鴨長明の性格と経歴は?生い立ちとエピソードが面白い!

『方丈記』の作者で知られる鴨長明。

『方丈記』を記した以外、彼について知っていますか?

  • 鴨長明の生い立ちは?
  • 鴨長明の経歴と作品
  • エピソードで読む鴨長明の性格は?

 

これらを見ていくことで鴨長明について知っていただけたら嬉しいです。

 

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鴨長明の生い立ちは?

鴨長明は1155年~1216年、平安時代末期から鎌倉時代に生きた歌人・随筆家です。

京都に現存している賀茂御祖神社(通称、下鴨神社)の禰宜をしていた鴨長継の次男として生まれました。

長明が20歳前後の時、父が亡くなり後ろ盾を失います。

その後、父の地位を継ごうと争いますが、敗北。

そこからは、ひたすら和歌と琵琶の道に精進します。

和歌は俊恵の門下として、琵琶は中原有安に師事しました。

特に和歌の方で活躍し、『千載和歌集』にはよみ人しらずとして取り上げられました。

 

なんで、よみ人しらずなんでしょうか。

当時は鴨長明の和歌だと分からなかったのか、それとも長明が匿名希望で詠んだのか・・・

40歳を過ぎたころには後鳥羽上皇の任命で和歌所の寄人になりました。

ここまで出世できるのはすごいですよね!

和歌の才能があったんですね~

いや、努力の賜物かもしれません。

 

和歌で成功を収めていた長明ですが、まだ神職の道も諦めてはいませんでした。

49歳の時には、河合社の禰宜の職に欠員が出たため、長明は就任を望みました。

後鳥羽上皇からの推薦も取り付けますが、賀茂御祖神社の禰宜から反対され、またしても禰宜職には就けませんでした。

これで長明の神職としての出世の道は閉ざされてしまいました。

50歳近くまで、禰宜になろうと諦めなかったのに、結局なれなかったんですね。

 

そして、長明は出家の道を選ぶこととなります。

神道でうまくいかなかったからと、仏道へと入るというのが今では違和感を感じますが、当時はそれほど神仏の区別はされていなかったようです。

出家=俗世を離れると考えてもらうといいかもしれません。

信仰心を根底から覆すというような意味合いではないんですね。

ここがまさに日本的です。

 

出家後は連胤(れんいん)を名乗りましたが、一般的に知られているのは鴨長明という名前ですよね。

この名前は、もともとの名前、鴨長明(かものながあきら)を音読みしたものなんですよ。

俗世を離れてから後は、東山、大原、日野と住居を転々としながら、隠遁生活を送りました。

60歳の頃に『方丈記』を執筆し始めたそうです。

そして、62歳でこの世を去ったと言われています。

『方丈記』は人生の最後に書かれたものだったんですね。

 

鴨長明の経歴と作品

ではでは、鴨長明の経歴と作品について説明しましょう。

鴨長明は、和歌を学んでいたので、歌人としての人生の方が長かったと言えます。

しかし、死ぬ2年前から書き始めた『方丈記』が後に代表作となるので、随筆家としての経歴の方に注目が集まってしまいますよね。

(歌人であったことを知らない人も多いはずです・・・)

彼は、3つの作品を残していますので、一つずつ紹介しますね。

 

鴨長明の作品1.随筆:『方丈記』

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

懐かしくありませんか?

私はこの文章を暗唱させられた記憶があります。

 

これは『方丈記』の冒頭部分です。

まさに、『方丈記』で鴨長明が言いたいことをズバリ言い表している部分です。

『方丈記』は1212年頃書かれました。

長明が57歳の頃です。

 

2部構成になっており、

  • 前半:長明が経験した天変地異の連続
  • 後半:日野山での生活

が記されています。

 

先ほど紹介した冒頭部分は、「人の世の中は水の泡のようにはかなく、絶えず変化し続けている」と言っているのですが、そう思うに至った根拠を5つの天変地異を挙げて説明します。

  1. 安元の大火
  2. 治承の辻風
  3. 治承の遷都
  4. 養和の飢饉
  5. 元暦の地震

 

多くの天変地異を目の当たりにして、人間の為すすべの無さを嫌と言うほど痛感させられたことでしょう。

現在の日本でも、本当に多くの災害が起きていますよね。

豪雨、地震、台風・・・こんなに技術が発達している現在でも、自然の猛威には抗うことができません。

800年ほど前となると、なおさらですよね。

 

いくら、日々の生活に固執していたとしても、結局は自然を前にすると無力であり、変化せざるを得ないという境地にたどり着いています。

これは、長明自身のことを言っているようにも聞こえます。

父と同じ神職にこだわっていた長明。

何度も禰宜の職を求めて争いますが、結局は手に入れることはできませんでした。

 

50歳になる頃までこだわったものすら手に入らなかった長明。

自分の人生のはかなさを水の泡に例えているとも読めるかもしれません。

そして、後半部分は世の無常を痛感して出家し、日野山に方丈の庵を建てて静かな生活を楽しむ心境が書かれています。

 

ちなみに、『方丈記』というタイトルは、この庵の広さが由来です。

方丈とは、一丈(約3m)四方を表します。

3m×3m四方の小さな小屋で隠遁生活を送っていたんですね。

俗世を離れ、自分が執着するもののない、すべて自然のままで心をかき乱すことのない生活を長明は楽しみました。

 

しかし、やはりこの生活に徹しきれない自分を通して、新たな自己とも出会います。

長明の中で、この隠遁生活はかなり癒しだったようです。

ずっと執着していた神職への想いを断ち切って始めた生活。

狭い庵で彼はさまざまなことを考えたにちがいありません。

そして、そのことを最後に書き記しておこうと思い、『方丈記』を書いたのでしょうね。

 

