坂本龍馬の妻である、楢崎龍は、一般的にお龍さんと呼ばれることの多い女性です。
坂本龍馬を知っている方の多くはこの女性の名前を知っていると思います。
私は、よく大河ドラマを見るのですが、
- 「龍馬伝」では真木よう子さんが
- 「西郷どん」では水川あさみさんが、
お龍を演じられました。
お二人とも、美しく強い女性のイメージである女優さんですよね。
実際のお龍はどんな女性であったのでしょうか。
そこで、お龍について
- 生い立ち
- 坂本龍馬との出会い
- エピソードから見えた性格
この3点をご紹介いたします。
こちらを読めば、お龍の生い立ちや性格、坂本龍馬との出会いを知ることができるので、大河ドラマ「西郷どん」をより楽しめることができますよ。
私は…龍馬伝のお龍な真木よう子に見事にやられました…💦(意味深…❤) pic.twitter.com/Uzb63fDaHZ
— 🤧スグル🤧 (@kingsuguru96) 2017年1月27日
お龍(楢崎龍)の生い立ちは?
お龍の本名は楢崎 龍といいます。
一般的には、お龍と呼ばれることが多いですね。
そんなお龍は、天保12年6月6日に医師であった楢崎将作の長女として京都で誕生しました。
兄弟には
- 次女の光枝
- 三女の起美
- 弟の太一郎、健吉
がいたそうです。
医師の父は皇族の青蓮院宮の侍医であったことから、その暮らしはとても裕福なものであったとされています。
お龍は幼少期、生け花、香道、茶の湯を習っていましたが、どうも炊事に関しては苦手だったようです。
裕福な家庭で育ったお龍ですが、父が安政の大獄で捕られた後、父が亡くなると、たちまち一家は困窮に陥ります。
布団や衣服、家具などを売って生活を送っていたそうで、さらに母が騙されてしまいました。
坂本龍馬とお龍の出会いは?
貧困に悩まされたお龍は京都の七条新地にある旅館で働き始めます。
一方、母はこの頃、京都の東山にある方広寺大仏殿近くで土佐藩出身の尊攘派志士たちの賄いを行っていたようです。
当時、日本では外国の勢力に押され開国を進める傾向にありました。
それに対して、外国勢力を国内から排除する思想を持った尊皇攘夷派が活躍していた時代でした。
母親が世話をしていた土佐藩出身の尊攘派志士の中に、坂本龍馬がいたとされ、お龍が母親を尋ねるうちに坂本龍馬と親しくなったようです。
お龍が坂本龍馬と初めて出会った際、坂本龍馬は、お龍の名前と自身の名前の「龍」が一緒だ。と笑ったそうです。
その後、坂本龍馬はお龍の母にお龍を妻にしたいと申し入れ交際に至りました。
坂本龍馬の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い!
お龍と坂本龍馬の結婚生活
坂本龍馬と一緒になったお龍でしたが、当時、坂本龍馬は各地を飛び交い忙しい日々を送っていました。
そのため、お龍は伏見の寺田に預けられることとなります。
慶応2年に西郷隆盛との薩長同盟が成立します。
その翌日、坂本龍馬は護衛を引き連れ、お龍のいる寺田屋で宿泊をしていました。
その夜、入浴をしていたお龍が窓の外に何人かの捕吏がいることに気づき、浴衣をまとって坂本龍馬に急いで知らせました。
このお龍の知らせによって坂本龍馬は逃げ切ることができたので、お龍にはとても感謝したそうです。
この事件はとても有名な事件で寺田屋事件と呼ばれています。
この寺田屋の襲撃事件後、お龍と坂本龍馬は中岡慎太郎の仲人で結婚したとされています。
その後、西郷隆盛の勧めもあって、寺田屋で負傷した指の刀傷治療のため、現在の鹿児島へ2人は向かうことになりました。
この旅では、日当山温泉や塩浸温泉に入り、犬飼滝を見物、高千穂峰を登ったりととても楽しんでいたようで、この旅行は日本で初めての新婚旅行とされています。
傷が治った坂本龍馬は第二次長州征伐のため長州に向かい、その後、下関の伊藤助太夫宅を借り、ここを拠点として活動しました。
