元寇のなぜをわかりやすく解説!2回来た目的とモンゴル側元軍が失敗して日本軍が勝てた理由とは?

今から約745年前、当時、中国大陸を支配していたモンゴル帝国とその属国・高句麗軍が日本に襲来しました。

モンゴル軍・高句麗軍の襲来は「元寇」「蒙古襲来」と呼ばれ、日本は「神風」とよばれる暴風のおかげでモンゴル軍・高句麗軍を追い返すことができたとされています。

このように習った方も多いのではないでしょうか。

 

しかし、調べてみるとモンゴル軍・高句麗軍を追い返したのは「神風」ではなく、多くの御家人たちの努力があったからということがわかりました。

 

そんな元寇の

  • 時期
  • 場所
  • 結果
  • モンゴル軍が日本に2度襲撃を仕掛けてきた理由
  • 日本軍が勝てた理由

などをわかりやすくご紹介いたします。

 

これを読めば元寇の内容や元寇が起きた時期や結果、場所やモンゴル軍が2度襲来してきた理由、日本軍が勝てた理由について知ることができますよ。

 

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元寇の内容を簡単に要約

元寇は今から約745年前の鎌倉時代にあたる文永11年(1274年)10月5日、モンゴル軍とその属国である高句麗軍が対馬に攻めてきた出来事です。

 

学校では「蒙古襲来」と習った方も多いかと思いますが、「元寇」「蒙古襲来」はどちらも同じ出来事をさしています。

 

モンゴル軍は文永11年(1274年)10月と弘安4年(1281年)5月に2度対馬に攻め込んできました。

 

  • 文永11年(1274年)10月の1度目となる襲来は文永の役
  • 弘安4年(1281年)5月の2度目となる襲来は弘安の役

と呼ばれており、この2つの襲来を合わせたものが「元寇」「蒙古襲来」と呼ばれています。

 

モンゴル軍が対馬に襲来した理由は、日本を属国にするためとされています。

 

こうしてモンゴル軍は文永11年(1274年)10月に対馬に上陸し、日本軍を襲撃するのでした。

 

これに対し、日本軍も防衛を行いますがモンゴル軍に追い詰められることとなります。

 

しかし、暴風雨が九州地方を襲ったおかげで元軍は撤退を余儀なくされることとなり、文永の役日本軍の勝利に終わりました。

 

その後再びモンゴル軍は対馬に上陸します。

 

しかし幕府は文永の役の後、再びモンゴル軍が攻めてきた時のことを想定し石築地の築造、また兵力の増加などを行っていました。

 

また、文永の役と同様に、九州地方に暴風雨が接近しモンゴル軍は撤退を余儀なくされ、弘安の役においても日本は勝利を飾る結果となりました。

 

2度に渡ってモンゴル軍を撤退に追いやった暴風雨は「神風」と呼ばれています。

 

しかし、過去の史料を見ても文永の役において、この時期に暴風雨が九州を襲った記録はなく、また元寇の記録が記された史料には、モンゴル軍が日本軍に追い詰められていたと記録されているため、文永の役においてモンゴル軍を撤退に追いやったのは「神風」と呼ばれる暴風雨のおかげではなく、現地で戦った武士の実力があったからこそとされています。

 

元寇が起きた時期について

元寇はモンゴル軍と高句麗軍が攻めてきた文永の役、弘安の役、2つの出来事をさしています。

 

文永の役、つまり1度目となるモンゴル軍の襲来は鎌倉時代にあたる文永11年(1274年)10月に起こりました。

 

2度目と襲来となる弘安の役は弘安4年(1281年)5月とされています。

モンゴル軍が襲来してきた理由について

ではなぜ、モンゴル軍は2度に渡り日本に襲来してきたのでしょうか。

 

ここでは

  • モンゴル軍が攻めてきた時の時代背景
  • モンゴル軍が2度に渡って日本に襲来してきた理由

をご紹介いたします。

元寇(文永の役・弘安の役)が起きた時代背景

鎌倉時代にあたる文永11年(1274年)10月、日本の対馬にモンゴル軍が上陸しました。

 

実は、モンゴル軍が日本に来たのはこれがはじめてではありません。

 

文永の役が勃発する約10年前の文永5年(1268)日本に初めてモンゴル帝国の帝王・フビライハンから使者が送られてきました。

 

フビライハンとはモンゴル帝国を創設したモンゴル帝国初代帝王チンギスハンの孫にあたる人物で、この時、フビライハンは第5代帝王となっていました。

 

当時、中国大陸の領土はモンゴル帝国の領土となっており、文永3年(1266)頃には中国大陸のみならず、ヨーロッパまで領土を広めていたとされています。

 

史上最大の帝国であったモンゴル帝国は1259年頃に、高句麗(今の韓国・北朝鮮)も支配していました。

 

