常盤御前の性格や生涯の子供たち、最期の死因を簡単におさらい!源義経の母親で源義朝の妻、大河ドラマ平清盛で女優稲森いずみが演じた美人は由良御前や静御前とどんな関係にあった?

あなたは常盤御前という女性をご存知でしょうか。

NHK大河ドラマ「義経」で女優の稲森いずみさんが常盤御前を演じられていたので知っているという方も多いかと思います。

現在放送中の朝ドラ「なつぞら」に登場するアニメ『わんぱく牛若丸』のキャラクターとして常盤御前が登場しているので、常盤御前について知りたくなったという人も多いことでしょう。

 

常盤御前はかの有名な源義経の母親となった女性です。

絶世の美女としても有名な常盤御前は一体どのような女性であったのでしょうか。

 

そこで今回は常盤御前の

  • 生涯
  • 性格
  • 子供
  • 死因
  • 由良御前や静御前との関係性

についてご紹介いたします。

 

これを読めば常盤御前の生涯や性格、また子供たちや由良御前・静御前との関係性について知ることができますよ。

 

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常盤御前の生い立ち。父母兄弟や夫子供、家系図は?

常盤御前は平安時代末期にあたる保延4年(1138年)に誕生しました。

 

両親がだれなのか、またどのような身分の出身であったかは分かっていませんが、近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女であったとされています。

 

雑仕女とはお世話係のようなものです。つまり九条院(藤原呈子)のお世話係です。

 

当時、九条院(藤原呈子)が近衛天皇に嫁いだ際、九条院(藤原呈子)のお世話係が募集されました。

 

そのお世話係に応募した常盤御前は見事、採用され九条院(藤原呈子)の雑仕女となります。

 

この時、常盤御前は13歳であったとされています。

 

平安時代、天皇の妃のお世話係というのは皇族や貴族にとって一種のステータスであったとされています。

 

またお世話係は身分や家柄関係なくなることができたため、多くの女性たちがこぞってこの募集に応募しました。

 

しかし、多くの女性たちの中でも、美しい女性しか選ばれなかったとされています。

 

そのため、雑仕女に採用された常盤御前は美人であったということが分かります。

 

こうして雑仕女となった常盤御前は、その後、どのような経緯があったのかは分かっていませんが、武士である源義朝の側室となります

 

源義朝とは20代半ばで南関東の豪族を統治した源氏のリーダーのような存在の人物です。

 

2人の間には

  • 仁平3年(1153年)に今若(後の阿野全成)
  • 久寿2年(1155年)に乙若(後の義円)
  • 平治元年(1159年)に牛若(後の源義経)

が誕生します。

 

常盤御前の生涯から死因まで。源義朝の妻になり源義経の母になった人物はどんな性格だった?

3人目の子供である牛若(後の源義経)が誕生した平治元年(1159年)はちょうど、平治の乱(藤原信頼VS二条親政派)が勃発した時期です。

 

この平治の乱が勃発する前の保元元年(1156年)7月、後白河天皇と崇徳上皇の争いである保元の乱が勃発しました。

 

この保元の乱とは家督を巡り、後白河天皇と崇徳上皇が対立したもので、朝廷は後白河天皇方、また崇徳上皇方に分裂し、平家や源氏も巻き込まれることとなった争いです。

 

夫の源義朝は後白河天皇方として東国武士団を率いてこの争いに参陣していました。

 

しかし、夫・源義朝の

  • 源為義(父)
  • 源頼賢(弟)
  • 源為朝(弟)

などは崇徳上皇方につくことととなり、家族内でも分裂することとなったのです。

 

後白河天皇方には源義朝だけではなく平清盛も味方し、共に崇徳上皇方と戦い、見事この争いは後白河天皇方の勝利となります。

 

しかしその後の平治元年(1160年)に起こった平治の乱(藤原信頼VS二条親政派)では、保元の乱で共に戦った平清盛が二条親政派に味方し、2人は敵対同士となりました。

 

この平治の乱は藤原信頼が二条新政派に敗れる結果となり、常盤御前の夫・源義朝は平治2年(1160年)1月3日、38歳で亡くなります。

 

