井原西鶴はどんな性格の人物?生い立ちと作品、エピソードや逸話が面白い

江戸時代に活躍した浮世草子・俳諧師の井原西鶴。

庶民の生活をわかりやすい小説にしたことで一世を風靡した人です。

今回は

  • 井原西鶴の生い立ちとは
  • 俳諧師としての井原西鶴とは?
  • 井原西鶴の作品が面白い
  • エピソード・逸話から見る井原西鶴

について紹介します、

こちらを読めば、井原西鶴の生い立ちや作品、面白い逸話がわかります。

庶民の魅力満載でありながら、勉強にもなる井原西鶴の作品も一層楽しく読めます。

ぜひ最後まで読んでください。

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井原西鶴の生い立ち

井原西鶴は、寛永19年(1642年)頃、大坂の難波で生まれました。

本名は平山藤五だったと言われていますが、はっきりとはわかっていません。

生家は裕福な商家であったとされ

  • 明暦2年(1656年)  俳諧師(はいかいし)を目指す
  • 寛文2年(1662年)  俳諧の評価をする点者(てんじゃ)になる

俳諧師も目指して6年ほどで、人の俳諧に点数を付けるということは、今なら、小説を書き始めてほんの6年で各種文芸賞の審査員になるようなものです。

西鶴の俳句の才能は相当なものだったことがわかります。

  • 寛文11年(1671年)頃  西山宗因の弟子になる

西山宗因を祖とする俳諧は、伝統的な歌風ではなく、自由奔放で新鮮な歌風を重んじる派で”談林俳諧”と呼ばれていました。

伝統的な俳諧を読む俳人たちからは”阿蘭陀流(おらんだりゅう)”とけなされていました。

それを見返そうと、西鶴は「即吟(そくぎん)」を行います。

即吟とは、軽妙な句を早くたくさん作ることです。

井原西鶴の俳諧師としての歴史が始まります。

俳諧師井原西鶴のすごいエピソードとは?

西鶴は「矢数俳諧(やかずはいかい)」が得意でした。 

矢数俳諧とは、京都三十三間堂で行われる「大矢数」を基にしています。1日のうちに三十三間堂の端から端まで射通した矢の数を競うという競技で、戦のなくなった江戸時代の武士たちにとって武術の腕を競う格好の大会でした。今でも毎年1月に行われている「通し矢」は、「大矢数」の名残です。

西鶴は、よく矢数俳諧の興行を行いました。

  • 延宝元年(1673年)   大坂生國魂神社で万句俳諧興行を行う『生玉万句』
  • 延宝3年(1675年)   妻が亡くなり、剃髪する
  • 同年          誹諧独吟一日千句を行う

西鶴が矢数の記録を作ると、それが塗り替えられ、また西鶴が記録を更新するということが繰り返されていました。

談林俳諧の意地もあったのでしょうか。西鶴のチャレンジ精神はすごいものです。

しかし天和2年(1682年)に師匠の西山宗因が亡くなると、談林俳諧自体が下火になってきました。

同じ時代に生きた松尾芭蕉の作風が流行して来たこともその原因と考えられます。

ところが、貞享元年(1684年)には、西鶴は再び矢数俳諧を行い、なんと23,500句もの俳句を詠む独吟興行を達成しています。

負けず嫌いの西鶴、松尾芭蕉への対抗心がエネルギーになったのですね。

井原西鶴の性格がわかる逸話と作品が面白い

西鶴が小説デビューをしたのは、40代に入ってからです。

初めての作品があの有名な

  • 好色一代男   天和2年(1682年) 刊行

全8巻ある長編小説で、主人公は世之介という庶民です。

好色な(女好き)世之介の生涯を面白おかしく描いる作品で、詠みやすい文体と親しみやすい内容で大人気となりました。

よく翌年には、有名な絵師菱川師宣が挿絵を描いた江戸本も出版されました。

以後「好色五人女」「好色一代女」「諸艶大鑑(しょえんおおかがみ):好色二代男」などを立て続けに出版します。

これらの作品は、「好色物」と言われました。

西鶴の作品は、庶民生活の中によくある話を書いた小説として”浮世草子”作者としてどんどんと人気が出ます。

西鶴は、「好色物」以外にも

  • 武家物
  • 町人物
  • 雑話物

などをテーマに次々と書きました。

  • 貞享3年(1686年) 本朝二十不孝 (雑話物)
  • 貞享4年(1687年) 武道伝来記 (武家物)
  • 貞享5年(1688年) 日本永代蔵  (町人物)
  • 元禄5年(1692年) 世間胸算用  (町人物)

身近なテーマで書かれた浮世草子は、世間の人々に広く受け入れられ井原西鶴は、浮世草子作家として超売れっ子となります。

西鶴のもう一つの顔は、人形浄瑠璃の脚本家です。

浮世草子を書きながら、貞享2年(1685年)には、浄瑠璃の脚本「暦」を制作しています。

俳諧師の頃と同じように、なんてスピーディでバイタリティ溢れる創作活動でしょうか。

このエネルギッシュな作家活動は、西鶴が亡くなるまで続きました。

  • 元禄6年(1696年)  井原西鶴51歳で亡くなる

西鶴が亡くなった後、遺稿集として

  • 西鶴置土産
  • 西鶴織留 
  • 西鶴俗つれづれ
  • 西鶴文反故

が次々に出版されました。

大坂に生まれ、育った井原西鶴は、活気にあふれる大坂の元禄文化を象徴するような人物だったのです。

まとめ:井原西鶴の生い立ちと作品、エピソードが面白い

今回は、井原西鶴について紹介しました。

ざっとまとめましょう。

  • 井原西鶴は元禄文化を代表する人物
  • 西鶴は俳諧師・浮世草子作家・人形浄瑠璃脚本家の顔を持つ
  • 井原西鶴は矢数俳諧の達人
  • 井原西鶴はバイタリティ溢れる創作活動を貫いた

井原西鶴の浮世草子は、今読んでも面白い作品です。

時にはためになる話もありますが、押しつけがましくなくて楽しく読めます。

興味のある人は一度読んでみてください。

井原西鶴をもっと知りたい人には、これがオススメです。

  • 西鶴人情橋  吉村正一郎  1993年刊行

第3回時代小説大賞を受賞した作品です。井原西鶴と剣客磯辺信十郎との奇妙な友情や恋、剣の人情物語。

1994年には新春時代小説大賞スペシャルとして、テレビ朝日系列でドラマ化されています。

西鶴を笑福亭鶴瓶さん、剣の達人磯辺を松平健さんが演じていらっしゃいます。

何といっても大阪弁バリバリの鶴瓶西鶴が最高ですよ。

  • 気楽に江戸奇談!RE:STORY井原西鶴  西鶴研究会  2018年

井原西鶴の代表的な12話が現代文で書かれています。いきなり西鶴の長編はちょっと・・・。というならこちらから読んでみてはいかがでしょう。

今も昔も変わらない人の面白さ・怖さが味わえる一冊です。

以上「井原西鶴の生い立ちと作品、エピソード・逸話が面白い」でした。

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