明治時代の天才女流作家である樋口一葉。
皆さん、ご存じですか?
「名前は何となく聞いたことがあるけど、詳しくは知らない…。」「初めて聞いた名前だ。」という人も多いでしょう。
正直、明治時代の文豪の中でもあまり知名度がない作家です。同じ女流作家なら与謝野晶子や平塚らいてうが先に思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか?
そういう人でも、2004年11月1日に変更になったお札の肖像画の人物は知っていますよね。その変更された5千円札に載っている女性が樋口一葉です。
そうなんです。実は知名度なんて関係なしに、樋口一葉は女性でお札に載るほどすごい人物なんですよ。
2004年以前のお札の肖像画はほとんどが男性で、女性がお札の肖像画に選ばれるのは123年ぶりです。ちなみに123年前に初めてお札の肖像画に採用された女性は神宮皇后なんです。
凄いと思いませんか?一体どんな人生を送った女性なのでしょう?
今回は、樋口一葉について
- 樋口一葉の生い立ちは?
- 樋口一葉の経歴と生涯。死因と最後は?
- 樋口一葉の小説・日記。代表作品を分かりやすく解説
- 【逸話】樋口一葉の性格がわかる面白いエピソード
- まとめ 樋口一葉はどんな人?おすすめ入門本は?
を紹介します。
こちらを読めば、樋口一葉の生い立ちや作品、人となりが分かります。
明治に生きた女性の姿を描いた作品について楽しめるようになります。ぜひご覧ください。
樋口一葉参考サイト
一葉記念館:http://www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/
『樋口一葉』の作品一覧:https://aozorashoin.com/author/64
樋口一葉の生い立ちは?
樋口一葉は、明治時代に生きた女性です。具体的には
- 1872(明治5)年5月2日、東京都千代田区内幸町で誕生
- 1896(明治29)年11月23日、東京都本郷区丸山福山町4番地で亡くなる
というわずか24年の人生でした。
お札に肖像画が載るような偉人なのに短い生涯ですね。では、彼女の人生を一緒に見ていってみましょう。
樋口一葉は父・則義と母・多喜の次女として生まれます。
ちなみに、生まれた時につけられた名前は樋口奈津(なつ)で、一葉はペンネームですのでご注意下さい!この記事では樋口一葉の名前で統一します。
生まれた場所は、現在の千代田区に当たる東京府第二大区一小区幸橋卸門内にあった武家屋敷です。また、樋口一葉の父親は元々江戸南町奉行の同心で、維新後は東京府庁に勤めていました。
つまり、樋口一葉は現代で言う国家公務員の娘であり、家は当時としてはそれなりに裕福な中流家庭でした。
明治時代の人々の生活状況を考えると、過度な贅沢をしなければ余裕を持って暮らせる家庭だったとも言えます。
樋口一葉はそんな家庭で、両親の他に2人の兄、妹という兄弟と共に育ちます。
兄弟の中でも、樋口一葉は成績優秀で父・則義の自慢の娘でした。
実際、樋口一葉は
- 勉強がしたくて5歳の時に本郷学校に入学するが、幼かったためすぐに退学処分となった
- その後、吉川寅吉が経営していた吉川学校に編入した
- 家族と共に下谷区に転居してから東京師範学校付属小学校に転校した
- その後さらに私立青海学校に転校し、11歳の時に小学高等科第四級を首席で卒業
という勉強好きと優秀さを幼い時から示しています。
話は逸れますが、この経歴を知った時、私は思わず「最初に樋口一葉が入学した本郷学校、年齢を理由に退学させるくらいなら最初から入学させるなよ…。」と思ってしまいました。当時の小学校って、今と違って授業料かかるんですよ?
それを考えたら「何歳になったら入学して下さい。」って最初から伝えた方がマシじゃないですか?
