今では、誰でも気軽に撮ることができる写真。
上野彦馬は日本における初期の写真の歴史を支えたカメラマンです。
今回は、上野彦馬について
- 上野彦馬の生い立ちや家族を紹介
- 上野彦馬の性格がわかる面白エピソードとは
- 上野彦馬の人物像が分かる面白い逸話とは
を紹介します。
これを読めば、上野彦馬の生い立ちや家族構成・エピソード・逸話などがわかります。
上野彦馬が情熱を注いだ写真技術のすべてや、後世に残した影響などを知ることができます。是非、ご覧ください。
パブリック・ドメイン, Link
上野彦馬の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い
上野彦馬の生い立ちや家族を紹介
上野彦馬は、江戸時代後期から明治時代にかけて活動した、日本における初期の写真家で、日本最初の戦場カメラマンです。
上野彦馬は、天保9年(1838年)、長崎銀屋町で蘭学者の父・上野俊之丞と、母・伊曽の第五子(次男)として生まれました。
咸宜園で2年間学び、その後、安政5年(1858年)には医学伝習所内の舎密試験所で舎密学を学びました。
咸宜園というのは、文化2年、江戸時代の哲学者・広瀬淡窓によって現在の大分県日田市に創立された全寮制の私塾のことです。
この時、蘭書から湿板写真術の存在を知ります。
そして彦馬とその同僚、堀江鍬次郎はこの湿板写真に大きな関心を持ちます。
これが、彦馬の人生を変える大きな出会いとなりました。
写真術の研究を深める
まず、彦馬と堀江は蘭書を頼りにその技術を習得に励みます。
写真湿板とは、写真技術で用いられたフィルム・乾板・印画紙など写真乳剤を塗布した製品(感光材料)の一種のことです。
そして彦馬らはなんと、感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功します。
そしてさらに化学の視点から写真術の研究を深めました。
蘭書を頼りに自分たちで写真の技術の習得に励み、必要な化学薬品の自製に成功するなんてすごいですよね!
上野彦馬の性格がわかる面白エピソードとは
その後、堀江とともに江戸に出て数々の写真を撮影してまわり世間の注目を集めます。
後の文久2年(1862年)、堀江と共同で化学解説書「舎密局必携」を執筆しました。
撮影局を開業
また同年、故郷の長崎に帰郷し、上野撮影局を開業しました。
さらにこのほぼ同時期には、鵜飼玉川や下岡蓮杖がそれぞれ写真館を開業しています。
さらに彦馬は、坂本龍馬や高杉晋作ら幕末に活躍した志士の肖像写真を数多く撮影したことで有名です。
これらのことから、上野彦馬は、日本における最初期の職業写真家ともいわれています。
坂本龍馬は、自分の顔を覚えてもらうために名刺代わりに自分の写真を配っていたという話が残っています。
西郷隆盛なども写真嫌いではなかったら彦馬に写真を撮ってもらっていたのかなと想像が膨らみますね!
日本初の天体写真、金星の太陽面通過の観測写真の撮影に成功
また、維新後の明治7年(1874年)には日本初の天体写真、金星の太陽面通過の観測写真の撮影に成功します。
日本初の戦場カメラマンでもあった
明治10年(1877年)には、日本初の戦跡写真として西南戦争の戦跡を撮影します。
同年開催の第1回内国勧業博覧会で鳳紋褒賞を受賞、その写真は現在も歴史・文化的に高い評価を受けています。
彦馬は、日本初の戦場カメラマンでもあったのです。
一方で後進の指導にも積極的で、ウラジオストク、上海、香港など海外にも支店を持ち、写真業繁栄にも務めました。彦馬は富重利平や田本研造ら多くの門人を輩出しました。
上野彦馬の最期
明治37年(1904年)、長崎で死去。
享年67歳でした。
上野彦馬の人物像が分かる面白い逸話とは
蘭学者である彦馬の父・俊之丞は、ガラス製造や世界地図の製作、さらには絵や時計細工なども嗜んでいました。
とにかく多才な人だったんですね!
出島のオランダ商館にも出入りしており、長崎を訪れるた蘭学者は、よく俊之丞の家を訪ねたといわれているほどでした。
そんな俊之丞の功績の1つに挙げられるのが、写真技術の輸入でした。
このような人を父に持った彦馬なら、写真に興味を持つのもむしろ自然と思われますね!
ちなみに日本で最初に写真撮影された人物は薩摩藩11代目藩主・島津斉彬といわれています。
さらに彦馬の代表的な作品といわれている坂本龍馬の肖像写真ですが、減殺の研究では彦馬の弟子、井上俊三の撮影であるといわれています。
まとめ:上野彦馬はどんな人?分かりやすいおすすめ作品
上野彦馬の生い立ちや家族、面白エピソードや逸話について紹介しました。
最後に上野彦馬についてまとめておきますね!
- 天保9年(1838年)、蘭学者の父の元に上野家の次男として生まれる。
- 父親の上野俊之丞は蘭学者のなかでも多才で信頼される人物だった。
- 咸宜園で2年間学んだ後、医学伝習所で舎密学(化学)を学んだ。
- 蘭書に描かれた湿板写真に大いに興味を持ち同僚らと、その技術を習得、感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功する。
- 堀江鍬次郎と共同で化学解説書「舎密局必携」を執筆。
- 維新後は、日本初の天体写真や戦跡写真を撮影。
- 海外に支店を持ち、後進の指導にも力を注いだ。
上野彦馬は、生涯を写真に捧げた情熱的な人物だったんですね!
上野彦馬の写真にかけた情熱をもっと知りたい!という人にはこの2作品がオススメです。
- 「上野彦馬ー科学者でもあった写真師」(ヴォルフガング・ミヒェル、鳥井裕美子、川嶌眞人編『九州の蘭学ー越堺と交流ー』所収・2009年/著.本馬貞夫)
- 「レンズが撮らえた幕末の写真師上野彦馬の世界」(山川出版社・2012年/小澤健志、上野一郎監修)
ぜひ、上野彦馬が広めた写真の技術に想いをはせながら、今の写真の在り方を考えてみてください。
以上、「上野彦馬の生い立ちや家族、面白エピソード・逸話」でした。
コメント