あなたは、古田重然(古田織部)という武将をご存知でしょうか。
武将としても活躍し、茶の達人である千利休に弟子入りし茶を学んだ人物です。
漫画「へうげもの」には主人公として、登場しているので知っている方も多いかもしれませんね。
では、武士でありながら、千利休の弟子となった古田重然という人物はどのような人物であったのでしょうか。
今回は、そんな古田重然の
- 生涯
- 逸話
- 代表作品
などをご紹介していきます。
これを読めば、古田重然の生涯や、逸話、代表作品などを知ることができますよ。
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— 山田芳裕へうげもの担当 (@hyougemono1) 2017年6月9日
古田重然(古田織部)の生い立ちと生涯は?
古田重然は、天文12年(1543年)現在の岐阜県にあたる美濃国本巣郡の山口城主・古田重安の弟・古田重定の長男として誕生します。
その後、伯父である古田重安の養子に迎えられました。
重然は、父・古田重定と同様に武士となりましたが、茶人としての生き方に強い憧れを抱きました。
しかし、重然の名前が初めて茶会記に記録されたのは、重然が40歳の時の天正11年(1583年)で、若い頃はあまり茶に興味を抱いていなかったのでは?とも考えられています。
その証拠に、松屋久重が編集した「茶道四祖伝書」に記述される武将・佐久間不干斎の話では重然は、もともと茶の湯が大っ嫌いであったが、信長の家臣・中川清秀にそそのかされて茶の道に進むようになった。と残されいます。
このようなことから、重然は若い頃はあまり茶に興味を示さなかったということが分かります。
重然は、美濃国の守護大名土岐氏に仕えていましたが、永禄9年(1567年)になると織田信長に家臣として仕えるようになりました。
永禄10年(1568年)におきた信長による摂津国(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)の攻略に参加した記録が残されています。
永禄11年(1569年)摂津国の武将であった中川清秀の妹・せんと結婚します。
この時、摂津国の武将であった中川清秀は信長が上洛すると従っていました。
天正4年(1576年)現在の京都市南区にあたる山城国乙訓郡上久世荘の代官となります。
天正6年(1578年)7月、信長の嫡男・織田信忠による播磨神谷城攻めの際には、戦場における伝令や監察、また敵軍への使者などの役割である使番を務めました。
この戦で使番であった重然は、功績を残します。
その後、
- 天正4年(1576年)11月に信長の家臣・荒木村重の信長に対する謀反では、義兄・中川清秀も荒木方に味方したため、義兄・中川清秀を織田方に連れ戻す。
- 豊臣秀吉による播磨攻めに参加
- 明智光秀による丹波攻めに参加
- 信長による甲州征伐に、義兄・中川清秀とともに参加
などを行います。
主君であった織田信長が、家臣・明智光秀による謀反で自害すると、重然は豊臣秀吉に仕えました。
秀吉の家臣となった重然は、
- 天正11年(1583年)正月、伊勢亀山城の滝川一益を侵攻
- 天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いに参加
- 天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに参加
- 天正13年(1585年)紀州征伐、四国平定に義兄中川清秀の長男・秀政とともに参加
しています。
天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いの戦いの際、義兄・中川清秀が戦死したため、重然は、義兄・中川清秀の15歳の長男・秀政の後見者となりました。
天正13年(1585年)7月、主君・豊臣秀吉が関白となると、数々の戦の功績を認められ重然は従五位下織部助となります。
この従五位下織部助から、重然はたびたび「古田織部」と呼ばれるようになります。
その後も、秀吉の家臣として
- 天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月の九州平定に参加
- 天正18年(1590年)の小田原征伐に参加
- 文禄元年(1592年)から始まった文禄の役に参加
します。
古田重然(古田織部)の経歴と「織部好み」
天正10年(1582年)頃から、千利休の書簡に重然の名前記されていることから、この頃から茶人として活動していたことがわかります。
これまでの間に、千利休の弟子となったとされていますが、いつ弟子になったのかは分かっていません。
弟子入りした重然は、千利休から茶を学び、後に千利休の弟子を指す利休七哲のひとりとされるようになります。
この利休七哲には、重然の他に
- 蒲生氏郷
- 細川忠興
- 芝山宗綱
- 瀬田正忠
- 高山長房
- 牧村利貞
があげられます。
千利休は本能寺の変の後、豊臣秀吉に仕え、天正15年(1587年)の秀吉によって催された北野大茶湯では主な管理役を務め、また聚楽第の築庭などを行いました。
しかし、天正19年(1591年)には秀吉と対立関係となり、秀吉によって追放されてしまします。
秀吉が主君であった重然でしたが、師匠・千利休の追放時には同じく千利休の弟子であった細川忠興とともに、千利休を見送ったとされています。
