新選組の強さ順ランキング!誰が一番最強剣士なのか大議論

新選組のメンバー最強は誰だ?強さ比較

名前をタップすると、各メンバーの生涯やエピソードの詳しい紹介ページに移動します

名前 役職 強さ 頭の良さ カリスマ性 総合 評価
近藤勇 新撰組局長 A B A A 知名度抜群
土方歳三 副長 A A A A 新選組の大黒柱
芹沢鴨 新選組局長 C A B B 生涯、剣術を披露する機会はなかった
沖田総司 一番隊組長 A B A A 「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と評価
永倉新八 二番隊組長 A A A A 非常にバランスの取れた人物
斎藤一 三番隊組長 A B A A スパイ活動も行うなど器用さを兼ね揃えた
原田左之助 十番隊組長 B B C C 素行が悪かったため総合的にC
服部武雄 諸士調役兼監察 A B B B 二刀流の達人であったものの知名度が低い
吉村貫一郎 諸士調役兼監察 A A C B 新選組からの信頼は厚かったものの知名度が低い
藤堂平助 八番隊組長 A A B A 新選組最年少でありながら副長助勤、八番隊組長となった
山崎烝 諸士調役兼監察 C A C C 医学知識を持っていたため新選組の医者と評価される
山南敬助
副長、総長 A B A A 新選組の総長となった人物。しかし、新選組から脱走を図った
武田観柳斎 五番隊組長 A C C C 軍学の知識を持っていたため近藤勇から重用されていた
島田魁 二番組伍長 C C C C 新選組の中で唯一すべての戦争を経験したといわれる隊士
加納鷲雄 御陵衛士 B C C C 維新後は明治新政府に資金を出し開拓使、農商務省などに務める
伊東甲子太 参謀兼文学師範、御陵衛士 A C C C 近藤勇と対立し新選組から脱退
平山五郎 副長助勤 A C C C 左目を失明していたが、剣の腕前はあった
井上源三郎 六番隊組長 B B B B 免許皆伝を取得するのに10年かかった。非常に努力家

 

ご存知の通り新撰組は、幕末期に京都で反幕府勢力を取り締まっていた組織です。

前身である壬生浪士組24人から発足した新撰組は最盛時になると200名を超える大きな組織となっていました。

新撰組は撃剣、柔術、文学、砲術、馬術、槍術の各師範を設け、日々訓練を行っていたとされ、実力は高く新撰組の名前を聞くだけで討幕派志士たちは震え上がったとされています。

そこで今回は新撰組の中で最も強い剣士は誰なのか、強さランキングをご紹介いたします。

 

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新選組の最強剣士、ランキング候補者一覧

新撰組は最盛時になると200名を超える大きな組織となっています。

  • 局長・近藤勇
  • 副長・土方歳三
  • 一番隊組長・沖田総司

らは江戸時代後期の剣客・近藤内蔵之助が創始した剣術の流派である天然理心流試衛館の剣客であったため、天然理心流が新選組所縁の剣術と思われることが多いですが、200人も隊士がいたため中には

  • 宝暦年間(1751年 – 1764年)頃に福井兵右衛門嘉平によって創始された神道無念流
  • 江戸時代後期に千葉周作成政が創始した北辰一刀流

などを使用していた者もいました。

つまり新撰組=天然理心流を使用していたということにはなりません

ではここで、ランキングの候補者をあげていきます。

 

局長・近藤勇

やはり、新撰組局長ということ、また天然理心流宗家4代目であったということから1番初めに候補にあがります。

文久3年(1863年)に新撰組の前身・壬生浪士組が結成されると、同年、八月十八日の政変での働きぶりが認められ壬生浪士組は新撰組と改名し、土方歳三らとともに新撰組をまとめました。

 

近藤勇の性格と最後は?新選組のエピソードや面白い逸話

 

副長・土方歳三

局長・近藤勇の右腕として活躍した人物です。

天然理心流試衛館に入門し剣術を学びました。

入門からわずか1年後の万延元年(1860年)に関東地方における剣術家名鑑である『武術英名録』に名前が記載されていることから、高い実力の持ち主であったことがわります。

剣術稽古では自ら胴を着けて汗を流しながら指導を行っていたとされ、剣豪揃いの隊士からは恐れられていたとされています。

土方歳三の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

新撰組結成当初の筆頭局長・芹沢鴨

戸賀崎熊太郎から神道無念流剣術を学び、免許皆伝を受け師範代を務めた人物です。

新撰組において近藤勇が局長となる前、芹沢鴨が局長となっていました

しかし、近藤勇に暗殺を企てられ土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田左之助らによって殺害されました。

