井伊直虎の性格と経歴は?生い立ちやエピソードの伝説が面白い

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あなたは女城主、井伊直虎をご存知でしょうか?

2017年に放送されていた大河ドラマ「おんな城主 直虎」で柴咲コウさんが井伊直虎を演じられたことで一躍有名になりました。

初めて井伊直虎を知ったときは、男性のような名前なのに女性なのか!と驚きました。

有名な女城主であった井伊直虎は知っていても、彼女の生涯やどのような人物であったのか知らないという方が多いのではないでしょうか。

そこで、今回は井伊直虎の

  • 生い立ち
  • 経歴と有名な伝説
  • 性格や人柄

 

この3つをご紹介してきます。

こちらを読めば、女城主、井伊直虎の生涯や経歴、性格や人柄が分かりますよ。

 

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井伊直虎の生い立ちは?

  • 井伊直虎は、井伊直盛と新野親矩の妹、祐椿尼の間で誕生しました。
  • 詳しくは判明されていませんが、天文5年前後に生まれたのではないかとされています。
  • 幼名も詳しくは分かっておらず、謎の多い女性であったことは間違いないです。

 

兄妹には男児がいなかったため、父・井伊直盛は跡継ぎとして従兄弟の井伊直親を直虎の婿に迎える予定をしていました。

しかし、今川義元への謀反の疑いが井伊直親の父・井伊直満と弟・直義にかけられ自害したため、井伊直親は武田領の信濃へと逃亡することとなります。

その間、直虎は龍泰寺で出家し、次郎法師と名乗りました。

 

婿となるはずの井伊直親は逃亡先の信濃でおひよと呼ばれる正室を迎えたため、直虎との婚姻は破棄となります。

直虎は生涯1度も結婚したことのない女性であったので、この婚期を逃さなければ、井伊家の歴史は少し違ったものとなっていたかもしれませんね。

 

井伊直虎の経歴と有名な伝説は?

永禄3年に桶狭間の戦いで父・井伊直盛が亡くなると、井伊直親が後を継ぎました。

  • しかし、今川氏真によって後を継いだ直親も殺害されてしまいます。
  • 残された直虎ら一族は母・祐椿尼の兄である新野親矩によって救われ保護を受けました。
  • しかし、永禄7年になると今川氏によって直虎らを支えていた新野親矩や重臣の中野直由らが討死となり、多くの家臣を失います。

 

井伊家の当主となる

永禄8年、次郎法師から還俗し直虎と名を改め井伊氏の当主となりました。

  • この直虎という名前は仮名であったとされているので、本名ではありません。
  • この時代、当主になるのは一般的には男性であったため、勇敢な男性の名前である直虎とつけたとされています。
  • 直虎という男性のような名前なので、井伊家のお姫様ということを忘れてしまいそうになりますね…。

 

亡き直親には、信濃での正室との間にできた虎松がいました。

虎松は男児でしたが、この時、わずか2歳で虎松の他に後継者となるものがいなかったため、虎松を守るために直虎は当主となりました。

直虎は女城主となったわけですが、これまでの歴史の中で女城主となったものはいなかったとされています。

つまり、直虎が初めての女城主となります。

直虎は「次郎法師」と名乗ることで、宗教的な権威を持つことができ、また井伊家の惣領としても権力を持つことができたとされています。

 

永禄9年、今川氏真が井伊氏の弱体化を企み、井伊直虎に徳政令を出しました。

この徳政令に対して井伊氏の内部では、徳政令拒否派と家老・小野道好、祝田禰宜らの徳政令要求派との対立が起こっていました。

この徳政令は2年間実行されることはありませんでしたが、永禄11年に徳政令が実行されてしまいます。

  • これによって、徳政令要求派であった小野道好によって居城・井伊谷城が奪われ、直虎は城主としての立場を失う結果となります。
  • しかし、井伊谷三人衆の働きと徳川家康の加担によって直虎は実権を回復させ、元亀元年に徳川家康に嘆願します。
  • 徳川家康の命によって小野道好は処刑されることとなりました。

 

