種田山頭火の経歴と有名な代表作は?生い立ちとエピソードが面白い

五・七・五の17音の中に季語を入れて詠む俳句。この定型にこだわらない俳句を自由律俳句と言います。

この自由律俳句に命をかけた俳人・種田山頭火を知っていますか?

今回は、自由律俳句で有名な種田山頭火の

  • 生い立ちと名前の由来
  • 経歴と代表作の俳句
  • 性格

を紹介していきます!

こちらを読めば、種田山頭火の生い立ち・経歴や作品・性格や人となりが分かって、作品もさらに楽しめるようになります。ぜひご覧ください。

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種田山頭火の生い立ちと名前の由来

種田山頭火は1882~1940年、明治・大正・昭和を生きた俳人です。

出身は山口県防府市で、本名は種田正一です。山頭火はペンネームです。

山頭火ってヘンテコな名前ですよね。

これは、「納音(なっちん)」に由来した名前なんです。

また、聞きなれない言葉が・・・納音??

ちょっと、ウィキペディアさんから引用しますね。

納音(なっちん)とは、六十干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用して、木・火・土・金・水の五行に分類し、さらに形容詞を付けて30に分類したもの。生れ年の納音によってその人の運命を判断する。

ウィキペディア 納音

いわゆる占いのための区分けとでも言えばいいのかな?

ここに、山頭火という区分があって、そこから名づけたんです。

ちなみに、種田山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではありません。

30種類の納音から、字面と意味が気に入ったものを選んだだけだと本人が記しています。

私なら、自分の納音を付けると思うんだけど、縁もゆかりもない納音を選ぶとは・・・面白い人だ!

生い立ちに戻りましょう。

現在の山口県防府市に生まれた山頭火ですが、実家は大地主!山頭火は長男!!

もう将来が約束されていたも同然ですよね。

当時の種田家は「大種田」と呼ばれていたんだとか。

かなりのお金持ちだったんでしょうね。

羨ましい!

5人兄妹の長男としてすくすくと育っていた山頭火ですが、10歳の時、母が自宅の井戸に投身自殺してしまいました。

母は33歳。

原因は、父の芸者遊びなどを苦にしてだと言われています。

お金持ちで子どもも5人もいるのに、辛かったんだね。

母親の自殺は10歳の山頭火には重たい出来事すぎました。

この後、ずっと母の自殺が山頭火の心に影を作り続けます・・・

山頭火は母の亡骸が引き上げられ、運ばれる様子を目撃していたようなんです。

大人たちは見せないようにしていたみたいですが、隙間から見えちゃったのかな・・・

10歳だから、好奇心旺盛な時期よね。

しかし、母の亡骸は見ないでほしかったな・・・

母の自殺以降、祖母に育てられますが、山頭火にとって山口は憂鬱にならざるを得ない地となってしまいました。

後に山口にとどまらず、放浪の旅を続けるのは、母の自殺が大きく影響しているんでしょうね。

14歳の時には、友人たちと同人雑誌を発刊。

15歳頃から本格的に俳句を始めたようです。

現在で言うところの高校は、なんと首席で卒業しています。

すごく頭が良かったんですね!

大学は早稲田大学文学科に入学しています。

が、神経衰弱のため、退学する道を選んでいます。

ここから山頭火の人生は少しずつ傾いていきます・・・

大学を退学した山頭火が実家に戻った後、父が酒造所を買収、種田酒造所を開業します。

しかし、2年で失敗。大地主だった種田家は家や屋敷を全て売却してその場をしのぎます。

大地主の長男だったのに、実家には何も無くなってしまいました。

それでも、山頭火には山頭火の人生があります。

27歳で結婚、翌年長男が誕生します。

自分の家を持った山頭火、文学活動も活発になりますので、次の見出しに移りましょう。

種田山頭火の経歴と有名な代表作の俳句

29歳、防府の郷土文芸誌にて、

  • 定型俳句
  • 外国文学の翻訳

を発表します。

今では自由律俳句で有名な山頭火は、最初、定型俳句を作っていたんですよ!

運命的な出会いは31歳で訪れました。

萩原井泉水(おぎわらせいせんすい)が主催する『層雲』に初めて投稿句が掲載されます。

『層雲』を通して、自由律俳句を詠むようになりました。

『層雲』で頭角を現した山頭火は、34歳の頃には、俳句の選者の一人となっていました。

実力が認められている証拠ですね。

文学活動は軌道に乗った山頭火を実家の酒造所の経営危機が襲いました。

(まだ経営してたんだ・・・あの時、もう辞めたのかと・・・)

経営危機を打開できず、種田家は破産。

父は行方不明になってしまいました。

父親逃げたな。

山頭火も友人を頼って熊本に移ることにしました。

そこで、

  • 古書店
  • 額縁店

を営みますが、うまくいきませんでした。

経営も妻に任せきり、山頭火には、

  • 空虚感
  • 欠落感

を感じる日々でしかありませんでした。

さらに、弟が自殺・・・

山頭火は酒に走るしかはけ口を見出せませんでした。

そんな中、妻子を置いて単身上京。結局、離婚してしまいました。

山頭火も自分のことしか考えられない状況だったんだろうけど、妻子も可哀想よね。

妻子を置いて勝手に上京し、離婚に至った山頭火ですが、関東大震災の時には、熊本の元妻の所に身を寄せる生活に。

ここで泥酔し、路面電車を止める事件まで起こします。(自殺未遂だったようです。)

