ムンクの性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

『叫び』を描いたエドヴァルド・ムンクは世界の中でも有名な絵師の1人です。

誰しも1度は目にしたことがあるであろう代表作『叫び』は人間の抱く不安や恐怖心を描いたとされています。

『叫び』の他に『不安』『思春期』『マドンナ』といった代表作品を残しています。

そんなムンクの作品が2019年1月20日まで東京都美術館でみることができます。

特別展である「ムンク展―共鳴する魂の叫び」は、ムンクの作品約100点が展示され、日本初公開となる作品も含まれています。

そこで、今回はエドヴァルド・ムンクの

  • 生い立ち
  • 経歴
  • 性格
  • エピソード

をご紹介いたします。

これを読めば、ムンクの生い立ちや経歴、性格、エピソードなどを知ることができ、「ムンク展―共鳴する魂の叫び」をより楽しむことができますよ。

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ムンクの生い立ちとは?家族や兄弟、父親や子供は?

エドヴァルド・ムンクは1863年、ノルウェーのロイテンという町で誕生しました。

1863年は日本の江戸時代にあたります。

  • 医師をしていた父のクリスティアン・ムンク
  • 母のラウラ・カトリーネ・ビョルスタ

のもとで誕生したムンクは生まれて間もなく、国内のオスロという街に引っ越します。

ムンクには

  • 長女のヨハンネ・ソフィーエ(1862年生)
  • 弟で次男のペーテル・アンドレアース(1865年生)
  • 妹で次女のラウラ・カトリーネ(1867年生)

の兄妹がいました。

1868年、ムンクが5歳になったとき母を結核で亡くし、1877年が14歳の時に姉もまた結核で亡くします。

この出来事はかなりムンクにとってつらい出来事で、のちの彼の作品に影響することとなります。

ムンクは後に、女性と交際することとなりますが、生涯独身を貫きました。

よってムンクには子供はいません。

ムンクの経歴や生涯。最後は?

1880年、王立絵画学校に入学すると、1883年頃から

  • 画家クリスチャン・クローグ
  • 作家ハンス・イェーゲル

などと交流を深めました。

この頃、自身の作品

  • 油絵『習作・若い女の頭部』
  • 『ストーブに火をつける少女』
  • 『朝(ベッドの端に腰掛ける少女)』

展示会に出品するも評価は低くかったとされています。

1885年4月、ムンクは

  • 『春』
  • 『思春期』
  • 『病める子』
  • 『その翌朝』

を描きました。

この頃に描いた『病める子』という作品は結核で亡くなった母と姉を思い描いたとされています。

1889年10月、ムンクは政府奨学金を与えられ、デッサンを学ぶため1892年にかけてパリへと留学をします。

同年12月、留学先のパリにいたムンクのもとに父が亡くなったという知らせが入りました。

この頃に描いた『サン=クルーの夜』という作品は、孤独や寂しさが感じとられ、父を亡くしたムンクの心情が見えます。

当時の日記には

「私は、そのような作品をこれから数多く制作しなければならぬ。もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ。」

と記されており、母や姉、また父を亡くし「死」を意識し始めたムンクが残したこの文章はサン=クルー宣言と呼ばれています。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF#%E5%B8%B0%E5%9B%BD%E3%80%81%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%EF%BC%881892%E5%B9%B43%E6%9C%88-1896%E5%B9%B42%E6%9C%88%EF%BC%89