高句麗はもともと隣国である日本との交流を持っていたため、高句麗人であったモンゴル帝国の官人はフビライハンに、高句麗と同じようにモンゴル帝国も日本と交流するよう勧めたとされています。

 

こうしてフビライハンは日本との交流を決意しました。

 

官人の勧めによって日本との交流を決意したフビライハンでしたが、それだけではなく対南宋攻略の一環として日本の交流を決意したともされています。

 

当時、勢力を広めていたモンゴル帝国でしたが、未だ中国王朝の1つである南宋は支配できていませんでした。

 

しかしモンゴル人はもともと遊牧民であり、また海に面していないため海軍を十分に持っていませんでした。

 

そのため隣国である日本を支配すれば海上ルートを確保することができると考え、日本との交流を決意したと考えられています。

 

こうして交流を決意したフビライハンはさっそく文永3年(1266)日本に使者を派遣しました。

 

その後も数回モンゴルから使者が派遣されることとなりますが、この1回目の使者派遣の頃には、フビライハンはすでに

「朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ」

「又勑藏用曰、爾還爾國、速奏軍額、不爾將討之、爾等不知出軍將討何國、朕欲討宋與日本耳、今朕視爾國猶一家、爾國若有難、朕安敢不救乎、朕征不庭之國、爾國出師助戰亦其分也、爾歸語王、造戰艦一千艘、可載米三四千石者、藏用對曰、敢不承命、但督之、則雖有船材、恐不及也、」

出典元:『高麗史』巻一百二 列伝十五 李蔵用 元宗九年五月二十九日の条

「或いは南宋、或いは日本、命に逆らえば征討す」

「庚寅、蒙古遣明威將軍都統領脱朶兒武徳將軍統領王國昌武略將軍副統領劉傑等十四人來、詔曰、卿遣崔東秀來奏、備兵一萬造船一千隻事、今特遣脱朶兒等、就彼整閲軍敷、點視舟艦、其所造船隻、聽去官指晝、如耽羅已與造船之役、不必煩重、如其不與、即令別造百艘、其軍兵船隻、整點足備、或南宋或日本、逆命征討、臨時制宣、仍差去官先行、相視黑山日本道路、卿亦差官、護送道達。」

出典元:『高麗史』巻二十六 世家二十六 元宗二 元宗九年(十月)庚寅(十三日)の条

と述べていたとされ、日本と南宋の討伐を決めていたことがわかります。

 

こうして1回目となる使者が文永5年(1268)正月、大宰府に上陸しました。

 

大宰府とは九州の筑前国に設置されていた地方行政機関のことです。

 

この頃の鎌倉幕府はというと、8代執権に18歳の北条時宗が就任するといった大きな動きがありました。

 

そのため、日本と南宋の討伐を決めているモンゴル帝国が日本に上陸するということは、新たに執権が就任したばかりの幕府にとって大変危険な状況でした。

 

しかし、幕府には事前に中国大陸におけるモンゴル軍の暴虐行為などが報告されており、その対処としてあらかじめモンゴル軍の襲来に備えるよう御家人に伝えられていたとされています。

 

大宰府に上陸したモンゴル帝国の使者はモンゴル帝国は日本を臣下とする関係を望んでおり、それに反対するのならば武力を用いるといった内容の「大蒙古国皇帝奉書」を大宰府の鎮西奉行・少弐資能に渡したとされ、この「大蒙古国皇帝奉書」は鎌倉幕府へと送られることとなりました。

LetterFromKhubilaiToJapan1266.jpg
By Qubilai Qa’an/(transcribed by 東大寺宗性 Soushou (1202-1278)Todai-ji temple, Nara, Japan – Dschingis Khan und seine Erben, München 2005, p. 333, パブリック・ドメイン, Link

 

しかし、執権・北条時宗はこの手紙に一切返事をしなかったとされています。

 

無視を決め込んだ北条時宗に対し、モンゴル帝国は文永8年(1271年)再び対馬に上陸し、無視をする幕府に対し武力侵攻を警告します。

 

さすがに、武力侵攻を警告された北条時宗も行動をはじめ

  • 九州の御家人たちにモンゴル軍との戦闘準備をさせる
  • 異国警固番役を設置

するなどモンゴル軍の武力侵攻に備えました。

 

こうして文永11年(1274)10月5日、モンゴル帝国による日本の侵攻が始まったのです。

文永の役

モンゴル軍が文永11年(1274)10月5日、日本の対馬に上陸しました。

 

モンゴル軍とは元軍、高句麗軍の連合軍であり

  • 元軍は15,000から25,000人の主力軍
  • 5,300から8,000人の高句麗軍

また726から900艘の軍船が日本に上陸したとされています。

 

  • 10月5日には対馬を侵攻
  • 10月14日には壱岐を侵攻
  • 10月16-17日には肥前沿岸の松浦郡および平戸島・鷹島・能古島の松浦党の領地に襲来
  • 10月20日には博多湾に襲来