夫・源義朝が亡くなると、平氏によって源義朝の一族は次々と殺害されていきました。

 

夫・源義朝は常盤御前の他に、由良御前という正室がおり、2人の間に誕生した源頼朝は平氏によって伊豆へと配流されます。

 

平清盛の側室となる

このような中、命の危機を感じた常盤御前は3人の息子を連れ平治2年(1160年)1月17日、親しい友人を頼り大和国の宇陀へと都落ちしますが、匿ってもらえず、その後、大和国の大東で身を隠します。

 

しかし、自身の母親が自らの代わりに平氏方に拷問にかけられているということを知ると、常盤御前は3人の子供たちを連れ、平清盛もとに出向き、自首するのでした。

 

平氏方に自首するということは、自らの命だけではなく、3人の子供たちの命も失うということは目に見えています。

 

そのため、常盤御前は覚悟を決め平清盛に自首をしたのですが、常盤御前を見るなり、その美貌に一目ぼれした平清盛は常盤御前と、3人の子供を保護することとしました。

 

保護された

  • 今若(後の阿野全成)はすぐさま醍醐寺に預けられ、その後出家
  • 乙若(後の義円)すぐさま園城寺に預けられ、その後出家
  • 牛若(後の源義経)は幼かったため、しばらくしてから鞍馬寺に預けられます。

 

保護された常盤御前は平清盛の妾となり、2人の間には応保元年(1161年)廊御方が誕生しました。

 

常盤御前にとって平清盛とは夫・源義朝を死に追いやった時の権力者であり、平清盛にとって常盤御前とは戦友でもありライバルでもあった亡き源義朝の妻ということとなります。

 

そのような2人の間に子供が誕生するとは驚きです。

 

また常盤御前は源義朝や平清盛の他に、貴族である一条長成との間に

  • 長寛2年(1163年)一条能成
  • 生没年不詳の女子

が誕生しています。

源義経と源頼朝の兄弟対立

常盤御前の子供である牛若(後の源義経)は鞍馬寺へと預けられ遮那王と名乗りました。

 

しかし、遮那王が10歳になったころ、自分は平清盛のもとで育ったにもかかわらず、源義朝が実の父親であるということを知ります。

 

自身の過去を知った遮那王は平家討伐を誓い、武者修行に打ち込むようになりました。

 

その後、15歳になった遮那王は鞍馬寺を飛び出し、元服すると義経と名乗り始めます

 

平家討伐を誓う義経に転機が訪れます。

 

伊豆へと配流されていた異母兄である源頼朝が平家討伐のため兵を挙げたのです。

 

そのため義経は兄・源頼朝とともに平家討伐を掲げ全国各地で勃発する数々の源平合戦に参加します。

 

しかし、2人は次第に対立関係となっていくこととなり、源義経は源頼朝に追われる身となります。

 

 

そのため源義経が都落ちをすると、母親である常盤御前は義経の妹とともに文治2年(1186年)6月6日に京都の一条河崎観音堂の辺りで源頼朝方に捕らえられることとなりました。

 

しかし、捕らえられた後、常盤御前と義経の妹は鎌倉へと護送された形跡がないため釈放されたのではと考えられています。

 

その後の常盤御前の行動は分かっておらず、

  • 釈放されたのち、侍女とともに義経を追った
  • 人目を避けて東京都青梅市成木の最奥部、常盤の地に住んだ

という伝承もあります。

 

常盤御前の最期の行動などは分かっておらず、没年や死因なども分かっていません。

 

常盤御前は平清盛や由良御前、静御前とどんな関係にあった?