明治初期という時代を考えたら、まだ学校制度自体が整備されていないので仕方ないのかもしれないですが…。
さて、思わず無用な突っ込みをしてしまいましたが、とにかく樋口一葉は子どもの時から頭が良かったんです。
彼女自身、小学校を卒業したら当然上の学校に進学すると思っていました。
しかし、時は明治初期。この時代特有の壁が樋口一葉の前に立ちはだかります。
それは何と、樋口一葉の実の母・多喜でした。
どういうことかと言いますと、
- 当時、女性に学は必要ないと考える人が多く、多喜も同じ考えを持っていた
- そのため、多喜は樋口一葉の「上の学校に行って勉強したい」という意見に猛反対した
ということです。
今だったら考えられないことですが、「女性は嫁に行って家庭で家族に尽くすもの。だから学は必要ない。」という考えが主流だったのです。
現代日本の女性が聞いたら思わずカチンと来てしまいますね。私もこれを知った時、同じ女性として一瞬カチンと来ました。
「一葉さん、勉強したいならお母さんに反抗して勉強すればいいよ~」とも思ってしまいましたが、当時は学費を出す親が言うことが絶対の時代。奨学金制度なんてない時代ですからね。樋口一葉は泣く泣く進学を諦めてしまいます。
「もっと勉強したい」という願いが叶わず、落ち込む一葉。
そんな一葉を見かねた父親は、樋口一葉が14歳の時に「萩の舎(や)」という塾に通えるように計らいました。
「萩の舎」とは、
- 当時歌人として有名だった中島歌子が女子に和歌や書道、古典を教えていた
- 主に家族の令嬢や高級官僚の娘などが弟子として通っていた
塾でした。
本当は樋口家の経済状況では一葉を通わせることはできない場所だったのですが、樋口一葉は塾で家事手伝いをすることを条件に弟子となることを許されたのです。
というか樋口一葉のお父さん、この段階じゃなくてもっと前に樋口一葉を助けることは出来なかったんですかね。
自慢に思っていた娘なんだから、せめてお母さんを説得して上の学校に行かせるとか。
こういう所を見ると、案外樋口家はかかあ天下だったのかなと思ってしまいます。
とにもかくにも、樋口一葉は「萩の舎」で和歌や古典の教えを受けます。そしてここでも、樋口一葉は頭角を現します。
樋口一葉が入門して半年後に、名前を伏せて和歌の得点を競う歌会が開催されます。この歌会で、樋口一葉は見事一位となるのです。
この出来事がきっかけで、樋口一葉は和歌の道に進もうと心を決めます。
しかしここで、思いがけない悲劇が彼女を襲います。
- 1890(明治23)年、樋口一葉が17歳の時に父・則義が亡くなる
- 樋口家の長男である泉太郎は一葉が15歳の時に亡くなっており、次男である虎之助は母との仲が悪かったため戸籍を樋口家から抜いていた
- また、姉の藤は経済的な事情から生後すぐに里子に出されている
- そのため、樋口一葉が家を相続しなければいけなかった
- さらに、生前の父親は役人としての仕事の他に金融・不動産業を営んでいた(公務員だったため当然無許可の副業です)が、事業に失敗して多額の借金をしていたことが父親の死後に発覚した
- 樋口家には、父親が残した多額の借金だけが残されていた
という状況に、樋口一葉は陥ってしまいます。
お父さん、とんでもない置き土産を残して逝きましたね…。娘としてはいい迷惑だったでしょう。
家を継いだ彼女は、大黒柱として母親と妹を養いながら借金も返済しなければならず、和歌の勉強どころではなくなりました。
しかし、この後の生活と経験が樋口一葉の作品に大きな影響を与えることになるのです。
樋口一葉の経歴と生涯。死因と最期は?
さて、父親が亡くなったことで家を継がなければならず、多額の借金の返済もしなければいけなくなった樋口一葉。
彼女のその後の生活を見ていきましょう。
樋口家の経済状況が一変したことで、
- 一葉と母・多喜、妹・くにと共に、兄である虎之助の元に身を寄せる
- しかし、元々仲が悪かった母親と虎之助の対立が絶えなかった
- 1890(明治23)年、樋口一葉が18歳の時に、本郷区菊坂町70番地に部屋を借り、母親と妹を住ませた
- 自分自身は恩師である中島歌子の家に住み込みながら、母親と妹と共に内職をして生活した
という貧乏な生活を始めます。
しかし借金は一向に減らず、貧乏な生活から抜け出すことは出来ませんでした。
そんな中、樋口一葉は萩の舎の先輩である田辺龍子が小説を書いて報酬を得ていることを知ります。
「小説を書いたら、内職よりも多く収入を稼げるかもしれない」と考えた彼女は、作家の半井桃水(なからい とうすい)の家の門を叩きます。
半井桃水とは、当時の新聞に載せられる大衆向けの小説で人気だった作家です。
樋口一葉は彼に小説について教えを請おうと考えていたのですが、玄関に出てきた桃水を見た彼女はなんと、一目惚れをしてしまいます!
