あなたは伊達成実(しげざね)という人物をご存知ですか。
伊達と聞いてまず思い浮かぶのは、独眼竜の異名で有名な伊達政宗でしょう。
伊達成実は伊達政宗の親戚であり、伊達政宗を家臣の立場から支えた人物です。
また、伊達成実は伊達家の重臣であった片倉景綱(片倉小十郎の名で有名)と双璧をなし、「智の片倉景綱、武の伊達成実」と称されていました。
今回は伊達成実について
- 伊達成実の生い立ちとは?
- 伊達成実の経歴や最後は?
- 【エピソード】伊達成実の人柄や性格が分かる逸話
を紹介します。
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— JG7MER / Ackee (@inuwashi_10) 2019年4月15日
伊達成実の生い立ちとは?
伊達政宗に仕える
伊達成実は永禄11年(1568年)に
- 父は伊達実元(伊達稙宗の5男)
- 母は鏡清院(伊達晴宗の次女)
の子として生まれます。
幼名は時宗丸で、幼少の頃には専念寺(時宗の寺)の住職である了山和尚から学問を学びます。
そんな幼少期を過ごしていた伊達成実は、この後に伊達本家の当主・伊達政宗に仕えることになります。
伊達成実と伊達政宗の関係性
ただ、伊達成実と伊達政宗の関係はちょっとややこしいので、ここで少しだけ紹介します。
まずは以下の図を見てください。
上の関係図の通り伊達政宗は伊達成実から見ると
- 父方(伊達実元)の家系から見ると従兄弟違い(従兄弟の子ども)
- 母方(鏡清院)の家系から見ると従兄
にあたります。
また、両者の生年を見てみると
- 伊達成実が永禄11年(1568年)
- 伊達政宗が永禄10年(1567年)
と伊達成実は伊達政宗より1歳年下ということになります。
ほかにも、伊達本家と伊達分家の立場として見たときに一つの事件が出てきます。
伊達成実が生まれる20年ほど前に伊達家内では天文の乱(1542~1548)という内乱が起こります。
対立構造としては
- 14代目当主の伊達稙宗派
- 15代目当主の伊達晴宗派
の父子対立です。
この乱は伊達稙宗が息子の伊達晴宗に家督を譲る形で収束しますが、伊達成実の父・伊達実元は負けた伊達稙宗に味方していました。
結局、伊達実元は伊達本家の伊達晴宗に降伏することで許されましたが、一時的に伊達成実の家系は伊達本家と対立していたということも覚えておくといいですね(伊達成実にとっては間接的な事件ですが)。
伊達成実の生涯や最後は?
~伊達政宗に仕え活躍をする~
天正7年(1579年)に伊達成実は11歳で元服します。
元服の際の烏帽子親(えぼしおや)は16代目当主の伊達輝宗(伊達政宗の父)が務めています。
伊達輝宗 Wikipediaより 烏帽子 Wikipediaより
天正11年(1583年)には15歳で家督を継ぎ大森城(福島県福島市にあった城)の城主となり、伊達領の南側を抑えます。
また、天正12年(1584年)に伊達政宗が伊達本家の家督を継ぐと、伊達成実は1歳年上の伊達政宗に仕えます。
そして、以降は伊達政宗の重臣として伊達家を支えていきます。
とくに、天正13年(1585年)の人取橋の戦い(伊達軍vs南奥羽諸大名連合軍)で伊達軍が壊滅寸前まで追い込まれた際には、伊達成実は奮戦し撤退する伊達政宗を逃がします。
その後は二本松城(福島県二本松市)の城主として
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天正16年(1588年) → 郡山合戦(vs蘆名・相馬連合軍)では寡兵(わずかな兵)で敵をしのぎ、敵方であった大内定綱を寝返らせる
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天正17年(1589年) → 摺上原の戦い(vs蘆名軍)では序盤は劣勢を強いられたが、成 実の軍が側面を攻撃し劣勢を覆す要因をつくる
などの重要な戦で活躍し伊達家の領土拡大に貢献します。
~豊臣政権下での活躍と伊達家からの出奔~
伊達成実の活躍もあり伊達家は東北地方では最大勢力の力を持つことができました。
しかし、天正18年(1590年)の頃には、すでに豊臣秀吉が関東地方より以西を手中に治めていたことから、伊達家の勢力拡大は勢いを失います。
同年5月には豊臣秀吉が関東を治めていた北条家を討つために小田原城へ進軍します(小田原征伐)。
この小田原征伐の際には主君の伊達政宗も参陣し、伊達家は豊臣秀吉に臣従することになります。
一方、伊達政宗が小田原に行っている間には、伊達成実は黒川城(福島県会津若松市追手町)に入り留守役を務めています。
小田原征伐によって豊臣秀吉が天下統一をすると、東北地方は奥州仕置と呼ばれる領国の整理が行われ、伊達家は本拠を黒川城から岩出山城(宮城県大崎市)に移されます。
また、伊達成実は二本松城から角田城(宮崎県角田市)に領地を与えられます。
豊臣政権下での伊達成実の活躍を見てみると
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天正18年(1590年) → 葛西大崎一揆(奥州仕置によって改易された葛西氏・大崎氏)を鎮圧する
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文禄元年(1592年) → 朝鮮出兵(文禄の役)に従軍する