この間、坂本龍馬は忙しくもありましたが、2人は花火を打ち上げたり歌席に出席したりと楽しく過ごしていたそうです。
新婚ほやほやの2人ですから、何をしても楽しいはずです。
しかし、この幸せは長くは続かず、慶応3年に近江屋で坂本龍馬は中岡慎太郎と亡くなり結婚生活の幕は閉じました。
坂本龍馬亡き後のお龍
坂本龍馬が亡くなると、お龍は大変悲しんだとされています。
2人の間に子供はいなかったようで、慶応4年に坂本龍馬の実家に迎えられえました。
しかし、ここでの生活は長くは続かず1年ほどで京都に帰ってしまったそうです。
京都に戻ったお龍は坂本龍馬の墓の近くで寝屋を営みますが、それもうまくはいかず西郷隆盛らを頼って上京します。
上京後のお龍は陸兵隊の香川敬三らに面倒をみてもらっていたとされています。
その後も転々と移住地を変え明治8年、お龍が30歳の時に、西村松兵衛と再婚をし横須賀に住みました。
再婚後は2人の間に息子が誕生しますが、息子は17歳の時という若さで亡くなります。
晩年は酒に溺れ、酔っては「私は龍馬の妻だ」と自慢していたそうです。
お龍は本当に坂本龍馬を愛していたのですね。
そんなお龍は明治39年、横須賀で66歳で亡くなりました。
【エピソード】お龍(楢崎龍)の性格はどんな人?
お龍の父は医師であったため幼少期の頃はかなり裕福な家庭で育っていたようですね。
しかし、父が亡くなると家庭は貧困に追い込まれ、そのうえ母が騙され金銭を盗られるなんてこともあったそうです。
布団や着物を売って生活するほど貧しかったそうで、妹の起美は舞子となり家計を支えました。
次女の光枝が大阪で遊女として売られそうになると、お龍は、光枝を取り返しに大阪に向かったそうです。
その際、刃物を隠し持ち、光枝を売ろうとしている男2人に刃物で脅しながら妹を救ったエピソードが残されており、このことからお龍はかなり気の強い性格の持ち主であったのではないでしょうか。
また坂本龍馬が中心となって立ち上げた海援隊のメンバーからはお龍が海援隊を見下すような発言や態度をしていたため、相当嫌われていたともされています。
お龍は京都出身の京女で、地方出身の武士を見下していたなんてことも推測されています。
坂本龍馬亡き後、再婚したお龍ですが、晩年はお酒に溺れたそうで、酔っては坂本龍馬の妻であることを自慢していました。
しかし、これほど気の強いお龍ですが、坂本龍馬はお龍にゾッコンでした
寺田屋の襲撃からお龍によって救われた際、自身の姉に「お龍がいたからこそ、龍馬は救われた」とお龍への感謝の気持ちが記されたとされています。
まとめ お龍(楢崎龍)の生い立ちや性格はどんな人?坂本龍馬とのエピソードが面白い
以上、坂本龍馬の妻、お龍についてのご紹介でした。
ここで簡単にまとめてみます。
- もともとは裕福な家庭で育ったが、父を亡くし貧しい暮らしに
- 尊王攘夷活動中の坂本龍馬と京都で出会う
- 寺田屋襲撃から坂本龍馬を救う
- 坂本龍馬と結婚後、日本で初めての新婚旅行へ
- 坂本龍馬亡き後は再婚をし横須賀で亡くなる
- とても気の強い性格の持ち主で、海援隊からは嫌われていた
坂本龍馬の妻、お龍は気の強い性格だったようですね。
日本ではじめて新婚旅行を行ったのが、坂本夫妻だったとは驚きです。
大河ドラマ「龍馬伝」「西郷どん」でお龍を演じられた、真木よう子さん、水川あさみさんは、美しく強いイメージのある女優さんなので、お龍さんにピッタリです。
今、放送されている「西郷どん」でも、これからお龍さんの登場が多くなると思うので、注目して観てみてはいかがでしょうか。
以上、「お龍(楢崎龍)の生い立ちや性格はどんな人?坂本龍馬とのエピソードが面白い」でした。
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