その時、樋口一葉は19歳。一方、半井桃水は31歳。
でも乙女心に年の差なんて関係ない!とばかりに、樋口一葉は半井桃水に生まれて初めての淡い恋心を抱きます。
それだけ半井桃水が容姿端麗だったんでしょうね。
ちなみにこの時の樋口一葉の恋心は、しっかり彼女の日記に書かれています。19歳での初恋なんて、女性の皆さんはぜひドキドキしながら読んでみたい部分ではないですか?
残念ながらこの恋は、樋口一葉の一方的な片思いでした。
それでも、彼女にとっては憧れの人に小説の手ほどきをしてもらう時間だけが、厳しい生活に彩りを与えていたのです。
片思いっていうのが、何より現実から逃れてときめきを一番感じる関係です。しかも初恋です。夢のような時間だったでしょう。素敵です!そんな関係に女性として憧れます!
そんな樋口一葉の初恋は、半井桃水との出会いから1年を経過した時に突然終わりを告げます。
- ある日、樋口一葉は恩師・中島歌子から忠告を受ける
- その内容は、樋口一葉が半井桃水に教えを請いに自宅へ通っている光景を見て、周囲の人々が2人は男女の仲だと噂をしているということ
- 当時は、結婚を前提としない男女交際はとんでもないことだという風潮が強かった
- そんな噂が立つことは、樋口家だけでなく半井桃水にも悪い影響を与えかねないと樋口一葉は考えた
という経緯がありました。
そのため、彼女は半井桃水にもう家に教えを請いに行かないこと、今後は一切関わりを持たないことを告げます。
2人が絶縁したのは1892(明治25)年6月22日、樋口一葉が20歳の時でした。彼女の初恋は、想いを伝えることなく終わったのです。
なんて切ない…!
しかし、樋口一葉に悲しんでいる暇はありませんでした。生活がますます苦しくなっていたからです。
その年の秋、萩の舎の先輩である田辺龍子の計らいで、樋口一葉は雑誌『都の花』で小説「うもれ木」を掲載することになります。これをきっかけに、出版社から執筆の依頼が次々と舞い込みます。
「小説家として成功したい」と考えていた樋口一葉は小説の執筆に取り組みますが、まもなくスランプに陥ります。
というのも、
- 大衆受けが良い絵空事のような小説しか書くことを求められない
- 樋口一葉は、人の真心に訴えるような小説を書きたいと考えていた
書かなくてはいけない小説と自分が書きたい小説の間で大きなギャップが生まれていたのです。
そのため、執筆の仕事を始めてからわずか半年後に、樋口一葉は依頼された小説を一行も書けなくなりました。
とうとう樋口一家は、台東区龍泉寺町の一番家賃が安い部屋に引っ越さざるを得なくなります。
小説が書けなくなった樋口一葉は、ここで雑貨や駄菓子屋を売る店を開きました。
そこでの主なお客さんは、近くの吉原に売られた子どもたち、つまり社会の底辺で生きている人々でした。
彼女はそんな子どもたちの姿を見て、社会の底辺でも一生懸命に生きている人々の姿に「人の真心」があると気づかされます。そして、その姿を小説として書きたいと感じました。この想いが、後に書かれる樋口一葉の作品の方向性を決めました。
お店の経営は思ったようにいかず、樋口一葉は1894(明治27)年に店を閉じ、本郷区丸山福山町4番地へ引っ越しています。
ここで彼女は、作家として華々しく文壇に登場する作品を次々と執筆しました。
- 大衆小説とは違う文芸雑誌『文学界』から執筆依頼が舞い込む
- 樋口一葉の才能に目をつけた編集者の星野天知は、「大衆なんて気にするな。自由に書けば良い。」と伝える
- その言葉で、彼女は次々と新しい小説のアイデアを思いつく
- 1895(明治28)年、龍泉寺町での体験を元にした小説『たけくらべ』を発表すると、森鴎外を始めとした文豪たちから絶賛される
- その後、『大つもごり』や『にごりえ』、『十三夜』、『わかれ道』など後世に残る作品を怒涛の勢いで執筆した
