井伊直政の強さはどれくらいすごい?最強の伝説や逸話とは

井伊直政という武将をご存知ですか?

2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』で菅田将暉さんが演じていた井伊直政が記憶に新しいと思います。

井伊直政は徳川四天王(他に本多忠勝・榊原康政・酒井忠次)の一人に数えられ、徳川家康を支えていました。

今回は井伊直政について

  • 井伊直政の代表的な戦とは
  • 【逸話】井伊直政の勝ち戦と負け戦は?
  • 【最強伝説】井伊直政の強さはどれくらい?

を紹介します。

こちらを読めば井伊直政の戦いや強さがわかりますよ。

ぜひ読んでみてください。

 

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井伊直政の代表的な戦とは

井伊直政の代表的な戦い1.第二次高天神城の戦い

天正3年(1575年)の長篠の戦いで主君・徳川家康が武田勝頼に勝ちます。

徳川家康はこの勝利をきっかけに天正8年(1580年)に武田領へ侵攻し、井伊直政も従軍します。

徳川家康は高天神城を塹壕や柵で囲み孤立化させます。

そして天正9年(1581年)、高天神城の兵糧がつき、多くの餓死者がでます。

城兵は最後の反撃で突撃してきますが、徳川軍はものともせずに討ち取ります。

井伊直政はこの戦いで城内に密偵を忍び込ませ井戸を壊させたといわれています。

井伊直政の代表的な戦い2.小田原征伐

織田信長の死後、権力を握った豊臣秀吉に主君・徳川家康はつかえます。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一のために小田原征伐を行い井伊直政も参戦します。

小田原城は総構え(城下町の外を城壁で囲む、総延長9km)であったため無理な攻めはできませんでした。

そのため、小田原城を包囲しつつ周辺の城を落としながら北条方の力を削ぐ作戦を考えます。

そこで徳川家康は井伊直政に篠曲輪への攻撃を命令し、井伊直政は夜中の内に襲撃し落としました。

これは、他の武将や部隊が包囲だけをする中で井伊直政が唯一小田原城内に攻め込んだ武将となりました。

【逸話】井伊直政の勝ち戦と負け戦は?

井伊直政の勝ち戦:関ヶ原の戦い

豊臣秀吉の死後、主君・徳川家康が豊臣政権内で発言力を増すと豊臣派の大名や武将と対立するようになります。

そして、慶長5年(1600年)9月15日に関ヶ原の戦いが起こります。

両軍の兵力は

  • 東軍が約8万5千人(諸説あり)
  • 西軍が約8万3千人(諸説あり)

今までの説では東軍の方が7万5千人で不利だった言われていましたが、近年の研究によって開戦前から東軍が優勢だったと言われています。

また、わざと兵力を少なくした理由には徳川家康を神格化するためだったという説もあります。

戦いは西軍の小早川秀秋らの裏切りによって東軍が勝利となりますが、この戦いで井伊直政は、東軍にいた味方であるはずのある一人の武将と戦っていました。

その武将というのが福島正則です。

福島正則は幼少の頃から豊臣秀吉に仕えていたため豊臣家とは親密な関係にあったものの、石田三成と対立していたため東軍として参戦していました。

その福島正則が東軍の先鋒隊として開戦前の軍議で決まっていました。

当時、先鋒隊というのは1番最初に攻撃をする、いわゆる一番槍といわれ、とても名誉のあることでした。

もし福島正則に一番槍をとられた場合、合戦後に豊臣方のほうに優位に動くと考えていた徳川家康はこっそりと井伊直政に「抜け駆け」の命令を出したと言われています。

抜け駆けとは先鋒隊ではない部隊が一番最初に攻撃をすることです。

しかし、この行いは軍法違反となるため、実際の所、命令したかはわかっていません。

そして、福島隊が攻撃を開始する前に井伊直政は娘婿の松平忠吉(家康4男)とともに西軍の先鋒宇喜多隊へ発砲します。

これに激怒した福島正則も宇喜多隊へ突撃し関ヶ原の戦いが開始されます。

戦いは6時間ほど行われ午後2時頃には西軍が総崩れとなります。

西軍が総崩れとなったあと敵の中に中央突破してくる部隊がありました。

その部隊を率いていたのが「鬼島津」こと島津義弘でした。

井伊直政は島津隊を追撃し、島津義弘の甥・島津豊久を討ち取りますが、島津隊の「捨て奸」戦法によって銃弾があたり負傷してしまいます。

井伊直政はこの時に負った傷が原因で2年後に亡くなってしまいます。

井伊直政の負け戦:小牧・長久手の戦い

※羽柴軍の戦略的勝利 徳川軍の戦術的勝利

天正12年(1584年)3月から11月にかけて尾張をを中心に、羽柴秀吉と織田信雄(信長次男)・徳川家康連合軍の間で起こった戦いです。

天正10年(1582年)に織田信長が亡くなると、後を継ぐようにして勢力を伸ばしていた羽柴秀吉は天下人のような振る舞いをしていました。

この態度に不満を持っていたのが織田信長の次男・織田信雄(のぶかつ)です。

織田信雄は徳川家康に同盟締結の要請をし徳川家康も要請を承諾します。

徳川家康は反秀吉の大名や諸勢力(越中の佐々氏・関東の北条氏・四国の長宗我部氏ら)と連携し羽柴包囲網を形成します。

天正12年(1584年)3月13日に織田家臣・池田恒興が秀吉側に寝返り犬山城を占領します。

この知らせを受けた徳川家康はすぐに出陣し2日後の15日には小牧山城を占拠します。

一方、羽柴秀吉は27日に大坂から出陣していた羽柴秀吉が犬山に到着します。

この時の兵力は

  • 織田・徳川連合軍は約3万人
  • 羽柴軍は約10万人

と圧倒的に徳川軍は不利でした。

兵力で優位に立っていた羽柴軍は徳川家康の居城・岡崎城を攻撃するように命令し、4月6日に池田恒興や羽柴秀次など4将が約1万8千の兵で出陣します。

  • 第1隊 6000人 池田恒興
  • 第2隊 3000人 森長可(もりながよし)
  • 第3隊 3000人 堀秀政
  • 第4隊 8000人 羽柴秀次(秀吉の養子)

