京都清水寺のアテルイの石碑や墓の歴史をわかりやすく。坂上田村麻呂や処刑方法

京都には多くの観光スポットがありますが、その中でも有名な観光スポットは清水寺です。

清水寺に行ったという方は多くいるかと思います。

ですが清水寺の創建者は平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂であったということはあまり知られていません。

平安時代に活躍した坂上田村麻呂は征夷大将軍として蝦夷の指導者であった阿弖流為(アテルイ)を討伐し、蝦夷討伐の功績を残しました。

そんな坂上田村麻呂が討伐した蝦夷の指導者・阿弖流為(アテルイ)の石碑が清水寺に建立されていることをご存知でしょうか。

参詣ルートから外れた場所にあり、また清水寺の舞台の下にひっそりと建立されているため、気づかなかったという方も多いかもしれません。

では、なぜ阿弖流為(アテルイ)の石碑は清水寺に建立されているのでしょうか?

そこで今回は阿弖流為の

  • 清水寺に石碑がある理由
  • 石碑や墓の歴史
  • 坂上田村麻呂との関係性
  • 阿弖流為の処刑方法

についてご紹介いたします。

これを読めば、阿弖流為(アテルイ)の石碑が清水寺にある理由、坂上田村麻呂との関係性、また阿弖流為の処刑方法について知ることができますよ。

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アテルイとは誰でどんな人?なぜ清水寺に石碑がある?

まず阿弖流為(アテルイ)とはどんな人物であったのでしょうか。

阿弖流為が史料に登場したのは、

  • 『続日本紀』
  • 『日本紀略』

たったの2回だけでした。

そのため阿弖流為の生い立ちや経歴などは詳しく分かっていません。

史料によるとアテルイという名前は、漢字で

  • 「阿弖流爲(アテルイ)」
  • または「阿弖利爲(アテリイ)」

と記されていました。

現在ではアテルイと呼ばれ、漢字で「阿弖流為」と記されることが多いです。

いつどこで誕生したのかは分かっていませんが、蝦夷の指導者であったとされています。

蝦夷とは現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方、また北海道の大部分に住んでいた人々のことを指します。

そんな阿弖流為は蝦夷討伐を目的とした征夷大将軍・坂上田村麻呂に敗れ延暦21年(802年)8月13日に処刑され亡くなりました。

ではなぜ、清水寺に阿弖流為の石碑が建立されているのでしょうか。

清水寺に阿弖流為の石碑がある理由

阿弖流為が処刑される前の延暦17年(798)、征夷大将軍・坂上田村麻呂は京都の音羽山に自らの邸宅を仏殿を寄付し、大規模に改築し、ここを本尊として祀りました。

この仏殿こそが清水寺の始まりとされており、坂上田村麻呂こそが清水寺の創建者であるとされています。

そんな坂上田村麻呂が創建した清水寺の境内の中に平成6年(1994)11月、平安遷都1200年を期し「北天の雄 阿弖流為母禮之碑」と記された石碑が建立されました。

この石碑は阿弖流為の復権と顕彰の活動をすすめる「アテルイを顕彰する会」が建立したとされ、毎年11月第2土曜日になると石碑の前でで顕彰と慰霊供養の法要が執り行われています。

朝廷に敗れ2度と蝦夷の地を踏むことのできなかった阿弖流為と母礼に尊敬を寄せる人々によって建立されました。

坂上田村麻呂とアテルイの関係や歴史を簡単に。

朝廷による蝦夷開拓

飛鳥時代にあたる大化年間頃から朝廷により現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方、また北海道の大部分にあたる蝦夷は開拓が図られるようになっていました。

大化3年(647年)には現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域である越国の北端に城柵が設置され、それ以降、現在の新潟県・宮城県以北に城柵が次々と設置されるようになりました。

白雉5年(654年)に現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部に位置する場所に陸奥国が朝廷によって設置され、神亀元年(724年)になると蝦夷との境界であった現在の仙台市太白区付近に、軍事的拠点として多賀城が造営されます。

このように朝廷による蝦夷開拓がその後も行われることとなりますが、大規模な衝突はなく、個々の衝突はあったとされています。

巣伏の戦いが勃発

延暦7年(788年)7月、朝廷は公卿・紀古佐美を蝦夷討伐の最高指揮官として征東大将軍に任命します。

この征東大将軍とは、蝦夷討伐のための指揮官として設置された臨時の官職で、後に征夷大将軍と官職名が変化していきます。

延暦8年(789年)征東大将軍・紀古佐美は兵を引き連れ、現在の岩手県に位置する胆沢に進軍しました。

この時、朝廷軍が通過した地が「賊帥夷、阿弖流爲居」であったと『続日本紀』に記されています。

つまり、「賊帥夷、阿弖流爲居」と記された土地は阿弖流為の住んでいたところということです。

朝廷軍は始め胆沢の入口である衣川に軍を駐屯させていましたが、当時の天皇である桓武天皇が「進撃せよ」と叱責したため、征東大将軍・紀古佐美の主力軍は阿弖流為率いる蝦夷軍約300と現在の岩手県奥州市水沢で交戦することとなりました。