留学中、最先端の芸術であった

  • 印象派
  • ポスト印象派
  • ナビ派

などの技法を学び1892年、ノルウェーに帰国します。

テーマ「生命のフリーズを構成し始める

帰国したムンクは「生命のフリーズ」というテーマの構成を固め始めます。

この「生命のフリーズ」は「死」を意識し始めたムンクが残したサン=クルー宣言が発端となっており、同年、ベルリン芸術家協会を招き個展を行いました。

この個展には愛と死をテーマにした「生命のフリーズ」とされる

  • 『朝』
  • 『接吻』
  • 『不安』
  • 『メランコリー』
  • 『春』
  • 『病める子』

などの作品が展示されました。

しかし、この作品は厳しい批判を受けることとなり、個展は1週間で打ち切りとなります。

1892年12月になるとムンクは

  • スウェーデン人作家のヨハン・アウグスト・ストリンドベリ
  • ポーランド人学生のスタニスワフ・プシビシェフスキ

らとともに哲学を熱く論じる日々を送ります。

この時期にムンクの代表作『叫び』の他

  • 『愛と痛み(吸血鬼)』
  • 『マドンナ』
  • 『星月夜』
  • 『死んだ母親』
  • 『病室での死』
  • 『不安』

などを描きました。

1895年3月になるとアクセリ・ガッレン=カッレラとともにベルリンで共同展覧会を開き、同年6月になるとムンクの初となる画集が出版されます。

また10月にはクリスチャニアのカール・ヨハン通りで大規模な作品展が催しされ、ムンクは愛と死をテーマにした「生命のフリーズ」の作品などを出展しました。

このように画家として前進を見せる一方、

  • 1894年から精神分裂病で妹ラウラ・カトリーネが入院
  • 1895年12月頃に肺炎で弟のペーテル・アンドレアースを亡くす

など家族の不幸がありました。

このような不幸に対し、改めてムンクは「死」や「不安」と向き合うこととなります。

1896年2月になるとベルリンから離れパリで暮らすようになりました。

版画技術を身に着けてたムンクはこの頃になると、シャルル・ボードレールの詩集『悪の華』の挿絵を描いたとされていますが、油絵の制作は行われませんでした。

1897年7月、ムンクはノルウエーの町であるオースゴールストランに家を購入すると、そこで油絵の制作を開始します。

交際相手トゥラ・ラーセンとのピストル暴発事件

また翌年にはトゥラ・ラーセンという女性と交際を始め1899年4月には、トゥラ・ラーセンとともにローマに旅行に出かけます。

その後、

  • イタリア
  • ドイツ
  • フランス
  • オースゴールストラン

の各地を行き来しながら絵画制作を行い、1900年11月にベルリンに移り住みます。

この頃になると、ムンクと交際を続けていたトゥラ・ラーセンがムンクに結婚を迫るようになっていました。

これに対しムンクは、トゥラ・ラーセンは自身の自由を奪う存在と考え始めるようになり、トゥラ・ラーセンを避け始めます。

1902年6月、ムンクとトゥラ・ラーセンは友人の計らいでオースゴールストランで久しぶりに会うこととなりました。

しかし、ムンクに会ったトゥラ・ラーセンは自殺すると言いいピストルを持ち出したため、ムンクがそれを阻止しようともみ合いになったところ、ピストルが暴発したためムンクの左手中指は重症を負うこととなりました。

この結果、2人は破局となり、ムンクは後の1909年に記した手紙の中で「彼女の卑劣な行為が僕の人生を滅茶苦茶にしたんだ。」と記しています。

画家としてますます活躍を果たす

1903年1月、ベルリンで個展を開きます。

この頃、イギリスの女流ヴァイオリニスト、エヴァ・ムドッチを知ったムンクは、彼女を好きになり、その彼女をモデルにした『ブローチをつけた婦人』を残します。

その翌年には

  • 芸術商談であるベルリン分離派の正会員となる
  • ベルリンのブルーノ・カッシーラー画廊がムンクの版画作品の独占販売の契約を結ぶ

など、ますます絵師として活躍を果たしました。

その後も1905年2月から3月にかけて個展を開き、多くの若者がムンクの作品の虜となります。

  • 1906年にはベルリンの演出家マックス・ラインハルトに依頼され舞台装置の下絵を描く
  • 1907年には、室内劇場の休憩所の装飾を依頼され、「ラインハルト・フリーズ」を完成させる

このように依頼の仕事なども増えました。

精神病院に入院する

このように画業において成功を果たし続けるムンクでしたが、一方で1902年以降から病むようになったとされています。

 

