柳生十兵衛の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

眼帯をしてバッタバッタと敵を切り倒す剣豪。

痛快な時代劇でおなじみの柳生十兵衛ですが、あなたは知っていますか?

今を時めく若手俳優真剣佑(まっけんゆう)さんのお父さん、千葉真一さんの当たり役だったですよ。

今回は、柳生十兵衛について

  • 生い立ちと経歴は?
  • 剣豪としてのエピソードから見る性格は?
  • 逸話の多い柳生十兵衛の真の人物像は?

を紹介します。

こちらを読めば、柳生十兵衛の生涯、エピソードや人となりが分かります。

ぜひ最後までご覧ください。

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柳生十兵衛の生い立ちと経歴・家族は?

柳生十兵衛は、慶長12年(1607年)大和国柳生庄(やぎゅうのしょう:今の奈良県柳生町)で生まれました。

父は柳生宗矩。

2代将軍徳川秀忠の兵法指南を務め、のち柳生藩初代藩主となりました。

  • 元和2年(1616年) 初めて秀忠に謁見する
  • 元和5年(1619年) 徳川家光の小姓となる

小姓とは、身分の高い人のそばに仕えて、雑用などをする少年です。

家光と十兵衛は、年が近く家光が3歳年長でしたので、十兵衛は家光のお世話係兼話し相手兼剣術の練習相手でした。

ところが・・・。

  • 寛永3年(1626年) 家光の機嫌をひどく損ねて蟄居(ちっきょ:家で謹慎して外出しないこと)を命じられる。その後江戸を離れる

蟄居を命じられた理由は、はっきりわかっていません。

剣術の稽古中、十兵衛が家光を思い切り打ち負かせたためだとか、父柳生宗矩の命により隠密として働くために蟄居を装ったなどともいう説があります。

家光から蟄居の許しが出たのは、それから11年後でした。

その間、十兵衛は柳生に戻り、弟子たちに剣術を教えたり、兵法の研究をしたり、武者修行に出たりしていました。

のちの講談や小説などの十兵衛像は、この期間の十兵衛が元となっています。

  • 寛永14年(1637年) 江戸へ帰り、父宗矩から剣術・兵法の教えを受ける
  • 寛永15年(1838年) 再び家光に仕え、江戸城御書院番に任じられる
  • 寛永16年(1839年) 家光の御前で、父の高弟木村知重(助九郎)と弟宗冬とともに兵法を披露
  • 寛永19年(1840年) 謹慎中に収集していた柳生新陰流の資料などをまとめ、『月之抄』を著す
  • 正保3年(1646年) 父宗矩がなくなり、十兵衛が家督を継ぐ
  • 慶安3年(1650年) 鷹狩りに出かけた先で急死する 享年44歳

十兵衛の死は、突然だったため、暗殺説も出ています。

脳出血が原因ともいわれ、いまだはっきりとわかっていません。

柳生新陰流の達人で剣豪と言われた柳生十兵衛ですが、その生涯は謎が多く、そのために小説家や脚本家の創作意識を大いに掻き立て多くの柳生十兵衛が登場したのです。

柳生十兵衛の性格が分かる面白いエピソードとは?

十兵衛の剣術の腕は本当に強かったのか。

謎が多すぎるとそこまで疑問に思ってしまいますが、剣の才能が高かったことは確かです。

将軍の剣術指南役として仕えていたことや柳生流の始祖であり十兵衛の祖父・柳生石舟斎の生まれ変わりなどと言われていたことからも想像がつきます。

柳生新陰流の達人で”鍵屋の辻の決闘”で有名な荒木又右衛門が十兵衛に師事していたという話も伝わっています。

鍵屋の辻の決闘とは荒木又右衛門が岡山藩士渡辺数馬の助太刀をしたかたき討ちです。11人もの敵に対し、たった4人で向かい、荒木又右衛門は大活躍をしています

寛永3年から14年までの空白の期間も、柳生にこもりっぱなしではなく山賊をやっつけたり、京都粟田口で数十人の盗賊を追い散らしたり、剣術修行として諸国をめぐっていたという説もあります。

そうなると、宗矩の指示のもと公儀隠密として働いていたというのも全くの作り話ではないのかもしれませんね。

柳生十兵衛の人物像が分かる面白い逸話とは?