始め朝廷軍が優勢でしたが、蝦夷軍に反撃を受け大敗となります。

この戦いは巣伏の戦いと呼ばれています。

阿弖流為の降伏

蝦夷に大敗した朝廷は、延暦11年(792年)、公卿・大伴弟麻呂を征夷大将軍とし、補佐役である征東副使に坂上田村麻呂を任命しました。

翌年の延暦12年(793年)、征夷大将軍・大伴弟麻呂と坂上田村麻呂率いる朝廷群は再び蝦夷討伐のため蝦夷へと向かい、蝦夷軍と交戦となります。

この時の交戦内容は分かっていませんが、この戦いにおいて蝦夷軍は敗れたとされ、胆沢と志波から蝦夷軍は一掃されることとなりました。

その後、朝廷群は京都へと戻った後、延暦15年(796年)1月25日に坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命されます。

征夷大将軍となった坂上田村麻呂は延暦20年(801)2月14日

  • 4万の軍勢
  • 5人の軍監
  • 32人の軍曹

を率いて平安京から出征し、蝦夷討伐を行いました。

この際の交戦内容も詳しくは分かっていませんが、『日本略記』には「征夷大将軍坂上宿禰田村麿等言ふ。臣聞く、云々、夷賊を討伏す」と記されているため、蝦夷討伐は成功したと考えられています。

いつ阿弖流為が敗れたのかは定かではありませんが、『日本略記』によると延暦21年(802年)4月15日、蝦夷の指導者・阿弖流為と盤具公母礼(モレ)が500人の兵を率い降伏したと記されており、これまでの交戦において阿弖流為は坂上田村麻呂に敗れたことが分かります。

その後、坂上田村麻呂に連れられ7月10日に平安京へと上京します。

平安京に到着すると、平安京の貴族たちは、阿弖流為と母礼の処刑を命じました。

これに対し坂上田村麻呂は2人の助命を朝廷に嘆願したとされています。

坂上田村麻呂が2人の助命嘆願をなぜ行ったのかは分かっていませんが、蝦夷へと帰還させ朝廷の監視下で蝦夷を強化させるといった策を持っていたからではとされています。

朝廷に逆らってまで助命嘆願をしたのですから、何かしらの策があったのではないでしょうか。

しかし、坂上田村麻呂の意見は受け入れてもらえず、阿弖流為と母礼は処刑となりました。

【残酷】アテルイの処刑方法とは

朝廷によって処刑が下された阿弖流為と母礼は延暦21年(802年)8月13日に現在の大阪府東部にあたる河内国の

  • 植山
  • 椙山
  • 杜山

において処刑されたとされました。

しかし、このような地名は旧河内国には存在せず不明のままとなっています。

阿弖流為と母礼は「鋸引きの刑」と呼ばれる方法で処刑されたと考えられています。

この「鋸引きの刑」とは首から下の胴体を地中に埋め、地中から出た首を鋸(のこぎり)で切り落とすといった処刑方法で、江戸時代になるとこの「鋸引きの刑」は6種類の死刑の中で最も重い刑罰とされるようになります。

想像しただけでも非常に残酷な処刑方法だということが分かります。

まとめ アテルイのドラマや映画や小説はある?

清水寺に阿弖流為の石碑がある理由、阿弖流為と坂上田村麻呂との関係性、処刑方法についてご紹介いたしました。

簡単にまとめると

  • 阿弖流為は蝦夷の指導者であった
  • 坂上田村麻呂に降伏すると、「鋸引きの刑」で処刑される
  • 平安遷都1200年を期し阿弖流為と母礼に尊敬を寄せる人々によって石碑が清水寺に建立された

阿弖流為の生い立ちや経歴などはあまり史料に残されておらず非常に謎の多い人物でした。

朝廷による蝦夷討伐において敗れた阿弖流為と母礼は処刑の中でも特に残酷な「鋸引きの刑」によって処刑されたとされ、2度と蝦夷へ戻ることのできなかった阿弖流為と母礼を弔う石碑が平安遷都1200年を機に清水寺に建立されました。

石碑は清水寺の境内にあるので、1度足を運んでみてはいかがでしょうか。

そんな阿弖流為が登場する有名なドラマはNHK総合テレビで放送された『火怨・北の英雄 アテルイ伝』です。

この作品は 高橋克彦さんの小説「火怨」が原作とされ

  • 阿弖流為を俳優の大沢たかおさん
  • 母礼を俳優の北村一輝さん
  • 坂上田村麻呂を俳優の高嶋政宏さん

が演じられ、阿弖流為・蝦夷の視点で坂上田村麻呂との戦いが描かれています。

ほかにも小説

  • 澤田ふじ子さんの『陸奥甲冑記』
  • 高橋克彦さんの『炎立つ』
  • 荒俣宏さんの『帝都幻談』

に阿弖流為が登場しています。

また阿弖流為が主人公の映画はありませんでしたが、

  • ミュージカル『阿弖流為―ATERUI―』
  • ミュージカル『アテルイ-北の燿星』
  • ミュージカル『AKURO 悪路』

に阿弖流為は登場しています。

これを機に阿弖流為に興味を持った方はドラマ『火怨・北の英雄 アテルイ伝』や小説『陸奥甲冑記』『炎立つ』『帝都幻談』などを手に取ってみてください。

以上「京都清水寺のアテルイの石碑や墓の歴史をわかりやすく。坂上田村麻呂や処刑方法」についてのご紹介でした。

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