岩山糸(西郷糸子)の生涯とは?西郷隆盛との子供は誰?

幕末

あなたは今年の大河ドラマ「西郷どん」は見てらっしゃいますか?

この大河ドラマの中でも幼馴染ヒロインとして登場する西郷隆盛の妻、岩山糸は、黒木華さんが演じられました。

西郷隆盛は西郷どん、西郷さんの愛称で親しまれ坂本龍馬との関係性の深い人物なので、よく知っている!という方は多いですよね。

 

しかし、坂本龍馬の妻・お龍さんは知っていても、西郷隆盛の妻について知っているという方は少ないのではないでしょうか。

そこで今回は岩山糸について調べてみました。

  • 糸の生い立ち
  • 糸の生涯
  • 西郷隆盛との子供

この3つをご紹介いたします。

こちらを読めば、岩山糸(西郷糸子)の生涯や西郷隆盛との子供が誰かわかって、大河ドラマがさらに楽しくなりますよ

>>大河ドラマ「西郷どん」

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岩山糸(西郷糸子)の生い立ちは?

岩山糸は1843年に薩摩藩士であった岩山八郎太直温の次女として誕生しました。

糸には兄弟が5人おり、その2番目の次女でした。

岩山糸の生い立ちについて残念ながら詳しくは分かりませんでしたが、西郷隆盛と結婚する前に、海老名家に1度、嫁いでいたようです。

なので、西郷隆盛とは再婚にあたります。

 

岩山糸(西郷糸子)の生涯

岩山糸は海老名家に1度嫁いでいた女性でした。しかし、紆余曲折あって、離婚。

西郷隆盛の嫁として再婚します。

しかし、そんな西郷隆盛も離婚を経験しており、糸が3人目の妻になります。

西郷隆盛と再婚したのは1865年のことです。

ここでは岩山糸の生涯を分類してご紹介いたしますね。

  • 西郷隆盛の結婚歴
  • 岩山糸との再婚
  • 結婚生活

 

西郷隆盛の結婚歴

西郷隆盛は1827年に薩摩で生まれた人物で、糸よりも16歳上の男性でした。

西郷隆盛の1度目の結婚は24歳の時です。相手は伊集院須賀という女性でとても美人であったそうです。しかし、伊集院須賀の体調不良が原因で2年の結婚生活に幕を閉じました。

西郷隆盛2度目の結婚は愛加那という女性です。「あいかなとぅま」と変わった読み方をする女性でした。

奄美大島の龍家の分家の娘であったようで西郷隆盛が幕府の捕縛から逃げるため、潜伏した奄美大島で出会ったとされています。

2人の間には2人の子供が授かりましたが、西郷隆盛が薩摩藩から帰国命令が出され約3年の結婚生活が終わりました。

西郷隆盛は人たらしな性格であったようで、そのためか女性からモテモテだったようですね。

2度の離婚を経験しましたが、不仲で離婚したケースはありませんでした。

 

岩山糸との再婚

こうして、2度の離婚を経験した37歳の西郷隆盛と21歳の岩山糸は小松帯刀の媒酌にて1865年1月に結婚したとされています。

この時、西郷隆盛は蛤御門の変や長州征伐の参謀としてとっても活躍していました。

結婚が成立した1865年は薩長同盟が結ばれる前後に当たる時期なので、西郷隆盛は多忙を極めていたようです。

そんな中、ヘトヘトであろう西郷隆盛に薩摩藩士の有川矢九郎が自らの妻の従妹である岩山糸を西郷隆盛に紹介したそうです。

岩山糸は離婚していることを気にしていましたが、西郷隆盛は、かまうことなく「よかよか。」と言って岩山糸を迎えました。

離婚を経験した糸をこの一言で迎えるなんて、西郷隆盛はおおらかな心の持ち主であったのでしょうか。

 