こんな生活ではダメだと、知り合いにお寺に預けられてしまい、42歳で得度(とくど)します。

得度っていうのは、お坊さんになる儀式を行うということです。

山頭火は出家したんですね。

その後は、托鉢姿で、西日本を中心に俳句作りの行脚を始めました。

旅先から『層雲』に投稿を続けました。

所どころに「庵」を建て、また移動してという日々を送りました。

西日本を中心にと書きましたが、山梨県から長野県まで歩いたり、東北地方を旅したりしています。

かなりの距離を歩いていますよね。

最期は、愛媛県松山市に建てた「一草庵」にて、脳溢血で死去。享年58歳でした。

行脚生活の中で、山頭火は多くの俳句を作りました。

山頭火は生涯7万句を超える俳句を詠んだと言われています。

これらの俳句は、7つの句集に収められています。

この7つの句集をまとめた一代句集が『草木塔』です。

得度後に詠んだ701句が収められています。

7万句の中からの701句なので、渾身の一冊ですね。

この一代句集は母への鎮魂の句集という体裁をとっています。

句集の扉には、

「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる」

と記されています。

やはり山頭火の中では母親の自殺がずっとくすぶっていたんですね。

そんな山頭火の代表句を数句挙げてみますね。

  • 分け入つても分け入つても青い山
  • うしろすがたのしぐれてゆくか
  • あるけばかつこういそげばかつこう

一見、俳句とは思えませんが、口に出してみるとリズムをちゃんと感じられます。

「俳句は自由でいいんだ」と思わせてくれます。

特に有名なのは1つ目の俳句です。

山頭火の俳句が教科書に掲載されている場合には、この俳句ではないでしょうか。

何も気にせず読むと、ただ、木々が茂った山を歩き回っている様子を詠んだ句ですよね。

しかし、この句からは、山頭火が人生を模索してもがいている様子を読み取ることもできます。

きっと行脚中に山を越えることもあったんでしょうね。

そんな時、

  • この山は自分の人生と一緒。
  • 歩いても歩いても山道は続き、むしろ奥深くに入ってきてしまった。
  • 同じように、自分の人生も、もがいてももがいても開けることはない。
  • 俳句の道もゴールなどない。

こんなことを思っていたのではないでしょうか。

単純にその場で思ったことを即興的に詠んだ俳句の中にも、どこか重たいものを感じます。

それは、10歳で母の自殺を経験したことから始まる、どこか薄暗い、影を落とした人生を山頭火が歩んできたことに起因するのでしょう。

【逸話】種田山頭火の性格がわかる面白いエピソード

種田山頭火は、本当にお酒好きのダメ男でした。

本人も自分の人生を「無駄な人生だった」と振り返っています。

実家が酒造所を始めたことも、山頭火がお酒に飲まれていった原因でしょう。

家で作っているから飲み放題ですよね。

仕事のストレスを紛らわせるために飲んでいたお酒沼にどんどんハマっていきました。

  • 泥酔してしまい、工面した資金を使い果たす
  • 飲み過ぎで俳句会をすっぽかす
  • アルコールの摂り過ぎで脚気になる
  • 持ち金がなくなるまで飲み、泥酔し無銭飲食で警察に連行される
  • 泥酔して熊本市電を止める

こんな有様でした。

こんな状態では仕事もままなりませんよね。

最初はストレスを紛らわせるために飲んでいたお酒ですが、弟の借金を苦にした自殺により、お酒への依存は拍車がかかりました。

飲まずにはいられなかったんでしょうね。

得度出家している身でも、お酒を飲んでしまう日々。

行脚中もお酒に溺れては、反省し、少しの間は禁酒するものの、やはりお酒を飲んでしまう・・・

この繰り返しでした。

托鉢の姿で行脚していたので、少しお恵みは施してもらえたようですが、生活できるほどではありません。

師匠である荻原井泉水を始め、俳句での人脈を通じて経済的援助を受けていました。

人に生活を成り立たせてもらいながら、好きなことをしていたなんて、本当にダメな男です。

山頭火の最期にもお酒に絡むエピソードが残っています。

俳人仲間と句会中、山頭火は隣の部屋でいびきをかいて寝ていました。

仲間たちは、いつものように酔っぱらって寝ているのだろうと思い、句会が終わると解散。

しかし、早朝、仲間が戻ってみると、山頭火は他界していたのです。

いびきをかいて寝ていると思っていたのに、脳溢血だったそうです。

もし、誰かが隣室をのぞいていたら、助かっていたかもしれませんね。

しかし、これはこれで、山頭火にとっては良い死に方だったかもしれません。

一草庵でコロリと死にたいと思っていた山頭火の念願が叶った最期でした。

まとめ 種田山頭火はどんな人?映画やドラマはある?

種田山頭火の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードについて紹介しました。

簡単にまとめておきましょう。

  • 山頭火は自由律俳句を代表する俳人
  • 山頭火は10歳の時の母の自殺がずっと心の奥底に引っかかっていた
  • 山頭火はお酒にまつわる失敗をたくさん起こしている
  • 得度出家してからは、托鉢僧の格好をして行脚生活を送った
  • 生活は俳句仲間からの支援で成り立っていた

種田山頭火の句を味わいたい人には、

『山頭火句集』ちくま文庫

がおすすめです。自選句集『草木塔』を中心に、山頭火の句が収録されています。

NHKでは、「ドラマスペシャル 山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」が1989年に製作されていますよ。

以上、「種田山頭火の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソード」でした。

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