『方丈記』は漢字と仮名の混ざった和漢混交文で書かれており、和漢混交文で書かれた最初の優れた文芸作品と称されています。

『枕草子』や『徒然草』と並んで日本三大随筆の一つとも言われていますよ。

時代は鎌倉時代に移ったばかりで、戦乱の世の中。

多くの天変地異も重なり、自分の希望も断ち切られ、無常を感じずにはいられなかった長明の名作です。

 

鴨長明の作品2.歌論書:『無名抄』

和歌の名人だったからこそ書けた歌論書です。

1211年以降に書かれたとされているので、『方丈記』と並行して書いていたようです。

内容は、長短約80段で構成されており、

  • 歌論
  • 歌話
  • 歌人の逸話

が随筆風に書かれています。

師についてまで学んだ和歌の知識や和歌に対する自分の考えを書いた作品。

長明は記録して残すことを好んだんですかね。

山での隠遁生活はすることが無くて、書くことしかなかったのかもしれませんね。

 

鴨長明の作品3.説話集:『発心集』

長明さん、実は説話集まで書いていました。

1214年頃に書かれたと言われているので、長明最後の作品となります。

8巻から成り、100話余りが集録されています。

最後の最後に超大作を書きましたね、長明さん。

内容は仏教説話で、仏道に入ろうとする人に対して、何かしらのきっかけになることを願って編集されました。

 

仏教を広めるために書かれていた従来の仏教説話とは異なり、様々な説話から、人間の心の葛藤や、人間の意識の根本を見出し、それらに長明なりの感想を述べる形式をとっているので、とても新鮮な仏教説話集となっています。

『方丈記』ほどではありませんが、『発心集』からも長明の考え方や人生観を読み取ることができます。

後に書かれた『十訓抄』、『平家物語』、『沙石集』などにも、共通の説話が見られることから、多くの人に影響を与えたことが分かっています。

 

エピソードで読む鴨長明の性格は?

鴨長明の性格を一言で言うならば「真面目」がぴったりでしょう。

長明はどんなところが真面目だったのか、エピソードを紹介しますね。

長明は京都の神社で禰宜をしていた父がいましたので、家は裕福でした。

 

しかし、父が亡くなってからは、自分が希望していた神職に就くこともできませんでした。

やっと手にした職は、師に付いて学んでいた和歌に関するもの。

前述した通り、和歌所の寄人です。

家が裕福であったとは言え、貴族ではありませんので、殿上人にはなれません。

しかし、後鳥羽上皇に目を付けてもらい、就職させてもらえるなんて、長明が真面目に和歌に取り組んでた証拠ですよね。

 

そして、就職してからも真面目に働いていた様子が源家長の『源家長日記』に記されています。

「和歌所の寄人になってからは、和歌の会に来たら退出することもなく、昼に夜に仕事を怠ることはない」

このように書かれています。

公務を全うしていたんですね。

 

このような姿を見ていたからこそ、後鳥羽上皇は河合社の禰宜に推薦してくれたんでしょう。

(結局禰宜にはなれず出家してしまうのですがね・・・)

 

もう一つ、長明の真面目さが分かることを書いておきます。

長明は隠遁生活を楽しんでいました。

しかし、長明の楽しむと言うのは、遊んでいて楽しいというのとは異質です。

『方丈記』や『発心集』からも分かるように、仏道の教えや、俗世を離れての生活から、自分をいつも見つめ直していました。

自分と真剣に向き合うことって、本当にしんどいことですよね。

 

しかし、そのような生活を10年以上続けるわけです。

  • 俗世から逃げて出家した。
  • 隠遁生活を始めた。

始まりは確かに逃げでした。

ですが、彼は真面目な性格ゆえに、風情を楽しんでいたわけではありませんでした。

仏教説話を読み、自己内省をし、それを書き記しながら暮らしていたのです。

 

『方丈記』の最後の方で、

「方丈の庵に愛着を持つことでさえも、自分の醜い欲望の表れではないか」

と自問します。

執着を逃れるために隠遁生活を送って悟りを得ようとしているのに、ずっと庵で不自由のない生活をしているのさえも、安定に執着しているということではないかと思うわけです。

う~ん、深い。深すぎる。

もう60近いおじいちゃんですよ。

安定を求めていいじゃない。

しかし、長明の中では、そんな自分さえも許せなかったんですかね。

真面目すぎます。

 

まとめ: 鴨長明はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

最後に鴨長明についてサクッとおさらい!

  • 鴨長明は『方丈記』、『無名抄』、『発心集』の作者である
  • ずっと神職に就きたいと願っていたが、50歳まで粘ったもののなれず、失意の出家をした
  • 隠遁生活を送りながら、死ぬまで自省の念を忘れないほど真面目な性格だった

まだ『方丈記』を読んだことが無いよという人は、簡単に読めるものがいいですよね。

 

「すらすら読める方丈記」 中野孝次

これなんてわかりやすいです。

 

『方丈記』について概要だけ分かればいいんだよ~という人にはマンガが読みやすいです

「マンガ古典文学 方丈記」 水木しげる

あの「ゲゲゲの鬼太郎」を描いた水木しげるさんです。

絵だけでも楽しめちゃいますよ!

 

今回は鴨長明を紹介しました。

『方丈記』と並んで日本三大随筆に選ばれている『枕草子』『徒然草』を書いた清少納言や吉田兼好についても紹介したものがありますので、ぜひ、そちらも読んでみてください!

清少納言の経歴と生い立ちは?美人かブスかも考察

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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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