しかし、徳川家康は各地に忍びを送っていたため羽柴軍の動きを察知し、4月8日に約1万3千の兵を率いて出陣します。

〇徳川先発隊

  • 道案内 300人  丹羽氏次
  • 左翼  1550人 榊原康政
  • 右翼  1850人 大須賀康高
  • 予備  800人 水野忠重

〇徳川本隊

  • 前衛  3000人 井伊直政
  • 本隊  3300人 徳川家康
  • 予備  3000人 織田信雄

この時、井伊直政は本隊の前衛を務めます。

そして、徳川軍に察知されたことを知らない池田隊と森隊は岩崎城を攻撃し丹羽勢を全滅させます(岩崎城の戦い)。

一方、池田勢に岩崎城を攻められている間に羽柴秀次の隠密部隊に対して、徳川軍の先鋒隊が奇襲し壊滅させます(白山林の戦い)。

その後、羽柴軍第3隊の堀秀政が撤退し羽柴秀次の敗残兵を吸収し桧ヶ根で待ち伏せしたため、徳川軍は攻撃を仕掛けますが堀秀政の前に敗退します。

徳川家康は迂回して長久手に着陣し堀隊と池田隊・森隊を分断します。

徳川軍は山の上に陣取っていたため有利となり4月9日に両軍は激突します。

井伊隊は森隊と激突し鉄砲隊が森長可を狙撃し討ち取った他、井伊直政は「突き掛かり戦法(がむしゃらに突撃)」で敵を壊滅させます。

この姿を見た敵からは「井伊の赤鬼」と呼ばれました。

戦は徳川軍が勝ったものの半年後の11月に突如として織田信雄が羽柴秀吉と講和を結んだために、徳川家康は戦う理由を失い兵を撤退させます。

その後は羽柴秀吉に従いました。

【最強伝説】井伊直政の強さはどれくらい?

井伊直政の強さ1.赤備え

井伊直政が率いた部隊は全身を赤(朱色)で統一していたため「井伊の赤備え」といわれています。

この「赤備え」というのは、元々武田家家臣・山県昌景が率いていた部隊でしたが、武田家の滅亡とともに徳川軍に吸収されます(徳川家康が目につけた)。

そして、徳川家康から一番に好かれていた井伊直政に託します。

赤備えとは全身を赤に染めていることから戦中では一番に目立っていました。

しかし、武田の時代から赤備え部隊は最強部隊というイメージがあったため、井伊の赤備えを見た敵は恐れたともいわれています。

小牧長久手の戦いでは赤備えを率いたデビュー戦で大活躍しました。

ちなみに、大坂陣の際に豊臣方の真田信繁(幸村)と幕府側の井伊直孝(直政の次男)は赤備え部隊を率いて戦いました。

滋賀県彦根市のゆるキャラ・ひこにゃんも赤い兜をかぶっています。

井伊直政の強さ2.外交

井伊直政は外交にもかけていたと言われています。

特に関ヶ原の戦いが始まる前に豊臣方の武将を東軍に取り入れ、東軍を勝利へ導きます。

また、関ヶ原の戦い後は長宗我部氏からの謝罪の取りなしや島津氏との講和でも大きな活躍をします。

井伊直政の強さ3.部下に厳しい

井伊直政は部下に厳しかったともいわれています。

ちいさなミスでも手討ちにしていました。そのため井伊直政は周りから「人斬り兵部」と呼ばれ、一部の部下には逃げ出し他の家の家臣になる人もいました。

また、ほかの家の家臣からは「まだ斬られずお過ごしですか」と挨拶されたり、呼び出された部下は家族に対して「最後の別れかも」と言っていたそうです。

井伊直政がこのようにしたのは、主君・徳川家康から信頼されていたことや部隊の責任者としてのプレッシャーがあったからでしょう。

しかし、この厳しさが井伊の赤備えが敵から恐れられる要因となったのでしょう。

まとめ 井伊直政のオススメ作品や本。大河ドラマ 

ここまで井伊直政について紹介してきましたがいかがでしたか。

まとめてみると

  • 井伊直政は家臣の中でも徳川家康から一番信頼されていた
  • 井伊直政は他人に厳しかったが自分にも厳しかった
  • 井伊直政は徳川軍の精鋭部隊「赤備え隊」を率いた
  • 井伊直政は外交にも優れていた

徳川家康から信頼されていた井伊直政は彦根藩(滋賀県)の初代藩主となります。

また、井伊直政の後は5人の藩主が6度の大老職に任命され、中でも一番有名な井伊直弼を輩出します。

オススメ作品

大河ドラマは『おんな城主 直虎』

本は野田浩子さんの『井伊直政(中世武士選書39)』

がオススメです。

以上、「井伊直政の強さはどれくらいすごい?最強の伝説や逸話とは」でした。

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