こうして、樋口一葉の今までの苦労が報われて、作家として華々しい経歴を歩み始めます。
しかし長年の無理が祟ったのか、まもなく彼女は肺結核に倒れます。当時、肺結核は効果的な治療法が確立されておらず、不治の病とされていました。
そして1896(明治29)年11月23日、24歳という短い生涯を閉じました。
樋口一葉の小説・日記。代表作品を分かりやすく解説
24歳という若さで亡くなった樋口一葉。
しかも彼女が小説を執筆して発表したのは、1894(明治27)年12月から1896(明治29)年1月の間というわずか14ヶ月の期間です。
その間に樋口一葉が発表した作品は、
- 『大つごもり』 1894(明治27)年12月
- 『たけくらべ』が雑誌「文學界」に連載開始 1895(明治28)1月
- 『軒もる月』 1895(明治28)年4月
- 『ゆく雲』 1895(明治28)年5月
- 『うつせみ』 1895(明治28)年8月
- 『にごりえ』、随筆『雨の夜』『月の夜』 1895(明治28)年9月
- 随筆『雁がね』『虫の音』 1895(明治28)年10月
- 『十三夜』 1895(明治28)年12月
- 『たけくらべ』が完結 1896(明治29)年1月
など、樋口一葉の代表作と言われる作品ばかりです。
そのため、この14ヶ月の期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれています。
ここではその中でも高い評価を受けている
『たけくらべ』
『にごりえ』
『十三夜』
『わかれ道』
『大つごもり』
を分かりやすく紹介します。
『たけくらべ』
借金のかたに遊女として売られることになった14歳の少女・美登利。しかし彼女は淡い恋心を抱いていた。相手は近くの寺の息子である15歳の青年・信如(しんにょ)だ。2人は互いに惹かれあいながらも、恥ずかしさから想いを伝えられないでいた。やがて、美登利が遊女として売られ、信如が仏教学校に入学する日がやって来る。その日、信如が密かに美登利の家に投げ込んでいた物は…。
この本には、
- 樋口一葉が吉原の近くで駄菓子屋を営んでいた時に、お客として来た吉原の子どもたちに影響を受けて書いた
- 淡い恋心を抱く美登利には、半井桃水に恋した自身の経験が反映されている
という特徴があります。
明治初期に生きて、自分の意志では自由に恋をすることも出来ない境遇を生きる少女の悲しい実像と想いを感じる作品です。
『にごりえ』
酩酊屋「菊の井」の売れっ子遊女であるお力は、かつて上客の源七と恋仲だった。しかし、源七が破産したことで2人は別れ、お力は新たな上客・結城朝之介に興味を抱く。結城はお力のことを気に入って何度も「菊の井」に通い、お力と結城は深い仲になっていった。
そんなある日、源七がお力に会うために「菊の井」に現れる。しかし、結城に心が移っていたお力は、源七に会おうとしなかった。
その後、お盆を迎えたある日、お力は自分の人生に自暴自棄になって突然街へ飛び出し、さまよい歩く。そんなお力を見つけたのは、結城だった。お力は結城に、自分の過去と身体に流れる忌まわしい血筋のことを打ち明けた。結城はお力を励ますが、お力は打ちひしがれたままだった。
その頃、結城とお力が深い仲になっていることを知った源七は、妻子を捨ててある行動に出る。
- 遊女となった女性の、人間らしく生きられない寂しさと諦め
- 「女にとって本当に幸せな人生とは何か」ということを考えさせられる、哀愁漂う結末
が描かれている作品です。
『十三夜』
貧しい家の娘・お関は、高級官僚の原田勇に見初められて嫁ぐ。しかし、お関が息子の太郎を生んだ後、夫は手の平を返したように冷たくなり、お関はひどい仕打ちを受けるようになった。