芹沢鴨は生涯、剣術を披露する機会はあまりありませんでしたが、暗殺のために4人の部下を派遣するといった点において、近藤勇が芹沢鴨を恐れていたということがわかります

芹沢鴨の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

一番隊組長・沖田総司

新撰組において一番隊組長及び撃剣師範を務めた人物です。

近藤勇と同じく天然理心流の道場・試衛館で剣術を学びました。

しかし、最期は結核にかかり24歳前後で若くして亡くなります。

沖田総司の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

 

二番隊組長・永倉新八

新撰組では二番隊組長及び撃剣師範を務めました

新撰組入隊前、神道無念流剣術道場・撃剣館で剣術を学ぶと、その後、剣術好きが昂じて脱藩し百合元昇三の道場で剣術を学びます。

その後も剣術修行の旅に出ると、天然理心流の道場・試衛館の食客となりました。

永倉新八の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

三番隊組長・斎藤一

謎の多い人物で、剣術を習った流派などは分かっていません。

しかし新撰組入隊後は三番隊組長、撃剣師範を務めたことから剣術に優れていたことが分かります。

多くの暗殺事件に関わり、新撰組の中で最も人を殺した人物とされています。

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原田左之助

谷万太郎から種田流槍術を学び、槍の名手として知られていた人物です。

新撰組に入隊すると十番隊組長となり、数々の戦闘に参加しました。

短気な性格であり、仲間と喧嘩した際「腹を切る作法も知らぬ下司め」と言われカッとなった原田左之助は自身の腹を斬りましたが傷は浅く、命に別状はありませんでした。

このことから「死損ね左之助」と仲間から呼ばれていたとされています。

原田左之助の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

服部武雄

大柄で剛力であったとされる服部武雄は二刀流の達人であったと知られています。

組の中でも1、2を争う剣術、柔術、槍術の使い手であったと考えられています。

服部武雄の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

吉村貫一郎

北辰一刀流の千葉道三郎から剣術を学び新撰組に入隊すると諸士調役兼監察を務めます。

新撰組入隊試験の際、永倉新八と互角に戦ったとされています。

吉村貫一郎の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

藤堂平助

北辰一刀流開祖・千葉周作の道場玄武館で剣術を学ぶと北辰一刀流目録(中目録免許)を10代半ばで取得しました。

その後、天然理心流・近藤勇の道場試衛館に入門すると代稽古などを任されるようになったとされています。

新撰組に入隊すると斎藤一とともに最年少でありながら副長助勤、八番隊組長といった重要な役職を任されました。

池田屋事件の最初に斬り込んだ4名のうちの1人とされています。

藤堂平助の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

新選組の強さ順ランキング

では、ここで新撰組の中で最も優れた剣士は誰であったのか、ランキング形式でご紹介いたします。

1位:沖田総司

天保13年(1842年)または15年(1844年)に誕生した沖田総司は9歳頃に天然理心流の道場・試衛館の内弟子となり、若くして試衛館塾頭を務めました。

新撰組に入隊すると一番隊組長となります。

この一番隊は新撰組の中で常に常に重要な任務をこなしていたとされ、剣術のみならず組長としてのリーダシップも発揮されていたのではないでしょうか。

沖田総司の新撰組での有名な戦歴として、

  • 文久3年(1863)9月に起こった芹沢鴨暗殺事件
  • 元治元年(1864年)6月5日に起こった池田屋事件

があげられます。

池田屋事件は潜伏していた尊王攘夷派志士を襲撃するといった事件で、20人の尊王攘夷派志士たちに対し

  • 近藤勇
  • 永倉新八
  • 藤堂平助

と共に最初に池田屋に踏み込みました。

この事件の際、病に倒れ戦線から一時離脱となるも成功に終わります。

二番隊組長・永倉新八からは「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」と述べ、自身の弟子に「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語っていたとされます。

他にも

  • 新撰組の支援者であった小島鹿之助は「この人剣術は、晩年必ず名人に至るべき人なり」
  • 新撰組を批判していた尊王攘夷派・西村兼文は「近藤秘蔵の部下にして、局中第一等の剣客なり」、「天才的剣法者」
  • 新撰組と敵対していた阿部十郎は「沖田総司、是がマァ、近藤の一弟子でなかなか能くつかいました」

などと述べていることから、沖田総司は新撰組の中で1番剣術に優れた人物として1位となります。

沖田総司の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

 