常盤御前と平清盛との関係性

常盤御前は夫・源義朝の亡き後、敵対していた平清盛の妾となりました。

 

常盤御前の美貌に惹かれ、平清盛は常盤御前を妾にしたとも考えられていますが、一方で、常盤御前の子供たちの助命嘆願を聞き入れる代わりに、平清盛は常盤御前を側室にしたとも考えられています。

 

その後、常盤御前は平清盛との間に、廊御方が誕生します。

 

この廊御方は母親である常盤御前に似て天下第一の美女と称されていたとされています。

由良御前との関係性

由良御前とは源義朝の正室です

 

簡単にまとめると

  • 常盤御前は源義朝の側室
  • 由良御前は源義朝の正室

ということとなりまと。

 

正室である由良御前と源義朝の間には

  • 久安3年(1147年)に源頼朝
  • 仁平2年(1152年)に源希義
  • 久寿元年(1154年)または久安元年(1145年)に坊門姫

が誕生しています。

 

正室・由良御前と側室・常盤御前の直接的な関わりがあったとされる史料は残されていません。

 

静御前との関係性

静御前とは源義経の妾となった女性です。

 

源義経が源頼朝と対立し、追われる身となった際、静御前も義経とともに京都から九州へと落ちようとしていました。

 

しかし、共に行動していた義経らとはぐれると文治2年(1186年)3月に源頼朝方に捕らえられ、母とともに鎌倉へと送られます。

 

源頼朝に捕らえられた静御前でしたが、この時、義経の子供を妊娠していました。

 

これに対し、源頼朝は生まれてきた子供が男子なら、その子供は殺すと命じられます。

 

しかし、生まれてきた子供は男子であったため、源頼朝の命によって生まれたばかりの子供は由比ヶ浜に沈められました。

 

その後の静御前の消息は分かっていません。

 

静御前にとって常盤御前は義理の母親ということとなりますが、2人の間に直接的な関わりがあったかは分かっていません。

 

まとめ 女優稲森いずみが演じた美人常盤御前の作品は?ほかにドラマや映画や小説はある?

Tokiwa Gozen fleeing with her children throught the snow.jpg
By 歌川国芳http://visipix.com/search/search.php?userid=1616934267&q=%272aAuthors/K/Kuniyoshi%201797-1861%2C%20Utagawa%2C%20Japan%27&s=22&l=en&u=2&ub=1&k=1, パブリック・ドメイン, Link

常盤御前の生涯や性格、子供たちや最期、由良御前や静御前との関係性についてご紹介しました。

簡単にまとめると

  • 絶世の美女であった
  • 源義朝の側室となる
  • 源義経の母親となる
  • 源義朝の死後、平清盛の側室となる
  • 死因や没年は不明

 

常盤御前は源義朝の側室となり源義経の母となった女性でした。

夫・源義朝が亡くなると、源義朝の戦友でもありライバルでもある平清盛の側室として迎えられます。

その後、自身の息子・義経が自身の過去を知り平家討伐を掲げた源頼朝と手を組むようになるも、源頼朝と対立するようになり、常盤御前も都落ちを余儀なくされます。

都落ちをした常盤御前は源頼朝方に捕らえられることとなりましたが、鎌倉へと護送された形跡がなく、その後の足取りも記録に残されていないため、どのような最期を迎えたのかは分かっていません。

 

謎の多い女性、常盤御前が登場する有名な大河ドラマは2005年に放送された「義経」です。

この作品では

 

  • 常盤御前を女優の稲森いずみさん

 

  • 源義朝を俳優の加藤雅也さん
  • 源義経を俳優の滝沢秀明さん(遮那王時代は俳優の神木隆之介さん)
  • 静御前を女優の石原さとみさん
  • 源頼朝を俳優の中井貴一さん

が演じられています。

 

また2012年に放送された大河ドラマ「平清盛」では

 

  • 常盤御前を女優の武井咲さん

 

  • 源義朝を俳優の玉木宏さん
  • 源義経を俳優の神木隆之介さん
  • 由良御前を女優の田中麗奈さん
  • 源頼朝を俳優の岡田将生さん

が演じられています。

 

常盤御前は非常に美しい女性であったとされていますが、大河ドラマ「義経」「平清盛」どちらも美しい女優の方が演じられています。

 

これを機に常盤御前に興味を持った方は大河ドラマ「義経」「平清盛」を見てみてください。

 

以上「常盤御前の性格や生涯の子供たち、最期の死因を簡単におさらい!源義経の母親で源義朝の妻、大河ドラマ『義経』で女優稲森いずみが演じた常盤御前と由良御前・静御前との関係性について」のご紹介でした。

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