の一言ですけどね。
徳を積んでいない私なら、「じゃ~食べなくていいです。」といって、お皿を下げちゃうよ、孔子さん。
まとめ 孔子はどんな人?分かりやすいおすすめ作品
孔子の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードについて紹介しました。
簡単にまとめておきましょう。
- 孔子は「仁」「礼」「義」を重んじた思想の持ち主だった
- 孔子の思想は生前、諸侯たちに受け入れられなかった
- 孔子には門人が3000人もいた
- 孔子の思想は死後に『論語』にまとめられた
- 孔子は儒教の祖とされている
- 孔子は食へのこだわりが強い人だった
『論語』は絶対に読んで欲しい作品です。
簡単に読んで、『論語』のエッセンスだけでも感じたいと言う人におすすめなのが、
- 『世界一わかりやすい「論語」の授業』一条真也
です!
イラストや漫画付きで、『論語』の導入として読みやすいです。
もう少し詳しく読みたいぞ!と言う人には、
- 『論語』(角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典
がおすすめですよ。
以上、「孔子の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソード」でした。
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