幕末に活躍した新選組の隊士だった井上源三郎。
あなたは知っていますか?
近藤勇や土方歳三、沖田総司は知っているけど、”井上さん”は知らないなぁという人は多いと思います。
2004年の大河ドラマ「新選組‼」では、脇役でいい味を出している小林隆さんが演じていた「源さん」といえば、わかってもらえるかもしれませんね。
今回は、井上源三郎について
- 井上源三郎の生い立ちは?
- 井上源三郎の経歴とエピソード
- 井上源三郎の逸話からわかる人物像
を紹介します。
こちらを読めば、井上源三郎の生い立ちや経歴、新選組での立場や人物像が分かります。
「新選組‼」や新選組関連の小説も、少し違った見方ができて楽しいくなります。
是非お読みくださいね。
NHK大河の新選組!好きすぎて…ほんと布教したい!!
うちがオタクに舞い戻る切っ掛けの作品!
10年?前のですが脚本三谷幸喜さんで面白いし俳優陣すごく豪華なんですよ!!?
DVDボックス高くて涙目だけど多分買う… pic.twitter.com/Ogcq37oRC2— えにゃ@3/17西4【コ17a】 (@enyamame) 2015年4月15日
井上源三郎の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い
井上源三郎の生い立ちや家族を紹介
井上源三郎は、日野宿北原(今の東京都日野市)で生まれました。
文政12年(1829年)4月4日のことです。
父は、八王子千人同心の井上藤左ヱ門(とうざえもん)です。
八王子千人同心とは、多摩郡八王子に置かれた郷士身分の幕臣です。
分かりやすく言うと、農民の身分ながら
- 重要な地点の警備や治安維持の仕事を任せられていた
- 武士の待遇を受けていた
そのような人たちのことです。
また、多摩地方は、江戸幕府の領地でしたので、ほかの地方の人より徳川に対して親近感を持っていました。
八王子千人同心の人たちも
「徳川の殿様は,俺たちが守ってやる」
という意気込みを持って仕事に励んでいました。
ちなみに、新選組のトップ2、近藤勇と土方歳三も多摩地方の出身です。
ですので、幕府を助けようという気持ちはとても強かったのです。
幕府のために奮闘した新選組のルーツはこんなところにあったんですね。
話を戻して井上源三郎の経歴を見てみましょう。
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嘉永元年(1848年)頃 天然理心流 近藤周助の門人となる
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万延元年(1860年) 天然理心流免許皆伝
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文久3年(1863年)2月 近藤たちとともに浪士隊に参加のち新選組結成
近藤勇の世話をしていた
井上が近藤周助の門人となってしばらくして、島崎勝太、後の近藤勇が近藤周助の養子になりました。
近藤は,文久元年(1861年)に周助の跡を継ぎ、道場主になりました。
井上は近藤の兄弟子でしたが、近藤が道場主になった後も変わらず道場での稽古や近藤の世話などを続けています。
井上源三郎の性格がわかる面白いエピソードとは?
新選組が結成されてからの井上は,幹部待遇の副長助勤から六番隊長になっています。
エピソード1 新選組の六番隊長となり活躍
新選組での活躍は
- 池田屋事件で土方率いる隊の指揮を執り、8人の浪士を捕縛
- 禁門の変
- 天王山の戦い
などが知られていますが、六番隊長として日々の巡察(市中の見回り)もこなしています。
毎日が命のやり取りのような緊張感の続く中でしっかりと勤務に励んでいました。
エピソード2 沖田総司にとって井上源三郎は家族のような存在であった
免許皆伝に12年もかかったことから、剣術はあまり強くなかったのではと思われがちですが、新選組での活躍ぶりを見ると、確かな剣の腕を持っていたと言えます。
新選組では、毎日厳しい剣術の稽古をしていましたが、剣の天才といわれた沖田総司はよくサボっていました。
新選組屯所からすぐ近くの壬生寺で子供たちとの遊びに夢中になっている沖田を井上が呼びに行くと、うんざり顔の沖田が軽口をたたいたりしている様子を屯所として家を貸していた八木家の人が目撃しています。
沖田にとっては、井上は江戸の頃からの家族のようなもので、井上は相変わらずみんなの世話を焼いていたのですね。
エピソード3 無口で落ち着いた雰囲気を持っていた
当時八木家の長男、八木為三郎は、井上源三郎をこのように言っています。
「井上はその時分もう四十くらいで、無口な、それで非常に人の好い人でした」
子母沢寛 『新選組始末記』 1969年初版
井上の年齢は、新選組結成当時で35歳でしたので、ずいぶん老けて見られたものですね。
それだけ落ち着いた雰囲気があったのでしょう。
井上源三郎の人物像がわかる面白い逸話とは?
