新元号「令和」は「万葉集」の「梅花の歌」三十二首の序文が出典とされています。
この「梅花の歌」は「万葉集」の編者として知られている大伴家持の父・大伴旅人の邸宅で開かれた梅の花をめでる宴で詠まれたとされています。
大伴旅人の邸宅は現在の福岡県太宰府市にある坂本八幡宮付近とされており、「令和」が新元号となった今、坂本八幡宮は「令和」のゆかりの地として人気を集めています。
そこで今回は「令和」のゆかりの地となった坂本八幡宮について調べてみました。
By 内閣官房内閣広報室 – 首相官邸ホームページ, CC 表示 4.0, Link
「令和」の出典となった「万葉集」の「梅花の歌」三十二首の序文とは
「令和」の出典となった「万葉集」の「梅花の歌」三十二首の序文をご紹介いたします。
By 日本古典籍データセット(国文研所蔵)CODH配信, CC 表示-継承 4.0, Link
天平二年正月十三日に、師の老の宅に萃まりて、宴会を申く。時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。加之、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾け、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封めらえて林に迷ふ。庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに天を蓋とし、地を座とし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放にし、快然と自ら足る。若し翰苑にあらずは、何を以ちてか情を述べむ。詩に落梅の篇を紀す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦して聊かに短詠を成すべし。
この序文は大伴旅人の邸宅で開かれた宴会の様子が記されており、
天平二年正月十三日 師の老の宅に萃まりて宴会を申く。時に初春の令月にして気淑く風和ぎ梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫す。
から新元号が決められ、「新元号は人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」といった意味がこめられました。
天平2年の正月に大伴旅人の邸宅で開かれた宴には九州の役人や陰陽師など31人が招かれたとされています。
大伴旅人とは
パブリック・ドメイン, Link
大伴旅人とは一般的に「万葉集」を編集したとされる大伴家持の父にあたる人物です
飛鳥時代にあたる天智天皇4年(665年)に誕生し、神亀5年(728年)頃に大宰帥として妻・大伴郎女、息子・大伴家持を連れ大宰府に赴任してきました。
和歌の才能もあり「万葉集」にも78首が収録されています。
お酒を題材にした和歌を13首読んでいることから、大伴旅人はお酒好きであったのではと考えられます。
天平3年(731年)7月25日に67歳で亡くなりました。
「令和」のゆかりの地は大宰府跡地のすぐ近くにある坂本八幡宮
その宴が開かれた大伴旅人の邸宅は現在の福岡県太宰府市にある坂本八幡宮付近(福岡県太宰府市坂本3丁目14)とされています。
坂本八幡宮は大宰府跡地のすぐ近くにあります。
By Heartoftheworld – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
コメント