小喬とは? 絶世の美女と謳われた美女は三国志でどう描かれているか

スポンサーリンク

はじめに

小喬という人物をみなさんはご存知でしょうか?

三国志が好きな方なら「確か呉の孫策か周瑜の奥さんだったような・・・」と答えてくれるかもしれません。


   (大喬・小喬)

小喬は姉の大喬とともに「江東の二喬」と謳われる美人姉妹として三国志で登場します。

そして、姉の大喬が呉の当主「孫策」、妹の小喬が孫策の友人で呉の重臣である「周瑜」の妻となります。

映画「レッドクリフ」ではリン・チーリンが小喬を演じて、その美貌が話題になりました。

2020年12月公開の「新解釈三国志」では山本美月が小喬役です。

やはり「美人」という史実を意識してか中国、日本を代表する美女が演じていますね。

人気ゲームの三国無双では無邪気で世間知らずの面があるかわいらしいキャラクターとして描かれています。

三国無双シリーズでは「2」から登場しているので、シリーズの中でもかなり人気があることがわかります。

小喬はその美貌のためか大きな戦いを引き起こした原因の一つになったとも言われています。

今回は小喬という人物が生きた時代や、結婚相手、小喬と関わりがある戦いについてご紹介いたします。

江東の二喬と謳われた美人姉妹

小喬の生年は不明で前半生は知られておりません。

呉書で父親は喬公であると書かれておりますが、それ以上は不明となっております。

この喬公は喬玄という漢代の大物政治家のことであるという説もありますが、喬玄が喬公と同一人物であるかははっきりしておりません。

その喬玄ですが、三国志の英雄「曹操」がまだ無名の時代に訪問を受けています。

その際、その様子に感嘆して、「願わくば妻子を託したいものだ」という言葉を残しています。

このエピソードから曹操の名は世間に知れ渡ったとされています。

喬玄が小喬の父親かどうかははっきりしていませんが、この曹操との絡みは小説の三国志演義では後の大きな戦いである「赤壁の戦い」につながっていきます。

呉の国の重臣 周瑜の妻に

小喬の名が歴史に出てくるのは199年、中国南東部の揚州の盧江郡にある皖城においてになります。

当時、江東地方で勢力を拡大していた孫策が皖城を陥落させた際に姉の大喬とともに小喬の名前が登場します。

美貌だけでなく兵書を好んでいたと言われています。

孫策は江南で勢力を誇っていた孫堅の息子で、孫堅が戦死したのち袁術に仕えて各地を転戦して功を上げました。

やがて力を蓄えて袁術から独立、かつて父が勢力を持っていた江南の覇権を握るため戦っている中で大喬と小喬のいた皖城を攻撃しました。

姉の大喬とともに孫策軍の捕虜となった小喬は孫策軍の重臣「周瑜」の妻となります。 姉の大喬は孫策の妻となりました。

捕虜を妻にするというかなり強引なやりかたですね。


     (周瑜)

孫策は周瑜に「喬公のふたりの娘は故郷を失うことになったが、われわれを婿にすることができたのだから満足だろう」と言ったとされています。


     (孫策)

当時勢いのあった孫策らしい強気の言葉ですね。

ただ、江東の覇者となった孫策とその重臣の周瑜が妻にしたということから大喬と小喬の美貌のほどがわかります。

孫策はほどなく死亡し、姉の大喬は未亡人となってしまいます。

孫策の後を継いだ弟の孫権の元で周瑜は重臣として重きを置かれていきます。

この孫権が後に三国志の三国の一角「呉」の初代皇帝となります。

三国志は曹操の魏、劉備の蜀、孫権の呉のことですが、三国の中では「呉」がもっとも長く続く国となります。

小喬の夫である周瑜は中国の官制の最高位に位置する三公を務めた人物を輩出した名家の出身でした。

孫策と同い年だったこともあり友人となった周瑜は孫策に仕えることになりました。

周瑜は「姿貌有り」すなわち器量が良く、知略や武略に優れ、寛大な性格だったと言われています。

小喬も「兵書を好んだ」と言われているので陰ながら周瑜を助けていたかもしれません。

さらに映画「レッドクリフ」でも孔明との楽器演奏シーンがありましたが、史実でも周瑜は音楽に精通したようです。

イケメンで仕事もできて、楽器まで弾ける、まさに完璧な旦那様ですね。

この周瑜が大活躍するのが映画「レッドクリフ」でも描かれた三国志におけるもっとも有名な戦い「赤壁の戦い」になります。

小喬と赤壁の戦い

赤壁の戦いは208年天下統一を目指す曹操軍と劉備と孫権の連合軍が激突した戦いです。

劉備、孔明、周瑜、孫権、曹操と三国志を代表する英雄達が一堂に会するという豪華さもまさに三国志のハイライトといえるでしょう。

小説「三国志演義」では曹操が孫権を攻めたのは小喬と姉の大喬を手に入れるためと記載されています。

「英雄色を好む」という言葉の通り曹操も女好きとして知られています。


     (曹操)

正確な人数は不明ですが妻は13~16人いたと言われており、子どもも30人以上余りいました。

そんな曹操ですので江東の二喬として美貌を謳われていた大喬と小喬を手に入れようとしたとしてもそんなに驚きませんね。

唐の詩人の杜牧は赤壁という詩の中で「周瑜は風の助けがなければ、二喬は銅雀台(曹操の宮殿)に入っていただろう」と書いています。

後年まで二喬を手に入れるための赤壁の戦い、という考え方が中国で広がっていたということですね。

ただ、いくら曹操が女好きだとしても二喬を手にいれるために大軍を動かすということはないでしょう。

曹操は文武に優れた三国志屈指の英雄ですので美女を手に入れるために戦いをするということは考えられません。

あくまで天下統一のための邪魔者である孫権と劉備を排除するためだと考えられます。

赤壁の戦いは大喬、小喬を手に入れるため、というのは三国志演義を盛り上げるための脚色ということですね。

とはいえ、小喬は姉の大喬とともに史実でも美人姉妹として残っていますので曹操も「勝利した暁には...」と考えていたかもしれません。

そもそも赤壁の戦いはなぜ起こったのでしょうか?