この時、2人以外に千利休を見送った人はいませんでした。
慶長3年(1598年)重然は、息子・重広に家督を譲ったとされています。
主君・秀吉亡き後、慶長5年(1600年)9月に関ヶ原の戦いが始まります。
この戦いで、重然は、徳川家康率いる東軍に味方しました。
重然はこの時期までに茶の腕を上げ、朝廷、貴族、寺社など繋がりを持っていました。
あらゆる地位の人と繋がっていた重然は、徳川家康の息子である二代将軍・徳川秀忠の茶の湯の指南役となります。
しかし、慶長20年(1615年)大坂の陣の際、重然の家臣・木村宗喜が豊臣氏と内通し、京都に火を放とうと企んでいたのでは?と疑いをかけられ、京都所司代の板倉勝重に捕らえられました。
また重然は大阪冬の陣頃から豊臣氏と内通していたため、同年6月11日に切腹を命じられ、73歳で亡くなりました。
その後、12月にも重然の息子・重広は斬首されたため古田家は断絶となりました。
「織部好み」について
古田重成がいつ頃から茶の湯に関心を持ち、千利休の弟子となったのか判明していません。
しかし、天正10年(1582年)頃に残された千利休の書簡の中に、重然の名前が残されていることから、この頃までに千利休に出会い、千利休の弟子になったのは確かです。
- 千利休の弟子として、千利休が確立した茶の道を継承しながらも、詫び寂びとは対照的な大胆で自由な美しさを好みました。
- 重然の好んだ大胆なデザインは「織部好み」と呼ばれています。
- 重然は、職人や陶工を多く持ち、大胆なデザインの作品を作らせました。
- 重然がデザインした陶器は織部焼と呼ばれています。
重然は茶を勉強しつつ、茶の湯のコーディネーターでもあったわけです。
この重然のデザインした茶碗を見た博多の豪商・神屋宗湛は『宗湛日記』に「セト茶碗ヒツミ候也。ヘウゲモノ也」と残しました。
へうげものとは、「ひょうきん者」「面白い形の品物」という意味です。
豪商・神屋宗湛の見た重然の茶碗は、変わった形をしていたことがわかります。
また大胆なデザインを好む、重然は燕庵と呼ばれる茶室を好んだとされています。
【エピソード】古田重然(古田織部)の性格がわかる逸話
千利休は重然に「人と違うことをせよ」とたびたび告げていたため、重然は詫び寂びと対照的な大胆かつ自由なデザインを好み、職人たちに作らせ1つの流派に育て上げることができたという逸話が残されています。
弟子である、重然の美的感覚を信用していなければ、「人と違うことをせよ。」なんて言えないですよね。
また、本来薄板の上に、花を入れた籠を置くのが一般的でしたが、重然は薄板を置かずに花の入った籠をそのまま置きました。
それを見た千利休は、「昔から薄板の上に花の入った籠を置いてきたが、正直気に入っていなかった。この事に関しては、重然の弟子となり、次からはそのように籠を置きます。」と述べたとされています。
その後、薄板を使用することはありませんでした。
このような逸話から、重然は千利休から信頼されていたことが分かります。
重然に関する、このような面白い逸話も残されています。
大坂の陣の際、徳川軍として参加していた重然はこの時出家していたため、頭は丸坊主でした。
この丸坊主頭が光に反射し、そのせいで敵軍に見つかり鉄砲を打ち込まれた。という逸話が残っています。
その鉄砲は重然の頭をかすめ、重然は慌てて陣中に戻りました。
とっても面白い逸話ですよね。
光に反射し敵に見つかるほどの、丸坊主頭の持ち主であったようです。
まとめ 古田重然(古田織部)のドラマや映画はある?
古田重然の生涯、経歴、逸話のご紹介でした。
簡単にまとめると
- 若いころは茶の湯に関心を持っていなかった
- 織田信長の家臣となった
- 千利休に弟子入りする
- 中川清秀の妹と結婚する
- 信長亡き後、秀吉の家臣となり、秀吉亡き後、家康の家臣となる
- 大胆なデザインを好んだ
- 千利休からは信頼されていた
重然は、武士として数々の戦に参加するも千利休の弟子となり茶人として活躍した人物でした。
そんな古田重然が登場する有名な作品は、NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』です。
この作品では
- 古田重然をヴァイオリン奏者の古澤巌さん
- 千利休を俳優の石坂浩二さん
- 織田信長を俳優の豊川悦司さん
が演じられました。
また古田重然が登場する有名な漫画は山田芳裕さんの漫画「へうげもの」です。
この作品では古田重然の他にも
- 千利休
- 利休の弟子たち
- 伊達政宗
- 織田信長
- 本阿弥光悦
- 岩佐又兵衛
- 長谷川等伯
- 出雲阿国
などが登場しています。
フィクション作品とされていますが、重然の生きた時代の武将や文化人が多く登場していますので、歴史好きの方には大変おすすめできる漫画です。
これを機に、古田重然に興味を持った方は
- NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』
- 漫画「へうげもの」
をご覧になってください。
以上「古田重然(古田織部)の生涯と逸話。生涯の代表作品とエピソード」のご紹介でした。
コメント
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