今川義元の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

戦国・安土桃山時代

あなたは今川義元をご存知でしょうか?

  • 私は今川義元を桶狭間の戦いで織田信長に敗れた武将として初めて知りました。
  • 今川義元はゲームの戦国無双シリーズに登場しているのですが、公家風の衣装に、白塗りの顔といったキャラクターとして登場しています。
  • また義元の肖像画も白塗りの顔が描かれています。

 

あまり戦国武将らしくない見た目から、戦下手だったのでは?なんて思う人もいるかもしれません。

そこで、今回は今川義元の

  • 生涯
  • 経歴
  • 逸話から分かる性格

 

この3つを調べてみました。

これを読めば今川義元の生い立ちや経歴、性格など知ることができますよ。

 

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今川義元の生い立ちとは?

永正16年(1519年)、今川義元は今川氏親と中御門宣胤の娘である寿桂尼の五男として駿河(現在の静岡県)で誕生しました。

義元が生まれた時には兄・氏輝と彦五郎が跡継ぎとしていたため、義元は4歳にして善得寺に預けられることとなります。

義元は善得寺の太原雪斎と共に上洛し、京都の建仁寺や妙心寺で勉学に励みました。

 

  • 上洛をしていた義元でしたが、兄・氏輝の命によって駿河に戻ると天文5年に兄・氏輝が急死し、
  • また同じ年にも兄・彦五郎が亡くなったため、義元が今川家の後継者と期待されるようになります。
  • しかし、今川家の有力家臣であった福島氏は、義元が後継者となることに対し、強く反対し、福島氏は義元の異母兄・玄広恵探を後継者にするため、反旗を翻しました。

 

この動乱は花倉の乱と呼ばれ、この動乱で義元側の家臣たちは奮戦し、玄広恵探を追い込み、義元は晴れて今川家当主となります。

 

今川義元の経歴や強さは?

天文6年(1537年)義元は武田信虎の娘である定恵院を正室に迎え、武田氏と甲駿同盟を結びました。

  • しかし、義元が武田氏と甲駿同盟を結んだことで義元の旧来の盟友であった北条氏綱の怒りを買ってしまいます。
  • 甲駿同盟を結んだことに対し起こった北条氏綱は義元の領地に攻め込んできました。(第一次河東一乱)
  • この出来事は花倉の乱の直後であったため今川家は家臣団の統制がうまく行っておらず、河東を奪われることとなってしましました。

 

さらに天文9年(1540年)になると織田信秀が三河国に侵攻を開始します。

これに対し、義元は三河に援軍を送りました。

 

天文11年(1542年)に義元は織田軍との間で第一次小豆坂の戦いが始まりますが、義元は合戦の前に敗れたとされています。

 

天文10年(1541年)に北条氏綱が亡くなると、その嫡男であった北条氏康が家督を継ぎました。

 

義元は天文14年(1545年)に北条氏康と対立する上杉憲政と手を結び、北条氏康の討伐に向かいます。(第二次河東一乱)

この戦いで北条氏康は窮地に追い込まれ、河東を義元に返すことを条件に和睦が成立し、義元の勝利となりました。

 

その頃、三河では未だ織田軍に攻め込まれ、天文17年(1548年)に義元は三河へと向かいます。

  • 義元が三河へと進出してくることを恐れた織田信秀でしたが、
  • 義元の軍師である雪斎と朝比奈泰能率いる今川軍によって織田軍は敗北となりました。(第二次小豆坂の戦い)
  • その後、義元は領国拡大に向けて動き出します。

 

領地拡大の動き

天文18年(1549年)、岡崎城の城主であった松平広忠が亡くなると、岡崎城へと義元は今川軍を派遣し、松平家の領土を支配しました。

義元はその後も

  • 織田方の三河安祥城を落城させ三河から織田軍を追い払う
  • 城将・織田信広を捕らえる配下におく

 

など、尾張進出へと着実に向かっていました。

 

天文22年(1553年)、義元は亡き父・今川氏親が定めていた今川仮名目録に追加法を加え、室町幕府の定めていた守護使不入地を廃止します。

  • 義元はこれまで守護大名として室町幕府との繋がりを持っていましたが、
  • 室町幕府の定めた守護使不入地を廃止し、幕府との関係を断つことによって、
  • 守護大名としてではなく自身の政治力や戦力で領国を統治する戦国大名となることを表明しました。

 