その原因として

  • 相次ぐ家族の死
  • トゥラ・ラーセンとのピストル暴発事件と破局

などとされ、幼いころから「生」と「死」といった不安を抱えていたムンクはアルコールに溺れるようになりました。

1905年には画家仲間と殴り合いの喧嘩や、対人恐怖症の症状などが表れていたとされています。

1908年10月、アルコール依存症の治療のため自発的に精神病院に入院します。

その間も友人の協力のもと個展を開くなど画業を続けており

  • ノルウェー国立美術館がムンクの油絵を5点、購入
  • 著名なコレクターであるラスムス・メイエルがムンクの作品を多量に購入

したことによってムンクの実力は証明されました。

翌年の1909年、治療のために詩文集『アルファとオメガ』を執筆したムンクは、この治療が効いたのか同年に退院することとなりました。

しかし、健康と安定した精神を取り戻し退院したムンクは、それ以降、初期の作品よりも緊張感のない作品になったと指摘されています。

ナチスドイツから退廃芸術と認定される

退院したムンクは

  • ノルウエーのクラーゲリョーという小さな町
  • 1910年11月にはオスロ・フィヨルドの東岸ヴィトステーン
  • 1913年にはモス近郊

に移り住み、拠点を転々としました。

この頃、ムンクは友人に勧められクリスチャニア大学講堂壁画コンテストに応募し

  • 『太陽』
  • 『人間の山』
  • 『歴史』
  • 『アルマ・マーテル(母校)』

を制作しました。

その後、オスロ郊外のエーケリーに拠点を移すと

  • 風景画『星月夜』
  • フレイア・チョコレート工場の食堂の壁画
  • オスロの新庁舎大ホール正面壁画

などを制作します。

1937年、ドイツ・ナチスはムンクの作品を退廃芸術としてドイツ国内から排除しました。

ナチスは近代美術に変わり、ロマン主義的写実主義に即した英雄的で健康的な芸術を賞賛していました。

この場合の近代芸術とは、古典的な美から逸脱した作品のことを指しており、それらの作品を制作する人間は脳の病気であると考えていました。

このようなことからムンクの作品は退廃芸術とされドイツに展示される作品は全て撤去されます。

1940年4月9日、ドイツがノルウエーを侵攻した際もムンクは作品を描き続け

  • 『窓側の自画像』
  • 『自画像/深夜2時15分』
  • 最後の自画像となる『自画像/時計とベッドの間』

を描きました。

ムンクの最期

1943年12月12日、ムンクは自身80歳の誕生日を祝いましたが、その1週間後に自宅付近で破壊工作があり、自宅の窓ガラスが吹き飛ばされ、凍える寒さの中、気管支炎を起こし翌年の1944年1月23日、80歳で亡くなりました。

ムンクは生涯、様々な女性と交際したとされていますが、結婚したことはありませんでした。

自由に絵を描くため生涯独身を貫いたのかもしれません。

【エピソード】ムンクの人柄や性格が分かる逸話

ムンクは幼少期に母、思春期に姉を結核で亡くしています。

またムンク自身も幼少期から病弱体質であったとされ、精神疾患も患うこととなり、誰よりも「生」や「死」に不安や恐怖を抱いていました。

このようなムンクの心情は代表作『叫び』の他、『叫び』の類似作品とされる『不安』から読み取れます。

一方で、ムンクは1885年に自由恋愛主義を主張していたアナーキスト作家のハンス・イェーゲルに出会い、ムンクもまた自由恋愛主義を主張しました。

当時、ハンス・イェーゲルが主張していた自由恋愛主義はキリスト教的道徳に異を唱えていたものでした。

自由恋愛主義を唱えたムンクは、人妻・ミリー・タウロウと数年間交際します。

その後、トゥラ・ラーセンと交際するも破局し、その翌年には女流ヴァイオリニスト、エヴァ・ムドッチに好意を寄せ彼女をモデルとした『ブローチをつけた婦人』を描きます。

このように、「死」に怯えながらも、数々の女性と交際をしていたムンクは

  • 人妻・ミリー・タウロウとの性的な憂鬱を『思春期』
  • ヴァイオリニスト、エヴァ・ムドッチをモデルとした『ブローチをつけた婦人』
  • 愛人または聖母マリアを描いたとされる『モデル』

などを残しています。

しかし、このような「愛」をテーマにした作品のなかからも不安や恐怖といった感情が見られ、ムンクは恋愛や結婚というものが、自身の不安や恐怖心をより一層苦しめる存在であったと考えられます。

まとめ ムンクはどんな人?映画や小説はある?

ムンクの生い立ちや経歴、性格やエピソードのご紹介でした。

簡単にまとめると

  • 幼少期に母、思春期に姉を亡くし絵画制作に影響を与える
  • 愛と死をテーマにした「生命のフリーズ」を構成する
  • 交際相手トゥラ・ラーセンに結婚を迫られるも拒否し、一生独身を貫く
  • 精神病院に入院する
  • ムンクの作品はナチスドイツから廃棄芸術とされた
  • 「死」に関して誰よりも恐怖を抱いていた

『叫び』を描いたムンクは自身が病弱体質であった、母と姉を結核で亡くしたということから常に「死」の恐怖と不安を感じ過ごしていました。

一方で、女性との交際は数多くあったとされ、女性から人気があったことが分かります。

「愛」と「死」をテーマに描かれた作品は、東京都美術館で行われる「ムンク展―共鳴する魂の叫び」で見ることができます。

そんなムンクが登場する映画は「エドヴァルド・ムンク-生命のダンス-」です。

この映画はムンクの日記をもとに生涯を再現した映画で、ムンクの生涯を知ることのできる映画となっています。

他にも小説として

  • 野村太郎 さんの『ムンク』
  • ウルリヒ・ビショフさんの 『エドヴァール・ムンク』
  • 三木宮彦 さんの『ムンクの時代』

などがあります。

これを機にムンクに興味を持った方は映画 「エドヴァルド・ムンク-生命のダンス-」を見てみてください。

以上「ムンクの性格と経歴、生い立ちやエピソード」のご紹介でした。

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