そんな夫の冷遇に耐えかねたお関は、十三夜の夜に原田家を飛び出して実家へと向かった。何も知らない両親は娘の帰郷を喜ぶが、お関の様子から何かがあったことを察する。お関はとうとう泣く泣く帰郷の理由を両親に打ち明けた。
お関の話を聞いた母は、大事にするとあれほどせがまれたから娘を嫁に出したのにと憤る。しかし父は、身分の高い男性はそのようなこともあるだろうし、我が子のためと思えば耐えられるとお関を諭した。父の説得でお関は原田家に戻ることを決心し、実家を出た。
帰る道すがらお関は人力車に乗るが、その人力車を曳いていたのはお関の幼馴染の録之介だった。2人は昔、お互いに惹かれあっていた仲であった。しかしお関の嫁入りをきっかけに録之介は荒れ、転落の人生を歩んでいたことを、お関はその時に初めて知る。
正反対の人生を歩む2人が巡り巡って再会した時、一体何が起きるのだろうか?
この作品では、
- お関の話を聞いた父と母との反応の違い
- 自らの恋心よりも自分との結婚を望む男性の望みを優先させなければいけない
お関の状況から、
- 当時の男尊女卑の風潮によって翻弄される女性の人生
- 生まれた家によって人格すらも否定される身分社会
- 母親ならばわが子のために自分の身に起こることは耐えなければいけないという「男性が描く母親像の押し付け」
を垣間見ることができます。
これらは、現代の女性にとっても決して他人事ではなく、お関は身近に感じることができる登場人物です。
『わかれ道』
孤児で傘職人の吉三は、年上の裁縫師お京を慕って甘えており、お京も吉三を弟のように可愛がっていた。両親を知らない吉三は職場にも家庭にも居場所がなく、お京にだけは心を許せたのだ。12月30日の晩、仕事帰りの吉三はお京と出会い、いつものように話し始める。そこで吉三は、お京が次の日に妾に行くことを知った。「仕方がないことだ。」と寂しそうに笑うお京。吉三は怒りと落胆から「もう会わない。」と言い放ち、止めようとするお京を振り切って帰ろうとする。
- 姉弟のような関係の中で生まれた純愛
- その純愛は、将来に希望が見えない世界で生きていた吉三にとって唯一の安らぎだった
- しかしままならないお京の運命から2人は別れなければならず、それは吉三にとっても深い悲しみを抱える出来事となった
物語としてはとても短い作品です。
しかし、
- 希望を感じることができない、閉塞した庶民の世界
- そんな中で見つけた純愛と安らぎ
- やっと見つけた居場所すらも容赦なく奪われる
社会の底辺で生きる人々の姿に、大きな余韻を感じる作品でもあります。
『大つごもり』
18歳のお峰は、奉公人に冷たい山村家に奉公していた。お峰は両親を亡くしてから伯父一家に育てられていたのだが、伯父が病気になったことでお峰が奉公をしなければならなくなったのだ。
彼女は伯父一家のために2円を借りようとするが、約束を了承した山村家の奥方は大つごもりの日に約束を破ってしまった。
途方に暮れたお峰は、引き出しの中にあった20円から2円を盗み、従弟に渡した。
罪が発覚すれば罰を受ける覚悟を決めていたお峰だったが、思わぬ出来事が起こる。
- 搾取をする冷たい金持ちと家族のためなら罪を犯す奉公人
- お峰を庇って罪を被った人物の行動
の2つの出来事から、貴賤で判断できない人間の本当の優しさとは何なのかを考えさせられます。
上記の5つの作品に共通していることは、
- 将来への希望が見えない世界で生きる庶民の姿
- 自分の意志ではどうしようも出来ない女性の人生
- 社会から押し付けられ、周りから期待される「自分像」の虚しさ
- 金持ちに搾取され、振り回される社会の底辺にいる人々
という厳しい現実の中で、
- 生き抜こうとする強い気持ち
- 誰かを想う純粋な愛
- 家族のためなら罪を犯して罰を受けようとする潔さ
- 弱い人々のために自ら罪を被る強さ
という、人間の真実の姿が描かれているということです。
