真田昌幸の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

真田昌幸という武将を知っていますか?

真田と言えば真田幸村が有名ですが、真田昌幸は真田幸村の父で当時は真田昌幸の方が有名でした。

また、知略や謀略にかけていて敵を騙すことを得意としていました。

今回は真田昌幸について

  • 真田昌幸の生い立ちとは?
  • 真田昌幸の経歴や最後は?
  • 【エピソード】真田昌幸の人柄や性格が分かる逸話

 

を紹介します。

こちらを読めば真田昌幸の経歴や性格がわかりますよ。

ぜひ読んでみてください。

 

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真田昌幸の生い立ちとは?

天文16年(1547年)、真田幸隆の3男として生まれます。

  • 幼名は源五郎です。
  • 天文22年(1553年)、父・真田幸隆は武田家の家臣であったことから、7歳の時に人質として甲斐国にいきます。
  • 源五郎は3男であったため真田家を継ぐ権利はありませんでした。
  • 武田家では武田信玄の奥近習として仕え、武田信玄の母方・大井氏の分家である武藤家の養子となり名を武藤喜兵衛と改めます。

 

永禄4年(1561年)、第四次川中島の戦いが初陣といわれています。

 

永禄7年(1564年)には山手殿を妻に迎えます。

山手殿は公家・菊亭晴季の娘とされていますが現在では否定的な意見(晴季の生年など)が多いです。

 

永禄9年(1566年)に長男・源三郎(真田信之)が生まれます。

翌年には次男・弁丸(真田信繁)が生まれます。

 

永禄12年(1569年)、主君・武田信玄が北条家と戦った三増峠の戦いでは、先鋒隊を率いた馬場信房の使番を務め一番槍の功績を残します。

 

元亀3年(1572年)、武田信玄の上洛(西上作戦)に参加し、12月の三方原の戦いでは徳川・織田連合軍に勝利します。

 

元亀4年(1573年)に武田信玄が亡くなると、後を継いだ武田勝頼に仕えます。

 

天正3年(1575年)、長篠の戦いでは長兄・真田信綱と次兄・真田昌輝が戦死します。

武藤喜兵衛は真田家の当主となり真田昌幸に名を変えます。

 

真田昌幸の経歴や最後は?

天正6年(1578年)、越後の上杉謙信が亡くなり後継者争い(御館の乱)に勝った上杉景勝と武田勝頼が同盟(甲越同盟)を結ぶと、翌年に真田昌幸は北条領の東上野に進軍します。

 

真田昌幸は天正8年(1580年)までに名胡桃城・小川城・沼田城を落とし東上野を手にいれます。

 

天正10年(1582年)、織田信長の甲州征伐によって主家・武田家が滅びます。

武田家滅亡後は織田信長に従順し織田家臣・滝川一益に配属されます。

しかし、同年6月2日に本能寺の変で織田信長が亡くなると、旧武田領は再び戦禍を被ります(天正壬午の乱)。

旧武田領は徳川家・北条家・上杉家の取り合いとなり、真田昌幸は生き残るために転々と主君を変えます。

  1. 滝川一益が上野国から逃げたため北条家に臣従する(旧領・沼田を奪取)
  2. 旧武田家臣・依田信蕃(よだのぶしげ)を介して徳川家に寝返る
  3. 徳川家と北条家が和睦(沼田割譲の約束)したため上杉家に臣従する
  4. 徳川家康が居城・上田城へ進軍してくる(第一次上田合戦)が撃退する
  5. 上杉家を介して豊臣秀吉に臣従する
  6. 豊臣秀吉の命令で徳川家康の与力大名となる

 

天正壬午の乱と豊臣秀吉の介入の結果、天正15年(1587年)真田昌幸は豊臣秀吉の配下となり徳川家康の与力大名となりますが、信濃国伊那郡・箕輪領を与えられます。

天正18年(1590年)の小田原征伐の際には上杉景勝や前田利家とともに上野国から北条領に侵攻します。

小田原征伐後に豊臣秀吉から沼田領を安堵されます。

 

文禄2年(1593年)、文禄の役に参加しなかった代わりに豊臣秀吉の隠居城である伏見城の築城を命じられます。

 

慶長2年(1597年)、下野国の宇都宮氏が改易されると所領没収の処理を行います。

 

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍方として上田に攻めてきた徳川秀忠隊3万8千を迎え撃ちます(第二次上田合戦)。

  • 真田昌幸はわずか2千の兵で戦い撃退します。
  • 第二次上田合戦は勝利したものの西軍が敗北したため真田昌幸も処罰されます。
  • 東軍方についた長男・真田信之や本多忠勝(信之の娘婿)の助命嘆願によって命は助かりましたが、紀伊国の高野山へと流罪となります。
  • 真田昌幸と一緒に高野山へ行ったのは次男・真田信繁をはじめ十数人だけでした。

 

