源博雅は実在の人物?性格や逸話、陰陽師安倍晴明との関係は?

あなたは源博雅(みなもとのひろまさ)という人物をご存知でしょうか。

平安時代中期、公卿、雅楽家として活躍した人物です。

2001年に放送された映画『陰陽師』、2003年に放送された映画『陰陽師Ⅱ』で俳優の伊藤英明さんが源博雅を演じられていたこともあり、知っているという方はいるかと思います。

では源博雅はいったいどのような人物であったのでしょうか。

そこで今回は源博雅の

  • 生涯
  • 性格
  • 逸話
  • 陰陽師・安倍晴明との関係性

についてご紹介いたします。

これを読めば源博雅の生涯や性格、逸話や安倍晴明との関係性について知ることができますよ。

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源博雅の生い立ちと結婚。父母兄弟や妻子供、家系図は?

源博雅は平安時代中期にあたる延喜18年(918年)

  • 父・克明親王
  • 母・藤原時平の娘

の長男として誕生しました。

父・克明親王は第60代天皇・醍醐天皇の第一皇子です。

皇族出身であったため、幼少期は「博雅王」と呼ばれていたとされています。

祖父は第60代天皇・醍醐天皇であり、父はその祖父の第一皇子、そして源博雅はその父の長男であったということから、皇位継承は間違いなしと思われる方が多いかと思います。

しかし、当時は皇子の数も多かったため、母親の身分も関係し、母親が高い身分の貴族出身でなければ、皇位継承を行うことはできませんでした。

源博雅の母親は藤原時平の娘で、それほど高い身分の貴族ではなかったとされ、そのため博雅は皇位継承ルートから外れることとなり、臣籍降下し「源」の姓が与えられ貴族となりました。

後に

  • 承平4年(934年)従四位下
  • 天暦元年(947年)中務大輔
  • 天徳3年(959年)右兵衛督
  • 康保2年(965年)左中将
  • 天延2年(974年)従三位・皇太后宮権大夫

に就任していきます。

源博雅の生涯のエピソードや最期。陰陽師安倍晴明との関係は?

「源」の姓を与えられた博雅は

  • 横笛
  • 琵琶
  • 大篳篥
  • 和琴
  • 催馬楽

などを使用した雅楽に優れた人物でした。

音楽の才能を持っていた博雅は、

  • 箏を後醍醐天皇から
  • 郢曲を敦実親王(醍醐天皇の同母弟)から
  • 琵琶を源脩(仁明天皇の皇孫)から
  • 笛は大石峰吉から
  • 篳篥は峰吉の子・富門と良峰行正から

学んだとされています。

音楽の才能を認められた博雅は、天暦5年(951年)内宴で和琴を演奏し、康保3年(966年)には村上天皇の命令で『新撰楽譜(長秋卿竹譜)』の作成を行いました。

この『新撰楽譜(長秋卿竹譜)』は最古の笛譜とされ、今では貴重な文化遺産として扱われています。

また『新撰楽譜(長秋卿竹譜)』は後に紫式部も聴いていたとされています。

そんな博雅は様々な物語の中に登場しています。

  • 「十訓抄」では、博雅が朱雀門にいる鬼から名笛「葉二(はふたつ)」を取り返す話
  • 「古今著聞集」では盗みに入った盗人を笛の音で改心させる話
  • 「今昔物語」では、羅城門にいる鬼から琵琶の名器「玄象(げんじょう)」を取り戻した話

などが残されています。

どれも楽器に関わる話ばかりであるため、博雅の音楽の才能は皆が認めるものであったということが分かります。

博雅はその後、天徳4年(960年)に開催された村上天皇の歌会「天徳内裏歌合」に講師として参加します。

その後の記録は残されていませんが天元3年(980年)9月28日、62歳で亡くなりました。

博雅には名前は不詳とされていますが、妻がいたとされ、2人の間には

  • 信貞
  • 信明
  • 信義
  • 至光

4人の子供がいたとされています。

いつ頃、結婚したかなどは分かっていません。

陰陽師・安倍晴明との関係性

映画「陰陽師」では安倍晴明と博雅は友達のような関係性でした。

安倍晴明とは延喜21年(921年)1月11日に誕生した人物です。

博雅の方が年上ということになります。

安倍清明は村上天皇に認められ占いなどを行う陰陽師として活躍した人物です。

実際、2人はどのような関係性であったのでしょうか。

調べてみると、安倍晴明と博雅の交流があったとされる史料は残されていませんでした。

しかし、交流はなくとも、1度は顔を合わしていたのではないかと考えられます。

なぜなら、博雅が一時期役職として就いていた中務省の中には、様々な陰陽師たちが所属する陰陽寮が下部組織としてありました。

このことから、陰陽師であった安倍清明と、中務省で働いていた博雅は交流がなくとも、互いに面識があったという可能性は高いと考えられます。

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【逸話】源博雅の性格。笛の名手でイケメンだった?

そんな博雅を公卿・藤原実資は自身の日記『小右記』のなかで博雅について

「博雅の如きは文筆・管絃者なり。ただし、天下懈怠の白物なり」

と記しています。

博雅という人物は文筆、管絃は優れているが、それ以外はなにもできない大馬鹿者だという意味です。

天徳4年(960年)博雅は村上天皇によって行われた歌合「天徳内裏歌合」の詩を詠む講師として参加します。

しかし、歌を詠む際、緊張のあまり、出されていた歌題とは異なる歌を詠ってしまったという失態を犯したとされています。

また朝廷の用事もすっぽかすなど、ひどく怠慢であったとされています。

そのため、音楽の才能はあるが、それ以外はなにもできない。と評価されてしまったのです。

どうやら博雅は音楽の才能はあるものの、仕事を熱心に行うといった人物ではなかったようです。

博雅がイケメンであったという史実は残念ながら残されていません。

まとめ 源博雅のドラマや映画や小説はある?

源博雅の生涯と性格、逸話や安倍清明との関係性についてご紹介いたしました。

簡単にまとめると

  • 第60代天皇・醍醐天皇の孫
  • 臣籍降下され「源」と名乗る
  • 音楽の才能があったが、仕事を熱心に行うタイプではなかった
  • 安倍清明と交流があった記録は残されていない

源博雅は謎の多い人物でした。

音楽の才能に優れていたとされ、その才能は天皇から認められるなど、博雅は平安時代を代表する音楽家でした。

しかし、音楽以外はできなかったと評価されるなど、あまり仕事を熱心にこなすタイプではなかったようです。

映画「陰陽師」では安倍清明と友達のような関係性でしたが、実際は交流があったという記録は残されていません。

そんな源博雅が登場する有名な映画は「陰陽師」です。

この作品では

  • 源博雅を俳優の伊藤英明さん
  • 安倍清明を狂言師の野村萬斎さん

が演じられています。

また、2001年に放送されたドラマ「陰陽師」では

  • 源博雅を俳優の杉本哲太さん
  • 安倍清明を俳優の稲垣吾郎

さんが演じられています。

夢枕獏さんの小説『陰陽師』にも源博雅、安倍清明は登場しています。

これを機に源博雅に興味を持った方は映画『陰陽師』、夢枕獏さんの小説『陰陽師』を見てみてください。

以上「源博雅は実在の人物?性格や逸話、陰陽師安倍晴明との関係性について」のご紹介でした。

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