それは、決して裕福な人間からではなく、貧しい人々からこそひしひしと感じる姿でもあります。
自らが貧しい生活を送ったことでその姿を知った樋口一葉は、自分の文才を使って社会の底辺の人々の実情を描いたのです。
そんな樋口一葉は、どのような生活の中で、何を想いながら作品を書いていたのか。
それは、樋口一葉の日記を読めば知ることが出来ます。
彼女の日記は、
- 15歳から晩年までに起きた出来事
- 「萩の舎」での日々や初めての恋、貧しい生活の中で抱えた寂しい諦め
- 樋口一葉の目から見た家族の姿
が書かれています。
作品と合わせて日記を読むことで、樋口一葉が何を思ってその作品を書いたのかを考えながら作品を深く楽しめます。
【逸話】樋口一葉の性格がわかる面白いエピソード
さて、樋口一葉のように貧乏な生活で苦しんでいたら、鬱々として心を病んでしまいそうだと考えます。
しかし、彼女はそんな生活でも心を病むような人ではありませんでした。
では、実際の彼女はどのような人物だったのかというと、
- 勉強が好き
- しっかり者
- 熱中しやすい
- 話し上手
- 女性らしさを感じさせない
- 姉御肌
な女性でした。
「勉強が好き」や「熱中しやすい」というのは、今まで見てきた生い立ちから何となく見当がつきますね。
樋口一葉は小学校を首席で卒業していますし、7歳で滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読破するほどの読書好きな少女でした。『南総里見八犬伝』を全部読むということは、『ハリー・ポッター』全巻の何倍もの量のページを読破するのに匹敵します。
7歳でそれだけの物語の量を理解しながら読むって、相当頭が良かったんでしょうね。
ちなみに、樋口一葉は日が暮れても読書をしていたため、肩が凝りやすく視力も悪かったそうです。肩こりの方は本当にひどかったようで、医者から「将来肩こりが原因で重い病になるかもしれないから気をつけなさい。」と言われたことがあるそうです。本をよく読んでいたからというより、元々の体質だったんでしょうね。
「しっかり者」の一面は、貧乏生活で身に付いたものです。
樋口一葉の母親は激しい気性の持ち主で、
- 自分の考えから一葉の進学に猛反対した
- 兄の虎之助とも事あるごとに対立した
- 父親亡き後に兄の元に身を寄せた時も、家庭内での対立が絶えず、肩身が狭い思いをした
ことから、樋口一葉は父親の残した借金だけではなく、母親の気性の激しさにも振り回されました。
彼女は一家の大黒柱として家族を支えながらも、母親の気質に対しては冷たい目線を送っていました。決して母が嫌いだったという訳ではなく、激しい気性も冷静に分析して対処する娘だったということです。
逆に言えば、そこに樋口一葉自身の感情はありません。あくまで母に対しては何も感じないようにして生活を支えるという、良く言えば「しっかり者」、悪く言えば「自分の感情に正直になれない境遇」だったのです。
樋口一葉の必死に家族の生活を支える姿には、若い娘らしい楽しみも楽しめない悲しい現実があったことが、彼女の日記を読むとひしひしと伝わってきます。
そしてそんな境遇であったからこそ、社会の底辺に生きる女性たちの姿を真に迫って書くことができたのです。
「しっかり者」とは対照的な明るい側面としては、話し上手で女性らしさを感じさせず、姉御肌で慕われていたことが挙げられます。
というのも、一葉は周囲の人々に生活の苦しさを感じさせる性格ではなく、ユーモアのセンスすらあったのです。
例えば『樋口一葉』というペンネームも、中国の故事にちなんだ洒落から自分でつけています。
その故事は、インドの達磨大師が昔、中国の揚子江を一葉の芦の葉に乗って下ったという内容です。樋口一葉は、「達磨さんも私も、おあい(銭)がない!」と言って『一葉』のペンネームを使ったのです。