といった活躍をします。
ところが、文禄4年(1595年)頃に伊達成実は突如として伊達家から出奔(行方不明)します。
伊達成実が出奔した理由についてはエピソードのところで紹介します。
~伊達家への帰参と藩臣としての活躍~
伊達成実が伊達家を出奔してから約5年後の慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こります。
この関ヶ原の戦いはあなたもご存知の通り徳川家康の東軍が勝利し、3年後の慶長7年(1603年)に徳川家康が江戸幕府を開きます。
一方、伊達政宗は関ヶ原の戦いが起こると東軍方に味方し、東北で西軍方の上杉軍と戦い勝利しています(長谷堂城の戦い)。
また、関ヶ原の戦いの後に、伊達成実は伊達政景(政宗の伯父)と片倉景綱の説得によって伊達家に戻り亘理城(わたりじょう)を与えられます。
伊達家への復帰後の伊達成実の活躍は以下のようなものがあります。
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慶長11年(1606年)、五郎八姫(政宗の長女)と松平忠輝(家康の6男)の婚礼の際の使者を務める
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徳川家康の最後の戦いである大坂の陣(1614年~1615年)に参戦する
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元和8年(1622年)、最上氏が改易されると野辺沢城を接収する
寛永13年(1636年)に主君の伊達政宗が亡くなると、伊達成実は家督を継いだ伊達忠宗(政宗の次男に)に仕えます。
さらに、寛永15年(1638年)に伊達家(仙台藩)が洪水への対策費用として幕府から銀を借りた際には、伊達成実が伊達忠宗の名代として江戸に赴き徳川家光に謁見します。
伊達政宗の最期
これ以降は、伊達成実は領地であった亘理郡内の開発や復興に尽力し、とくに農業面においては灌漑設備の整備や塩田の開発を行っています。
そして、正保3年(1646年)に養嗣子(養子が後継者)であった伊達宗実(伊達政宗の9男)に家督を譲り数ヶ月後に79歳で亡くなりました。
1歳上であった伊達政宗よりも伊達成実は10歳も長く生きました。
伊達成実の家系は亘理伊達家として明治維新まで続き、維新後は胆振国有珠郡(いぶりのくに うすぐん)に移住し現在の北海道伊達市を開拓しています。
また、北海道札幌市には伊達成実を祭神とする琴似神社があります。
【エピソード】伊達成実の人柄や性格が分かる逸話
先程少しだけ触れた伊達成実が出奔した理由について紹介します。
まず、伊達成実が出奔した時期ははっきりしておらず、文禄4年(1595年)から慶長3年(1598年)の間だと言われています。
伊達成実が文禄の役(1592年)から帰還した後に、伊達政宗は成実への俸禄を少なくします。
少なくした理由はわかっていませんが、これが出奔した理由ではないかと考えられています。
さらに、俸禄の減俸とともに伊達成実は伊達家中での席次(座席の順序、成績をさすこともある)を第二位にされます。
この時、席次第一位となったのが石川昭光という人物です。
この石川昭光は伊達政宗の伯父(政宗の父・輝宗の弟)で伊達家の一門でしたが、陸奥国石川郡三芦城の角田石川家の養嗣子となっていました。
しかし、豊臣秀吉の奥州仕置で角田石川家は領地を失ってしまいます。
そこで伊達政宗は石川昭光を客分として迎え入れます。
しかし、この石川昭光は天正13年(1585年)の人取橋の戦いでは伊達軍の敵であった義兄の佐竹義重に味方し、伊達政宗・伊達成実とは敵対関係にありました。
そんな石川昭光が自身より席次が上にいるのを伊達成実は許せなかったのでしょう。
また、出奔している間に伊達家以外の戦国大名から家臣に誘われています。
上杉景勝や徳川家康からも家臣になるように誘いを受けていましたが、伊達成実はこれらを拒否し伊達家に戻りました。
伊達家に戻ってからは石川昭光とともに上杉方の白石城を攻撃しています。
まとめ 伊達成実はどんな人?大河ドラマや映画はある?
ここまで伊達成実について紹介してきました。
まとめてみると
- 伊達成実は伊達政宗の従弟だった
- 伊達成実は伊達政宗の重臣だった
- 伊達成実は一時的に伊達家を出奔した
- 伊達成実は伊達政宗よりも長生きした
伊達成実が登場する大河ドラマには1987年に放送された『独眼竜政宗』があります。
伊達成実を俳優の三浦友和さんが演じています。
ほかにも有名な俳優がこのドラマにでています。
- 伊達政宗 → 渡辺謙
- 伊達輝宗 → 北大路欣也
- 鬼庭左月 → いかりや長介
- 豊臣秀吉 → 勝新太郎
- 徳川家康 → 津川雅彦
ぜひ観てみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
以上、「伊達成実の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い」でした。
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