配流生活は長男・真田信之や和歌山藩主・浅野幸長の援助によって助かっていました。

また、次男・真田信繁に兵法を伝授したり、真田信之を通じて赦免してもらうように徳川家康へ働きかけていました。

しかし、配流生活は10年にもなっていました。

 

真田昌幸は次第に弱っていき、慶長16年(1611年)に65歳で亡くなります。

 

【エピソード】真田昌幸の人柄や性格が分かる逸話

真田昌幸のエピソード1.武田信玄を尊敬していた

真田昌幸は7歳の時に武田家の人質となりますが、武田信玄から人質としてではなく一家臣として接されます。

  • 真田昌幸は次男に真田信繁と名付けますが、この「信繁」は武田信玄の弟・武田信繁にあやかって名付けた名前でした。

 

武田信玄と武田信繁は仲の良い兄弟として知られており、真田昌幸も息子達には仲良く育つように願っていました。

他にも、真田昌幸は武田信玄の奥近習として仕えていたため、会議や軍議を目の前で見ていたことから自然と外交や内政、戦略なども身についていきます。

また、武田信玄の墓を自領である真田郷につくろうともしました。

真田昌幸のエピソード2.裏切りに裏切りを重ねる

真田家は元々一地域を治める豪族にすぎませんでした。

そのため、周辺の大名の影響を多く受けることになります。

真田昌幸の父・真田幸隆の時代に武田家の家臣となると真田家は重用されますが、武田家滅亡後は再び生きるか死ぬかの状況になります。

  • 特に天正壬午の乱の際には北条家・徳川家・上杉家に仕えますが、その都度裏切り新しい主君に仕えました。
  • この状況に対して、豊臣家の奉行を務めていた石田三成は上杉景勝へ宛てた手紙の中に、真田昌幸のことを「表裏比興の者」と記しています。
  • 現代では、表裏は態度と内心が一致していない、比興は「卑怯」の当て字で使われているため、悪い人のイメージがついています。

 

しかし、当時は褒め言葉でもあり、比興は老獪(悪賢い)や食わせ者(油断のならない者)と言う意味を持っていました。

真田昌幸の行いは弱小の真田家が戦国時代を生きて行くための手段でした。

 

真田昌幸のエピソード3.天下人徳川家康を恐れさせた

真田昌幸と徳川家康は相容れぬ関係だったといわれています。

徳川家康は真田昌幸の前に何度も苦しめられていました。

 

とくに天正13年(1585年)の第一次上田合戦と慶長5年(1600年)の第二次上田合戦は徳川軍の方が圧倒的に有利でしたが、真田昌幸の策略の前に上田城を落とすことができませんでした。

そのため、徳川家康は関ヶ原の戦い後に真田昌幸を高野山に配流し苦しませます。

また、真田昌幸が亡くなり長男・真田信之が葬儀について本多正信(家康重臣)相談すると、本多正信は幕府の考えを確かめてから対応するように伝えます。

これは、徳川家康が簡単には許さないという考えが込められていました。

 

真田昌幸のエピソード4.犬伏の別れ

真田昌幸には長男・真田信幸と次男・真田信繁がいましたが、この親子を引き裂くある戦いが起こります。

それが関ヶ原の戦いです。

別れる理由となったのが信幸信繁兄弟の奥さんでした。

  • 長男・真田信幸には徳川家家臣本多忠勝の娘・小松姫
  • 次男・真田信繁には豊臣家家臣大谷吉継の娘・竹林院

 

と奥さんの父が東軍と西軍に分かれていたためでした。

真田親子は家族会議をします。

この時に家臣の一人が会議を覗き、これに気づいた真田昌幸は下駄を投げつけ歯を折ったといわれています。

会議の結果、西軍には真田昌幸と真田信繁がつき、東軍には真田信幸がつくこととなり、真田家存続のために決別することを決めます。

関ヶ原の戦い後、真田信幸は徳川家康から「幸」の字を捨てよと命じられ、名を真田信之と改めました。

この真田昌幸の決断は真田家を存続させることができました。

 

まとめ 真田昌幸はどんな人?大河ドラマや映画はある?

ここまで真田昌幸について紹介してきましたがいかがでしたか?

まとめてみると

  • 真田昌幸は生まれた当初は後を継ぐ権利が無かった
  • 真田昌幸はわずか7歳で人質となった
  • 真田昌幸は武田信玄から多くのことを学んだ
  • 真田昌幸は知略や統率力にかけていた
  • 真田昌幸は真田家を存続させるために父子で決別した
  • 真田昌幸は10年間の配流生活を送った

 

最後に、真田親子が決別したことで真田家は明治時代まで続きます。

  • 真田信之は上田藩主を経て松代藩主となり子孫は明治初期まで続きます
  • 真田信繁の次男・守信は伊達家臣片倉重長の養子となり仙台真田家となります

 

オススメ作品

  • 大河ドラマでは2016年の草刈正雄さんが演じた『真田丸』
  • テレビドラマでは1985年に放送された丹波哲郎さんが演じる『真田太平記』

 

がオススメです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

以上、「真田昌幸の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い」でした。

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