柳生十兵衛といえば、隻眼(せきがん:片目)の剣豪として眼帯を付けた姿が浮かびます。

実は隻眼ではなかった?

ですが実際は、片目ではなかったんです。

ではなぜ隻眼の十兵衛が定説になっているのでしょうか。

『柳生(柳荒)美談』という戯作本では、父宗矩が十兵衛の腕を試すために真っ暗な夜に十兵衛に向って小石を投げたところ、十兵衛の右目に命中して失明したとあります。

ほかの資料には父宗矩との剣術の稽古中に、宗矩が珍しく手元を狂わせて十兵衛の右目に太刀先が当たってしまったという話も載っています。

ですが、十兵衛の肖像画は隻眼ではありません。

十兵衛自身の兵法書などにも、隻眼であるということは書かれていません。

なぜ十兵衛隻眼説が出てきたのかは、不明ですが、

今のところ言えるのは、両目とも見えている十兵衛が本当の柳生十兵衛の姿だということです。

剣が強くて優しいイメージのある十兵衛

柳生十兵衛は、隻眼以外にも”剣が強くて優しくて”というイメージがあります。

これも小説や講談の影響で、実際は結構荒っぽい人でした。

お酒が好きで、酔ってくると言動が荒くなる、つまり酒乱だったのです。

父の友人だった沢庵和尚にもたびたび注意を受けていたのですが治りませんでした。

家光が怒った理由も十兵衛に酒癖の悪さが災いしたという説もあるほどです。

若いころの十兵衛は、恐れを知らぬ剛勇の人だったのです。

ですが、父が亡くなり家督を継いでからは寛容になり質実剛健な家風を守っていたといいますから、少しはお酒を控えていたのでしょう。

フィクションの十兵衛とは、まったく違った人物像が現れましたね。

まとめ:柳生十兵衛の生い立ちや経歴、逸話からわかる人物像

今回は、柳生十兵衛を紹介しました。

簡単にまとめておきましょう。

  • 柳生十兵衛は柳生新陰流の達人
  • 父柳生宗矩は徳川秀忠の剣術指南役
  • 柳生十兵衛は家光の小姓だった
  • 柳生十兵衛はお酒好き
  • 柳生十兵衛は隻眼ではなかった

時代劇が好きな人には、少しショックだったかもしれません。

でも、これだけ柳生十兵衛の小説やドラマがあるのは実際の十兵衛に魅力があったからです。

史実のみを見ても家光に仕えながら11年もの空白期間があったり、江戸にいる間も何をしていたのか分からないところが多かったり、十兵衛の最期さえいろんな想像をさせてくれます。

柳生十兵衛の真実を知ることも大事ですが、小説やドラマで十兵衛を楽しむことも歴史を味わうことの一つなんです

あなたももっと十兵衛の魅力を味わってみてくださいね。

  • 柳生十兵衛七番勝負 津本陽

家光の密命を受けた若き十兵衛が諸国をめぐって情勢を探り、悪さをするものあれば、その剣をふるう。剣豪小説の決定版です。

2005年には、村上弘明さん主演でドラマ化されています。

  • 魔界転生 山田風太郎

島原の乱で死んだはずの天草四郎をよみがえらせ、幕府の転覆を狙う徳川頼宜(よりのぶ)を後ろ盾に宮本武蔵や荒木又右衛門、柳生宗矩らを魔界に転生させていく軍師らと対決する柳生十兵衛。

伝奇小説の最高傑作です。

1981年に映画化され、十兵衛を千葉真一さん、天草四郎を沢田研二さんが演じて話題になりました。

その後も舞台や映画でリメイクされています。

  • 柳生一族の陰謀 (映画) 1978年東映 監督深作欣二

当時の時代劇スターが結集した大作。

こちらでも千葉真一さんが十兵衛を演じ、宗矩役の萬屋錦之介さんとの対決シーンは、あまりの迫力に息をするのも忘れるほどでした。

2008年にはドラマとしてリメイクされ、上川隆也さんが十兵衛を演じています。

今の時代では、小説やドラマの中の柳生十兵衛にしか会えませんが、史実の十兵衛も重ねてみるともっと楽しめますよ。

以上「柳生十兵衛の生い立ちと経歴、逸話から見える真実の姿」でした。

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