新選組では、沖田や永倉新八たちのような華々しい活躍は、あまり伝わってきていませんが、井上は、近藤や土方から絶大の信頼を寄せられていました。
逸話1 手紙から読み取れる井上源三郎の優しい性格
鬼の土方にとっては、張り詰めた心をほんの少しでも和らげてくれる大事な存在でした。
同じ天然理心流門人であったことも一つの要因ですが、やはり井上の人望がそうさせたのでしょう。
井上源三郎が兄の井上松五郎にあてた手紙が残っていますが、その文面にも井上の優しさや純朴さが表れています。
- 近藤・土方たちの無事を報告
- 将軍家茂の上洛や長州征伐の話
- 関東が豊作で喜んでいるという話
などが書かれています。
近藤たちの無事を報告する手紙には、近藤以下江戸で親しかった人たちの名前を丁寧に書いています。
生真面目な井上らしい手紙ですね。
近藤や土方も江戸の親戚に手紙を書いていますが、井上の手紙は特に温かみが伝わってきます。
井上の温厚な人物像が見えてくるようです。
逸話2 井上源三郎の最期
慶応4年(1868年)1月3日、鳥羽伏見の戦いが始まり、幕府軍は劣勢となり、淀千本松まで引き上げます。
1月5日、官軍となった薩長軍と激戦を繰り広げる中、井上源三郎も奮戦します。
しかし、敵の銃弾を受け、戦死。
享年40歳でした。
共に戦っていた甥の井上泰助が、井上の首を持ち帰ろうとしたのですが、重すぎて撤退することができず、泣く泣く近くの寺院に刀とともに埋葬しました。
井上泰助は源三郎の兄松五郎の子で、当時まだ12歳でした。
源三郎をしたって新選組に入隊して間もないころの戦、叔父の経験した泰助は非常なショックを受けていたことでしょう。
この泰助が源三郎について語った言葉が残っています。
「おじさんは普段は無口でおとなしい人だったが、一度こう思いつめると、テコでも動かないところがあった。鳥羽伏見で大坂へ引き上げの命令が来たが、それでも聞かず戦い続けていた。弾丸に当たった時は手当のひまもなく息絶えてしまった(省略)人間の首というものが、あれほど重いものだとは思ってもみなかったことだった」
山村竜也 『真説 新選組』 2001年
埋葬した寺の名前は不明といわれてきましたが、京都伏見墨染の欣浄寺(ごんじょうじ)に首塚が残っていることが分かってきました。
井上源三郎が戦死するシーンはあまり映像化されていませんが、「新選組‼」では、とても印象的なシーンになっていました。
マトリックスを想像するような演出もあり、、でも最後は泣いてしまうようないいシーンでした。
【結論】井上源三郎の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い
今回は、井上源三郎の生い立ち・経歴とエピソードについて紹介しました。
では、簡単におさらいです。
- 井上源三郎は、八王子千人同心の心意気を持つ
- 井上源三郎は、努力を重ねて免許皆伝を得る
- 井上源三郎は、温厚で人の好い世話好きな性格
- 井上源三郎は、新選組になくてはならない人
新選組を書いた小説には、井上源三郎が主人公のものはほとんどありませんが、どの小説にも温厚で穏やかな源さんが登場しています。
読んでいても源さんが出てくるとなんだかほっとしたりして。
「新選組‼」の源さんも近藤さんにお茶を入れたり、土方さんとほかの隊士とのいさかいを心配したりと、とても優しくてでも芯のある素敵な人として描かれていました。
井上源三郎を中心に描いている小説は少ないのですが、一つ紹介しておきます。
- 「新選組血風録」 内に収録 〈三条磧乱刃 〉 司馬遼太郎
温厚なだけでなく頑固一徹な井上源三郎が、垣間見える面白い作品です。
興味のある人は,読んでみてください。
以上、「井上源三郎の生い立ちとエピソードから見た人物像」でした。
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