葛飾応為の性格と生涯の代表作品は?最後のエピソードが面白い

あなたは葛飾北斎の娘である葛飾応為(かつしか おうい)をご存知でしょうか?

葛飾北斎の娘である応為は、北斎と同様に絵師として活躍し、代表作「吉原格子先之図」を残しました。

葛飾応為を女優の宮崎あおいさんが演じたNHK特集ドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』で知ったという方もいれば、葛飾北斎に娘がいたことを知らなかったという人も多いかと思います。

葛飾北斎の娘・葛飾応為はどのような女性であったのでしょうか。

今回は葛飾応為の

  • 生涯
  • 性格
  • 代表作品
  • 最期

をご紹介いたします。

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葛飾応為の生い立ちと生涯は?

葛飾応為は、寛政13年(1801年)前後に誕生したと推測されます。

父はかの有名な絵師・葛飾北斎です。

父の葛飾北斎は、生涯2度の結婚をしていました。

  • 1度目の結婚で一男二女
  • 2度目の結婚でも一男二女

計6人の子供に恵まれます。

応為は、父・北斎の2度の結婚で誕生した娘にあたります。

応為という名前は本名ではなく画号で、本名は栄という名前です。

この「応為」という画号は

  • 父・北斎が応為を呼ぶ際「おーい、おーい」と呼んでいたことから、「応為」という画号がつけられた
  • 又は、父・北斎のたくさんあった画号の1つである「為一」から為一に応じる。という意味で「応為」とつけられた

とされています。

あまり深い意味で画号が付けられた訳ではないようです。

応為が結婚した年は判明していませんが、絵師である南沢等明と結婚します。

しかし、絵師の娘だけあって、夫・南沢等明の描く作品の拙い箇所を見ては指を指し、笑うのでした。

また家事などを一切せず、結局、南沢等明とは離婚となります。

離婚した応為は父・北斎の下へと帰ります。

晩年を迎えていた父・北斎でしたが、絵の制作は続けていたため応為は父・北斎の絵の制作の手伝いを行い、また自身も絵の制作に励んでいました。

この時、父・北斎は娘の応為を「アゴ」と呼んでいました。

応為が「アゴ」と呼ばれていた理由は、応為はあまり美人ではなく、顎が突き出ていました。

そこから父・北斎は「アゴ」と呼んだとされています。

応為の初作は『狂歌国尽』に描かれた挿絵とされ、これは文化7年(1810年)に出版されていたものと推測されています。

応為は美人画や春画、枕絵に優れ、父・北斎の残した春画の彩色は応為が担当していたとされています。

父・北斎を模範とし活躍していた同時代の渓斎英泉は天保4年(1833年)に出版された『旡名翁随筆』に北斎に従う応為の絵は優れている。といった記述を残しました。

このことから天保4年(1833年)にも、応為は父・北斎の下で制作助手を務めながら、自身も絵の制作をしていたことが分かり、20年近く、父・北斎と同居していたことがわかります。

父・北斎が嘉永2年(1849年)4月18日に90歳で亡くなると、応為は仏門に入ったとされています。

その後、応為は

  • 安政2年から3年(1855年から1856年)頃に金沢で亡くなった。
  • 父・北斎が亡くなった8年後の応為、67歳の安政4年(1857年)に家を出て以来、消息不明となった。
  • 『浮世絵師便覧』によると慶応年間まで生きていた

とされています。

応為は1度結婚しましたが、子供はおらず、また離婚後も再婚はしなかったため、生涯子供を持つことはありませんでした。

葛飾応為の絵。有名な代表作品。

現在、応為が描いたとされる作品は10点ほどしか残されていません。

作品の数が極端に少なすぎることから、父・北斎の描いた作品の中にも、応為の描いた作品が含まれていると推測されています。

応為の有名な代表作品は2点あげられます。

応為の代表作品:「吉原格子先図」

この作品は1818年から1844年の間に描かれたとされる作品です。

吉原遊廓の花魁たちが室内で居並ぶ張見世の様子を描いたとされています。

父・北斎はこの作品の紙のサイズと同じ、日本人の生活風景を題材にした水彩画をオランダ人の依頼によって描いていたこともあり、この作品も応為がオランダ人の依頼を受け描いたのではないか、とされています。

応為の代表作品:「春夜美人図」

代表作の1つである「春夜美人図」は「夜桜美人図」とも呼ばれています。

無款ですが、父・北斎に似た女性描写で、明暗や細部の描写が応為の他の作品と共通することから、応為の作品とされています。

寛文9年(1669年)から 享保10年(1725年)4月19日まで活躍していた江戸時代の女流俳人である秋色女(しゅうしきじょ)を描きました。

【エピソード】葛飾応為の最後や性格が分かる逸話

応為はいつ亡くなったのか、未だ判明されていません。

応為の父・北斎は、90歳まで生き、亡くなる3か月前まで絵の制作をしていました。

そんな父・北斎と応為の性格はそっくりで慎しむことをせず、男勝りな性格であったとされています。

父・北斎は、自分で食事を作ることを嫌っていました。

そのため、食事は貰いものや、出前を取っていたとされています。

また、家に食器はなく、食べた後の包装紙や食べカスは家の中に放置していました。

つまり、葛飾家はゴミ屋敷状態であったのです。

そんな環境で育った応為も、父・北斎と同様に魚を頂いても調理をすることが面倒くさいため、いただきものを他者へと渡していたとされています。

父・北斎に似て、面倒くさがりで、絵画制作以外の事には興味がなかったのでしょう。

父・北斎は煙草や、酒を好んでいなかったとされていますが、応為は煙草を吸っていました。

北斎の弟子・露木為一によると、応為が煙草を吸っていた際、父・北斎の作品の上に火種を落としてしまいました。

火種を落としてしまった応為は、非常に反省し、一時は禁煙していたとされています。

しかし、しばらくすると再び煙草を吸っていたようで、応為の禁煙は長くは続きませんでした。

このような逸話から応為は父・北斎に似て男勝りな性格で、愛煙家であったことがわかります。

 

まとめ 葛飾応為のドラマやアニメはある?

葛飾応為の生涯、性格、代表作品、エピソードのご紹介でした。

簡単にまとめると

  • 葛飾北斎の娘であった
  • 1度結婚するも、離婚し父の下へ戻る
  • 父とともに絵画制作行う
  • 代表作を残す
  • 父ににて男勝りな性格で愛煙家であった

離婚後、父・北斎とともに二人三脚で絵画制作を行っていたことが分かりました。

しかし、父・北斎に似て、自宅がゴミ屋敷でも気にならなかった応為は離婚されても仕方ありませんよね。

そんな葛飾北斎の娘・葛飾応為を題材にした有名なドラマはNHK特集ドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』です。

  • 葛飾応為を女優の宮崎あおいさん
  • 葛飾北斎を俳優の長塚京三さん

が演じられました。

応為は、顎が突き出て美人ではなかったとされますが、応為を演じる宮崎あおいさんはとっても美人な女優さんですよね。

また北斎と、応為を描いたアニメ映画「百日紅」では

  • 葛飾応為の声を女優の杏さん
  • 葛飾北斎の声を俳優の松重豊さん

が演じられました。

これを機に、葛飾応為に興味を持った方はNHK特集ドラマ「眩(くらら)~北斎の娘~」、アニメ映画「百日紅」を見てみてください。

以上「葛飾応為の性格と生涯の代表作品、最期と面白いエピソード」のご紹介でした。

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