天文23年(1554年)、義元の息子・今川氏真と北条氏康の娘である早川殿は婚姻関係を結び、今川家、北条家、武田家は甲相駿三国同盟を結びます。

その後、

  • 弘治元年 第二次川中島の戦い
  • 永禄元年 三河加茂郡寺部城の鈴木重教を攻め

 

この2つの戦に参加すると義元は息子の今川氏真に家督を譲り、隠居しました。

 

桶狭間の戦い

義元の最期の戦いである桶狭間の戦いは、義元が隠居してから2年後の永禄3年(1560年)のことでした。

 

永禄3年(1560年)義元は軍を率いて織田軍の領地にある那古野城を目指し尾張へと一行は向かいます。

  • その際、義元の城であった大高城(現在の名古屋市緑区大高)が織田軍によって包囲されていることを知ると松平元康らを派遣し、織田軍から大高城を防衛することに成功します。
  • 沓掛城にいた義元は大高城の防衛の知らせを知ると本隊を率いて大高城へと向かいました。
  • しかし、その道中、桶狭間山で休憩していたところを織田信長によって襲撃され奮戦するも織田家家臣・毛利良勝に首級を奪われ討死となりました。

 

42歳で亡くなったとされています。

 

今川義元の強さ

今川義元の肖像画には白塗りの顔が描かれています。

またゲームなどでは公家風の衣装を着て白塗りで登場していることから、あまり戦に強い印象はありませんよね。

しかし、義元は駿河の守護大名であった今川家を自身の実力のみで領国を持つ戦国大名まで発展させた人物です。

義元はこれまで

  • 第一次河東一乱
  • 第一次小豆坂の戦い
  • 海野平の戦い
  • 第二次河東一乱
  • 第二次小豆坂の戦い
  • 第二次川中島の戦い

 

など多くの戦に参戦し東海地方に一大勢力を築き上げ東海の駿河、遠江、三河を支配したことから「海道一の弓取り」の異名を持ち恐れられていました。

 

【エピソード】今川義元の人柄や性格が分かる逸話

義元が誕生した今川家はさかのぼると源氏の直系である足利氏御一家・吉良家の分家にあたります。

  • また母親も貴族の娘であり、このような良家から誕生した義元は、
  • 幼少期から公家の教養を身に着けていたとされています。
  • 義元は公家文化を愛し自身もお歯黒をし、薄化粧で、置眉といった公家のような恰好をしていました。

 

このことから義元は戦国武将にかけはなれた軟弱な武将として想像されることがありますが、

  • 義元以外にも、戦国武将たちが公家のような化粧をして戦場へ向かっていた記録も残されているので、
  • 義元が公家風の衣装や化粧をすることは、珍しいことではありませんでした。
  • また義元は、移動の際、輿に乗って移動していたという史実が残されています。

 

輿の使用は非常に権威の高い守護や官僚のみに使用が認められていたため、輿を使用することによって今川家の権威の高さを表すことができました。

このように輿を使用していた戦国大名は今川家くらいなので、いかに今川家が格式の高い家系であったかがわかります。

 

公家文化を好んだ義元ですが、政治面でも手腕に優れており、

  • 朝倉氏の重臣であった朝倉宗滴の残した「朝倉宗滴話記」には義元を手本とすべき人として記述されています。
  • 軟弱なイメージを持たれる義元は公家文化を愛しながらも、家臣からは手本とすべき人物として称えられ、
  • 「海道一の弓取り」との異名をもつことから見かけによらず、優れた政治手腕の持ち主でありました。

 

まとめ 今川義元はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

今川義元の生涯や経歴、性格をご紹介いたしました。

簡単にまとめると

  • 今川義元は今川の当主となり、多くの戦に参戦し結果、東海の駿河、遠江、三河を支配する。
  • 守護大名から戦国大名となる
  • 桶狭間の戦いで、休憩していたところを織田信長によって襲撃され生涯を終える
  • 公家文化を愛しながらも、見かけによらず優れた政治手腕の持ち主であった

 

これまで今川義元は軟弱な武将としてのイメージしかありませんでしたが、調べてみると、義元の人物像が変わって見えますね。

そんな今川義元は、

  • NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」

 

に登場しています。

今川義元役は、「笑点」で活躍されている春風亭昇太さんが演じられました。

今川義元に興味を持たれた方は、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」を見てみてください。

以上「今川義元の性格と経歴、生い立ちやエピソード」の紹介でした。

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