2位:斎藤一

足軽の父のもとに誕生した斉藤一は19歳頃に京都の剣術道場主・吉田某から剣術を学び、吉田道場の師範代を務めます。

江戸にいた際、近藤勇の天然理心流試衛館に出入りしていたとされていますが、この頃、近藤勇とは交流がなかったと考えられました。

新撰組の前身である壬生浪士組に参加し、その後新撰組と改名されると、20歳にして副長助勤となります。

のちの組織再編成の際は三番隊組長・撃剣師範となりました。

元治元年(1864年)6月5日に起こった池田屋事件にも参加しするも、土方歳三班であったため斬り込みには参加していません。

しかし、その後、新撰組内で行われた

  • 長州藩のスパイであったとされる御倉伊勢武
  • 長州藩のスパイであったとされる荒木田左馬之助
  • 武田観柳斎
  • 谷三十郎

などの暗殺事件に関与し、新撰組の中で最も人を殺した人物とされています。

二番隊組長・永倉新八は弟子に「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と述べており、斉藤一を高く評価していたことが分かります。

しかし、猛者と無敵、どちらが強いのでしょうか…

天満屋事件、戊辰戦争などでも剣を振るい、明治に入ると

  • 警視庁において剣術指導を行う
  • 警視庁の試合に参加
  • 東京高等師範学校で撃剣師範を務める

など晩年になっても剣術は衰えを見せませんでした。

  • 新撰組の中で最も人を殺した数が多いこと
  • 晩年になっても剣術は衰えなかったこと
  • 無敵の剣の持ち主であたこと

これらから斉藤一を2位としました。

斉藤一の生涯と強さ、性格は?警察や子孫のエピソードや逸話とは

 

3位:永倉新八

弘化3年(1846年)、岡田利章(3代目岡田十松)の神道無念流剣術道場・撃剣館に入門し、18歳になると剣術好きが昂じて脱藩しその後

  • 江戸本所亀沢町の百合元昇三の道場で剣術を学ぶ
  • 市川宇八郎と剣術修行の旅に出る
  • 旅を終え心形刀流剣術伊庭秀業の門人・坪内主馬に見込まれ道場師範代を務める

その後は近藤勇の道場である天然理心流・試衛館の食客となります。

新撰組では二番組組長や撃剣師範を務め元治元年(1864年)の池田屋事件には

  • 近藤勇
  • 沖田総司
  • 藤堂平助

と共に最初に池田屋に踏み込みました。

新選組で伍長・砲術師範を務める阿部十郎は「一に永倉、二に沖田、三に斎藤の順」と述べていたとされ、永倉新八を高く評価しています。

自身は「竹刀の音を聞かないと飯が喉に通らない」「自分は剣術の他に能はない」と自己評価しており、晩年まで剣術の稽古や指導に携わっていたとされています。

このようなことから永倉新八を3位としました。

永倉新八の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

4位:藤堂平助

北辰一刀流開祖・千葉周作の道場玄武館の門弟となり10半ばで北辰一刀流目録(中目録免許)を取得します。

新撰組に入隊すると年少者ながら副長助勤、八番隊組長などを務めました。

元治元年(1864年)の池田屋事件において最初に池田屋に踏み込んだ4人の1人であります。

しかしこの戦いの際、浪士に斬りつけられ一時危篤状態になるも回復し慶応3年(1867年)3月には新撰組を離脱しています。

  • 新選組で伍長・砲術師範を務める阿部十郎は「 なかなか剣術はよく使いまして、また文字(学問)もございます」
  • 尊王攘夷派の西村兼文は「 経済に達し、撃剣を能くす。伊東氏の門子なり 」

などと述べ、剣術のみならず学問や経済においても優れた知性を持っていたとされていたと述べられています。

このようなことから藤堂平助は4位としました。

藤堂平助の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

 

5位:近藤勇

天然理心流剣術道場・試衛場に入門した近藤勇は新撰組局長を務めた人物です。

天然理心流四代目宗家であったため、暇があれば刀剣の話をしていたとされています。

元治元年(1864年)の池田屋事件において最初に池田屋に踏み込んだ4人の1人であり、他の3人(沖田総司、斉藤一、永倉新八)が負傷し離脱していくにも関わらず、近藤勇は大きな怪我を負うことなく2時間と長い戦闘を勝ち抜きました。

この際、複数の敵を相手にしていたとされ、近藤勇の剣術が高かったということが分かります。

 

近藤勇の性格と最後は?新選組のエピソードや面白い逸話

 

まとめ 強さ議論に終わりなし

新撰組の強さをランキングにしてみました。

どの人物も周囲の人間からの評価は高かったということが分かります。

やはり、1位の沖田総司や2位の斉藤一、3位の永倉新八は最前線で戦うことが多かっため剣術に優れていたことが分かります。

しかし、剣術のみならず200人もいたとされる新撰組をまとめるリーダーシップ性などを総合し見てみると、やはり近藤勇が1番強かったのではと感じます。

新撰組は200人を超える組織であったということから、まだまだ知られていない優れた剣術の持ち主はいるはずです。

誰がどれほど強かったかなどの史料や、剣術の試合記録などは残されておらず、周囲の評価でしか強さを知るすべがないため、新撰組の強さ議論には終わりは見えません。

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