孫権の本拠地である揚州に隣接する荊州でした。 そこに曹操が攻め込んだのです。

荊州は劉備と同じく漢王朝の血を引く劉表が支配していましたが、曹操が進軍してくる前に病死します。

後を継いだ息子は戦わずして降伏してしまいます。 勢いにのった曹操はさらに孫権の領土を窺う姿勢を見せました。

赤壁の戦いは曹操軍が20万(一説では80万) に対して孫権、劉備の軍は合わせて5万ほどと兵力差は圧倒的でした。

曹操の大軍勢を見て孫権の陣営では降伏の声もあがりました。

それに対して軍の司令官である周瑜が「曹操軍は慣れない南方での行軍に疲れており、水軍による戦いにも慣れていない。風土病にかかる可能性もある。曹操軍の兵は降伏した兵が多く士気も高くない。 勝機はこちらにある」と主張したのです。

主君の孫権も周瑜に同調して、劉備と同盟をして曹操と戦うことを決意します。

長江流域の戦いのため、戦いは船上となり、両軍は赤壁に陣を敷きました。

戦いは曹操側の水軍の密集具合に目を付けた周瑜の火を用いた計略が見事に決まり、曹操軍は大損害を受け敗走しました。

兵力差をはね返した孫権・劉備連合軍の大勝利でした。

赤壁の敗戦によって曹操の中国統一の野望は大きく後退することになりました。

この後、中国は曹操、孫権、劉備による三国が争う時代に入っていきます。

周瑜は自分の国と妻の小喬を守ることができたのです。

夫周瑜の死とその後の小喬

赤壁の戦いで曹操を北へ追い払うことはできました。 しかし、今度は追い払った後の荊州をめぐって赤壁でともに戦った孫権と劉備の関係がギクシャクしてきます。

孫権は荊州の長江南岸の地を割譲しますが、劉備はこれでは足りないと孫権に頼み込みさらなる勢力の拡大を図ります。

周瑜は劉備の動きを警戒し、その力を削ごうとします。

しかし、孫権は曹操への対抗のために劉備との連携を重視していたので周瑜の策はなかなかうまくいきませんでした。

そこで周瑜は曹操が赤壁の敗戦の影響で動けない間に中国南西部の益州に勢力を伸ばすために兵を起こしますが、210年遠征の途中に病で命を落とします。 36歳の若さでした。

姉の大喬に続いて妹の小喬も未亡人となります。

周瑜の死は孫権を大いに嘆かせました。 孫権は周瑜の遺体を迎えに出て号泣したとも言われています。

後に呉の皇帝に即位した際に「皇帝に即位できたのも、周瑜あってのことだ」という言葉も残しているほどです。

孫権にとっていかに周瑜の存在が大きかったかがわかるエピソードですね。

周瑜の死後、小喬は223年まで生きて病でなくなります。47歳でした。

夫である周瑜の死後は小喬の名前が歴史上から姿を消します。

いかに美貌を謳われた小喬も三国志の中の役割は周瑜の妻でした。

周瑜が死んでしまったことで小喬の役割も終わってしまったということでしょう。

映画やゲームでは派手な活躍をしていますが、現実の歴史は意外と淡々としていますね。

終わりに

ここまで小喬について紹介してきました。

内容をまとめてみると

・姉の大喬とともに江東の二喬と謳われるほどの美女の一人だった小喬は呉の国の基礎を築いた功臣である周瑜の妻となった

・兵書を好んでいたとも言われているので呉の重臣として奮闘する周瑜の支えになっていたかもしれない

・夫の周瑜は文武両道で器量も良く音楽を愛した理想的な人物だった

・三国志演義や後世の詩の中では大喬と小喬の存在が三国志を代表する赤壁の戦いの発端と書かれているが、それは2人の美貌から考え出された創作である

・小喬の夫の周瑜は優れた知謀によって赤壁の戦いを勝利に導いた

・周瑜は赤壁の戦いの後に若くして病死

・小喬は夫の死後10年ほどで病死

となります。

映画や漫画、ゲームで三国志を扱ったものは多く、その中でも小喬は人気のキャラクターです。

そして史実でも小喬は類まれな美貌を持っていたことは間違いありません。

夫の周瑜も器量よしと記録が残っているので美男美女の夫婦だったことが想像できます。 夫婦で力を合わせて乱世に立ち向かっていたのかもしれません。

2020年12月には新たな三国志の映画「新解釈三国志」が公開されますが、そこにも小喬は登場します。

興味がある方は是非見てみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

映画「レッドクリフ(前編)」を見る

映画「レッドクリフ(後編)」を見る



コメント