岩山糸(西郷糸子)と西郷隆盛の結婚生活

西郷隆盛と再婚した岩山糸は西郷隆盛と共に薩摩にある上之園という場所で暮らしていました。

西郷隆盛の実家は加治屋町という地域にあったのですが、借金を抱えており、その返済のために売却してしまっていました。

そのため、上之園という場所で小さな狭い家を借り、西郷家の次男・西郷吉二郎と、その妻と2人の子供、また四男の西郷小兵衛、数人の使用人と暮らしていました。

どれくらいの広さの家か分かりませんが、賑やかな家庭であったのではないでしょうか。

薩長同盟前後の多忙な時期であったため、夫の西郷隆盛は結婚してから8日目には出張で福岡と京都に向かっていました。

楽しいはずの新婚生活ですので、少し寂しい気もします。

多忙を極める西郷隆盛はたびたび家を留守にすることが多かったようです。

 

1866年には2人の間に第一子となる寅太郎が誕生します。

明治に入ってもなお西郷隆盛はとても忙しく、家になかなか帰ることはありませんでした。

 

1869年になると西郷家は武町に引っ越し、この頃に糸は西郷隆盛の2番目の妻との間にできた2人の子供のうち、菊次郎を養子として西郷家に迎えいれています。

翌年には、次男の午次郎が生まれ、その3年後の1873年には三男の酉三が誕生しました。その後、2番目の妻との間である12歳の菊も養子に迎え、糸は5人の子供を育て上げることとなります。

そんな中、政府軍が鹿児島に上陸したため西郷家は小さな小屋に避難を強いられます。夫の不在が多い中、糸は自身の子供と2人の養子、また戊辰戦争で亡くなった西郷隆盛の弟の子供も引き取りながら薩摩家を支え続けました。

そして不幸なことに1877年、夫の西郷隆盛が岩崎谷で戦死したとの報告を受けることとなります。

政府に反旗を翻した西郷隆盛の家族ということでしばらくの間、西郷家は身を潜めて暮らし始めました。

 

しかし1880年になると西郷隆盛の罪は許され1898年に東京の上野に西郷銅像が建立された際にはその、除幕式に糸は出席したとされています。

その際、糸は「んだもしたん。やどんしは、こげな人じゃなかったこてえ」と言ったようで、西郷隆盛は浴衣で散歩なんかしてなかったよ。といった意味でこの言葉を発したのでは?とされています。

その後、糸は、1922年79歳で亡くなりました。

 

西郷隆盛との子供はどんな人?

西郷隆盛と糸の間には、長男・寅次郎、次男・牛次郎、三男・酉三が誕生しました。

糸は実子だけではなく、西郷隆盛の2番目の妻との間にできた2人の子供も養子として迎えます。

 

養子に迎えられた子供たちは奄美大島出身の子供でした。

今ではこのようなことはありませんが当時、奄美大島の人たちを「島人」見下す差別的感情がありました。

このことから奄美大島出身の菊次郎と菊も差別されるようになりますが、糸は2人を我が子の様に大切に育てていたそうです。

 

きっと糸は優しい性格の持ち主だったのではないでしょうか。

 

糸と西郷隆盛から生まれた三兄弟のうち、長男の寅太郎は1883年の父・西郷隆盛の7回忌のあと、ドイツに留学に行きました。

この留学は明治天皇が内旨によるものでした。

この際、留学経験のある勝海舟が借金をして現代でいう500万の餞別を寅太郎に送ったとされています。

1884年には、西郷隆盛の2番目の妻の子である菊次郎が外務省に入省しました。

糸が育て上げた2人の息子は、留学や外務省に入省などエリート街道を進んだようですね。

 

まとめ 岩山糸(西郷糸子)の生涯とは?西郷隆盛との子供は誰?

以上、西郷隆盛の妻、岩山糸のご紹介でした。

岩山糸についてまとめると

  • 岩山糸は西郷隆盛と再婚した。
  • 西郷隆盛の2番目の妻との子供を引き取りながらも、多忙な西郷隆盛に代わって西郷家を守った
  • 糸の育てた子供、寅太郎は留学し、菊太郎は外務省に入省した。

 

西郷隆盛の妻、岩山糸について少し興味を持っていただけたでしょうか?

 

ちなみに今、放送されている大河ドラマ「西郷どん」で西郷隆盛の2番目の妻・愛加那は二階堂ふみさんが演じられているそうですよ。

きっとあなたも岩山糸に魅了されたと思うので、「西郷どん」を観てみてください!

以上、「岩山糸(西郷糸子)の生涯・西郷隆盛との子供は誰」でした。

>>大河ドラマ「西郷どん」

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