元亀3年になると信濃の武田氏の襲撃によって居城・井伊谷城は武田家の家臣に明け渡すこととなり、直虎らは徳川家康の浜松城へと逃げ込みます。

徳川軍と武田軍との間で同年に三方ヶ原の戦いが起こると武田軍によって徳川軍は惨敗となりましたが、武田信玄が病によって倒れたため元亀4年、直虎は井伊谷城を取り戻すことができました。

これまでの徳川家康の働きを見ると、井伊直虎にとって徳川家康は救世主のような人物です。

  • その後、直虎は、直親の遺子である虎松を養子として迎え育て上げ、天正3年虎松を徳川家康の家臣として出仕させました。
  • 晩年は龍譚寺で過ごしたようで、天正10年に亡くなると元服した虎松が井伊直政となって井伊氏の家督を継いだとされています。
  • 直虎の育て上げた井伊直政は徳川四天王のうちの1人とされており、女城主、直虎の教育方法が気になります。

 

井伊直虎=次郎法師

次郎法師が直虎であるという根拠として

  • 徳政令の書状の署名に「次郎直虎」と書かれていたこと
  • 『井伊家伝記』に次郎法師が当主を務め、女地頭と呼ばれていたこと

 

があげられています。

次郎法師が「直虎」と名乗ったとされる明確な史料は残されていません

直虎についての史料も残されていないため、

  • 次郎法師が直虎であったのか、
  • 直虎は本当に女であったのか

 

など今でも様々な議論がなされています。

平成28年には、井伊達夫氏によって直虎は井伊直盛の娘である次郎法師とは別人である。

と発表され、今後の研究によっては歴史認識が変わるかもしれないので、気になるところです。

 

【エピソード】井伊直虎の性格や人柄はどんな人?

井伊直虎についての史料は少なく、逸話などもあまり残されていません

  • 婿養子となるはずの井伊直親とは婚姻破棄となり、亡き直親と信濃の正室との間で誕生した虎松を養子として迎え入れ育て上げている。
  • このことから直虎は愛情深い女性であったことがわかります。
  • 直親との婚期を逃した直虎はその後、結婚することもなくただただ、井伊家の繁栄に生涯を捧げた女性でした。

 

きっと、そんな直虎は心の強い女性であったのです。

  • 直虎の育てた、虎松は、元服し井伊直政と名乗ると徳川家康の家臣となり大活躍を果たしました。
  • 直虎は直政の元服姿を見ることなく亡くなってしまったので、直政は元服した姿を直虎に見てほしかったと涙を流したとされています。
  • 実母ではありませんでしたが、直政の涙から、直虎が我が子同然のように大切に直政を育てていたことがわかります。

 

まとめ 井伊直虎の生涯が分かる小説やドラマ

以上、女城主・井伊直虎のご紹介でした。

井伊直虎について簡単にまとめると

  • 出家し、次郎法師と名乗る。
  • 井伊直親を婿養子として迎える計画が立てられるも、直親は信濃で正室を迎えたため直虎の婚姻は破棄となる
  • 直虎と名乗り、井伊氏の当主となる
  • 1度が実権を失うも、徳川家康の働きによって実権と城を取り戻す
  • 亡き直親の子・虎松を実子のように育てる
  • 愛情深く、心の強い女性であった
  • 直虎についての史料は少なく、明確なことは分かっていない

 

井伊直虎ははじめて女当主となった人物です。

その後、直虎の他にも女当主は数人誕生しました。

井伊直虎を題材にしたドラマとして、最も有名な大河ドラマ「おんな城主 直虎」があげられます。

小説では

  • 梓澤要「女(おなご)にこそあれ次郎法師」
  • 高殿円「剣と紅」
  • 火坂雅志「井伊の虎」

 

などが出版されています。

またゲームでは、戦国無双シリーズや戦国BASARAシリーズなどに可愛いキャラクターとして登場しています。

興味を持たれた方はぜひ、手に取ってみてくださいね!

以上、「井伊直虎の性格と経歴は?生い立ちやエピソードの伝説が面白い」でした。

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