あなたは常高院(浅井初)という人物をご存知でしょうか。
浅井長政と市との間に誕生した三姉妹のうちの1人です。
大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で女優の水川あさみさん、大河ドラマ「真田丸」ではいだしょうこさんが演じられ、知っている方も多いかと思います。
では浅井三姉妹と呼ばれるうちの1人、常高院(浅井初)とは一体どのような女性であったのでしょうか。
今回は常高院(浅井初)の
- 生涯
- 最期
- 性格
- 子孫
についてご紹介いたします。
これを読めば常高院(浅井初)の生涯や最期、性格や子孫を知ることができますよ。
公式サイトがもうすぐ終わるということで、真田丸の「浅井三姉妹」を並べたものを。
歴史ドラマでよく出てくる人物なので、真田丸の記録として。#茶々#竹内結子#初#はいだしょうこ#江#新妻聖子#浅井三姉妹#真田丸 pic.twitter.com/xKyNJhwWV4
— Riki (@yosimiriki) 2017年1月25日
常高院(浅井初)の生い立ちとは?家族や兄弟、父親や子供は?
浅井初は永禄13年(1570年)現在の滋賀県に位置する近江国小谷城で
- 父・浅井長政
- 織田信長の妹で母・市
の次女として誕生しました。
初には姉・茶々(のちの豊臣秀吉の側室)がおり、初が誕生した3年後には妹・江(のちの徳川秀忠正室)が誕生します。
このように浅井長政と市から誕生した
- 長女・茶々(のちの豊臣秀吉の側室)
- 次女・初(のちの京極高次の正室)
- 三女・江(のちの徳川秀忠正室)
は浅井三姉妹と呼ばれるようになります。
後に初は天正15年(1587年)、17歳にして浅井家の主筋にあたる京極家の当主・京極高次と結婚するも2人の間には子供はできず、
- 初姫(妹・江の娘)
- 氏家行広の娘・古奈
を養子に迎えました。
常高院(浅井初)の経歴や生涯。死因や最後は?
天正元年(1573年)、父・浅井長政は妻・市の兄である織田信長と対立関係となり小谷城の戦いにおいて織田軍に敗れ29歳で自害しました。
残された母・市と初を含む浅井三姉妹たちは居城であった小谷城が落城すると、丹波国の小大名であった藤掛永勝に救出され、その後
- 伯父・織田信包に保護される
- または、尾張国守山城主であり信長の叔父・織田信次に預けられる
このどちらかに保護されたとされています。
この頃、初はまだ3歳から4歳であったとされ、幼少期にこのような辛い経験をしました。
天正10年(1582年)6月2日、母・市の兄・織田信長が明智光秀に謀反を起こされ亡くなります。(本能寺の変)
母・市はこの1年の間で
- 夫・浅井長政
- 兄・織田信長
を亡くすこととなります。
その後、行われた兄・織田信長の後継者を決める清州会議において、母・市は織田家の重臣・柴田勝家と再婚をしたため、初ら浅井三姉妹は柴田勝家の領地である越前国北ノ庄城へと移り住みました。
浅井三姉妹にとって柴田勝家は母の再婚相手であり、父となった人物でした。
しかし、天正11年(1583年)豊臣秀吉と対立していた柴田勝家は賤ヶ岳の戦いにおいて敗北となり、柴田勝家と母・市は3人の娘を残し自害しました。
三姉妹は柴田勝家が亡くなったため、2度も父親を失うこととなりました。
このようにして、母・市と父となった柴田勝家を亡くした三姉妹は、母を自害に追い込んだ豊臣秀吉の庇護を受けることとなります。
母を自害に追い込んだ秀吉に庇護を受けるということは幼いながら非常に屈辱的であったのではないでしょうか。
京極高次の妻となる
その後、初は天正15年(1587年)、秀吉の計らいで浅井家の主筋にあたる京極家の当主・京極高次と結婚します。
この時、初は17歳、京極高次は24歳でした。
しかし、残念ながら2人の間には子供ができませんでした。
慶長5年(1600年)豊臣秀吉が亡くなると、秀吉亡き後の権力を巡って、