します。

 

これに対し、日本軍の御家人たちはなんとか防衛を行い、結果、侵略を防ぐことができ、モンゴル軍は撤退しました。

 

学校の授業で「神風」と呼ばれる暴風雨が九州地方を襲ったおかげで、モンゴル軍は撤退したと習った方が多いかと思いますが、日本側の史料『金剛仏子叡尊感身学正記』には20日に博多についたモンゴル軍は即撤退に終わる。

「十月五日、蒙古人著対馬、廿日、着波加多(博多)、即退散畢」

出典元:『金剛仏子叡尊感身学正記』

 

また『金剛集』にも博多についたモンゴル軍であったが、夜間に日本側の300余騎の軍勢が現れたため、撤退したと記されています。

 

また当時、九州地方を暴風雨が襲ったという記録はないため、文永の役においてモンゴル軍が撤退したのは、「神風」ではなく日本軍に苦戦を強いられたため撤退したということとなります。

弘安の役

モンゴル軍が撤退した文永の役の約13年後の弘安4年(1281年)5月21日再び、モンゴル軍が日本の対馬に上陸します。

 

5月21日に上陸したモンゴル軍は約140,000から156,989人の兵力であったとされ、26日になると対馬から近い壱岐島にも上陸しました。

 

実は鎌倉幕府は文永の役の後、またモンゴル軍が襲ってくると予想し

  • 異国警固番役の拡充
  • 新たに長門警固番役に設置
  • 蒙古軍襲来に備え、博多湾岸に長い石塁の構築

など国防強化を図りました。

 

石塁とは石で作られた防塁のことです。

北部九州の博多湾沿岸一帯に造られ、その距離約20キロメートルにも及んだとされています。

Takezaki suenaga ekotoba bourui.jpg
By 筆者不明。竹崎季長自身は絵巻を注文しました。 – 蒙古襲来絵詞, パブリック・ドメイン, Link

 

対馬、壱岐島に上陸したモンゴル軍に対し、日本軍は防衛を行いましたが、モンゴル軍によって占領されてしまいました。

 

次にモンゴル軍は博多湾から上陸し北九州を侵攻しようとしましたが、この長い石塁のおかげで博多湾からの侵入は断念されることとなりました。

 

日本軍が勝てた理由について

しかし、その後もモンゴル軍と日本軍の激戦は繰り広げたとされ、最終的に日本軍の攻撃を受けたモンゴル軍が撤退しようとした際、暴風雨がモンゴル軍の船を次々と破壊してしまったため、この混乱に乗じて日本軍の総攻撃が開始され、日本の勝利に終わりました。

 

実際に台風が九州地方を襲ったという記録もあるため、弘安の役においては「神風」と呼ばれる台風が日本軍に味方をしてくれました。

 

簡単にまとめると

  • 文永の役で日本軍が勝てたのは、日本軍によりモンゴル軍が苦戦を強いられたため
  • 弘安の役で日本軍が勝てたのは、偶然、台風が九州地方を襲い、混乱に陥ったモンゴル軍に総攻撃を仕掛けたため

ということとなります。

 

まとめ 元寇を描いたドラマやアニメや小説はある?

Mōko Shūrai Ekotoba.jpg
By 筆者不明。竹崎季長自身は絵巻を注文しました。 – 蒙古襲来絵詞, パブリック・ドメイン, Link

元寇が起こった時期やモンゴル軍が襲来してきた理由、日本軍が勝てた理由についてご紹介いたしました。

簡単にまとめると

  • モンゴル帝国のフビライハンが日本の侵攻を決意
  • モンゴル帝国は2度、日本を襲来
  • 文永の役は日本軍の活躍で、モンゴル軍を撤退させた
  • 弘安の役は台風が味方し、混乱に陥ったモンゴル軍を総攻撃し撤退させた

ということとなります。

学校の授業では元寇はあまり詳しく説明されていませんが、実は当時、モンゴル帝国は世界で最強の軍であったとされています。

そんなモンゴル軍を撤退に追いやった鎌倉幕府の執権・北条時宗は戦前まで日本において英雄視されることとなりました。

 

そんな元寇が描かれている有名な大河ドラマは「北条時宗」です。

この作品では

  • 北条時宗を狂言師の和泉元彌さん
  • フビライハンを中国出身の俳優・バーサンジャブさん
  • 北条時輔を俳優の渡部篤郎さん
  • 北条時頼を俳優の渡辺謙さん

が演じられています。

 

また、たかぎ七彦さんの漫画「アンゴルモア元寇合戦記」はテレビアニメ化されています。

 

これを機に元寇に興味を持った方は大河ドラマ「北条時宗」アニメ「アンゴルモア元寇合戦記」を見てみてください。

 

以上「元寇のなぜをわかりやすく解説!2回来た目的とモンゴル側元軍が失敗して日本軍が勝てた理由」のご紹介でした。

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