お金がないことですらユーモアに変える人だったのです。
こんなに明るい人が、周囲の人物から慕われない訳がありません。
例えば
- お店を営んでいた時に駄菓子の買い出しに行っていた問屋の者たちに、「姐さん」と親しみを込めて呼ばれていた
- 絶世の美女だった訳ではないが目の輝きがあったことから、美人だと言われていた
- しかし話してみると上品な言葉使いでも自分の意見をはっきりと言う人で、男性が気軽に友人として付きあえる女性だった
- 樋口一葉の才能と和歌への熱中ぶりを見た「萩の舎」に通う上流階級の令嬢たちから、「夏子の君」と呼ばれ敬われていた
- 後に「萩の舎」の先輩であり元老院議員の娘でもある田辺龍子は、樋口一葉が女学校の先生になれないかと口添えをしたり、『たけくらべ』が連載される『文學界』の編集者に樋口一葉の小説を連載してもらえないかと取り計らったりしている
- 恩師である中島歌子も樋口一葉を自分の跡継ぎにと考えており、樋口家に積極的に内職を頼んで割の良い対価を支払ったり、一葉に正装を与えたりしている
など、才能や将来だけでなく、彼女の人柄から様々な人々に慕われ、可愛がられていたことが分かります。
樋口一葉は貧乏生活の中をたくましく生き、素晴らしい才能を持ちながらもその才能に溺れることなく地に足をつけた女性だったのです。
まとめ 樋口一葉はどんな人?おすすめ入門本は?
樋口一葉の生い立ちや作品、性格、面白いエピソードについて紹介しました。
最後に、樋口一葉について簡単にまとめます!
- 樋口一葉は、明治時代初期に生きた女流作家である
- 樋口一葉は周囲に認められた才能を持ちながらもユーモアのセンスがあり、話し上手で姉御肌だったことから様々な人々に慕われ、可愛がられていた
- 樋口一葉は自分ではどうしようも出来ない極貧生活の中で人間の真の姿に気づき、小説の題材とした
- 樋口一葉が小説を書いたのはわずか14ヶ月の間であり、この期間は代表作を次々と発表したことから「奇跡の14ヶ月」と呼ばれている
- 15歳から晩年まで書いた日記も文学作品として認められた
- 極貧生活の無理が祟り、将来を期待されながら24歳の若さで惜しまれながらなくなった
平安時代以降に初めて誕生した女流作家は、女性による文学という新しい道を切り開きながらも短い人生を走り抜けた女性だったのです!
そんな樋口一葉の作品ですが、明治時代の言葉で書かれているため現代人が読んだら難しく感じます。
ですが、有名な作品の現代語訳がたくさん出ています。
その中でも特に私がお薦めしたい本は、
- 『現代語で読むたけくらべ』 翻訳:山口照美 出版:集英社文庫
- 『現代語訳 樋口一葉 十三夜 他』 翻訳:藤沢周、阿部和重、篠原一 出版:河出書房新社
- 『現代語訳 樋口一葉 大つごもり 他』 翻訳:島田 雅彦 出版:河出書房新社
- 『現代語訳 樋口一葉 にごりえ 他』 翻訳:伊藤 比呂美 出版:河出書房新社
- 『現代語訳 樋口一葉 たけくらべ』 翻訳:松浦 理英子 出版:河出書房新社
です。
現代語訳と合わせて
- 『完全現代語訳 樋口一葉日記』 著:高橋 和彦 出版:アドレー
も読んでみると、作品背景がよく分かって面白いです。
「いきなり現代語訳を読むのはちょっと…。」という人は、
- 『たけくらべ』 作:山田せいこ 出版:集英社文庫
の漫画文庫シリーズの1冊からサラッと読んでみてはいかがでしょう?
漫画だったら抵抗なく入れる人が多いですし、何より文章だけでは分からない世界観が絵でよく分かります!
さらに興味を持ったら、現代語訳もぜひ読んでみて下さい。
以上、「樋口一葉の性格と経歴の代表作は?生い立ちとエピソードが面白い」でした!
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