- 五奉行の一人、石田三成
- 五大老の筆頭・徳川家康
が対立します。
- 毛利輝元、 石田三成らによる西軍
- 徳川家康、徳川秀忠による東軍
に分かれ、関ヶ原の戦いが始まると、初の夫・京極高次は西軍に味方するように見せかけ大津城の戦いにおいて東軍に寝返りました。
関ヶ原の戦いで東軍が勝利を収めると、夫・京極高次は大津城の戦いにおいて、敵を足止めすることができたとして若狭一国を与えられます。
こうして初は京極高次とともに若狭国に入りましたが慶長14年(1609年)5月、夫・京極高次が47歳で亡くなると、初は出家して常高院と名乗り始めます。
常高院と名乗り始める
この頃から
- 姉・茶々の息子である豊臣秀頼(初にとって甥)
- 妹・江の義父である徳川家康
が対立するようになります。
この際、初は豊臣方の使者として仲介を行っていたとされています。
慶長19年(1614年)、徳川家康率いる江戸幕府と豊臣秀頼率いる豊臣家が対立した大坂冬の陣において初は徳川側の阿茶局とともに両家の和議に尽力しました。
しかし、慶長20年(1615年)、豊臣秀頼が自害し豊臣家が滅亡となると、初は秀頼の娘(後の天秀尼)の助命を家康に嘆願し、秀頼の娘を救います。
その後、寛永10年(1633年)京極忠高の江戸屋敷において64歳で亡くなりました。
【エピソード】常高院(浅井初)の人柄や性格が分かる逸話
初は、幼少期のころから姉・茶々、妹・江とは大変仲が良かったとされています。
豊臣家と徳川家が対立関係となっても、三姉妹同士で対立することはなく、大坂の陣で豊臣家が滅亡した後も、徳川家に嫁いだ妹・江とはよく会っていたとされています。
嫉妬心の強かった初
初は、17歳の時、24歳の京極高次と結婚しました。
しかし、2人の間には子供ができませんでした。
そんな中、夫・京極高次と側室との間に京極忠高が誕生します。
正室であった初は、側室との間に子供が誕生したことに非常に嫉妬し、生まれたばかりの京極忠高の殺害計画を企てます。
しかし、夫の家臣・磯野信高が京極忠高を預かり、初の怒りが治まるまでの間、京極忠高を匿い続けました。
その結果、京極忠高は夫・京極高次亡きあと、若狭一国を相続することとなります。
このように初は殺害を企てるほど、嫉妬心の強い女性でした。
まとめ 常高院(浅井初)は真田丸に出てる?ドラマや映画はある?
常高院(浅井初)の生涯と性格、最期や子孫についてのご紹介でした。
簡単にまとめると
- 浅井長政と信長の妹・市との間に誕生した次女
- 浅井三姉妹の1人
- 悲運な幼少期を過ごす
- 京極高次と結婚するも子供に恵まれなかった
- 徳川家と豊臣家が対立関係となっても三姉妹の絆は固かった
- 嫉妬心の強い女性
浅井三姉妹は母を失い、2度も父親を失うといった辛い経験をした三姉妹です。
悲運な幼少期を過ごしていた三姉妹でしたが、絆は固く、徳川家と豊臣家が対立関係となっても、仲は良かったとされています。
そんな浅井三姉妹の次女・初は大河ドラマ「真田丸」に登場しています。
この作品では
- 初を女優のはいだしょうこさん
- 茶々を女優の竹内結子さん
- 江を女優の新妻聖子さん
が演じられています。
他にも「江〜姫たちの戦国〜」では
- 初を女優の水川あさみさん
- 茶々を女優の宮沢りえさん
- 江を女優の上野樹里さん
が演じられました。
また2007年に上映された映画「茶々 天涯の貴妃」では
- 初を女優の富田靖子さん
- 茶々を女優の和央ようかさん
- 江を女優の寺島しのぶさん
が演じられています。
これを機に常高院(浅井初)に興味を持った方は大河ドラマ「真田丸」、「江〜姫たちの戦国〜」、映画「茶々 天涯の貴妃」を見てみてください。
以上「常高院(浅井初)の性格とプロフィール、最期や子孫について」のご紹介でした。
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