日本人初の司祭となった山本琢磨はどんな性格や人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

みなさん、山本琢磨(沢辺琢磨)という人物をご存知でしょうか。

実は、2010年放送の大河ドラマ「龍馬伝」のなかでも彼に関するエピソードが登場しています。

また一部では、「もう一人の龍馬」とも呼ばれています。

今回は、山本琢磨について

  • 山本琢磨の生い立ちや家族を紹介
  • 山本琢磨の性格がわかる面白エピソードとは
  • 山本琢磨の人物像が分かる面白い逸話とは

を紹介します。

これを読めば、山本琢磨の生い立ちや家族構成・エピソード・逸話などがわかります。

山本琢磨の波乱に満ちた人生や、彼が「もう一人の龍馬」と呼ばれる理由が分かります。

是非、ご覧ください。

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山本琢磨の性格はどんな人物像?生い立ちやエピソード・逸話が面白い

山本琢磨の生い立ちや家族を紹介

山本琢磨は、江戸末期から大正初期を生きた土佐藩、現在の高知県出身の男性です。

山本琢磨こと後の、沢辺琢磨は、天保6年(1835年)に土佐藩の郷士・山本信道の長男として誕生しました。

郷士とは、江戸時代、武士階級の下層に属した人々のことです。

琢磨の祖父、山本信年の実弟・山本常八郎は同じ土佐藩郷士の坂本家に婿養子として入り、坂本直足と改名しました。

その坂本直足の次男が、かの有名な坂本龍馬です。

また、琢磨の母は龍馬と同時期に活躍した土佐藩士・武市半平太の妻である富子の叔母にあたる人物です。

坂本龍馬のみならず、武市半平太とも親類関係にあるなんて世間は狭いとはよくいったものですね!

山本琢磨の性格がわかる面白エピソードとは

武術に優れていた琢磨は、江戸の三大道場とひとつともいわれた鏡心明智流の桃井道場で一層腕を磨き、師範代を務めるようになるまでになります。

江戸を出て各地を転々、その後、箱館(現・函館市)に落ち着いた

しかしある晩の出来事が、琢磨の人生を大きく左右することになります。

友人と酒を飲んだ帰り道のこと、琢磨はひとつの金時計を拾います。

こともあろうに琢磨は、酔った勢いで一緒にいた友人と共謀し、その時計を勝手に売ってしまいます。

それが行為が不法なものであったことから窮地に追い込まれる琢磨。

起訴を逃れるため、龍馬や半平太の尽力で、江戸を脱出することに成功します。

その後、東北各地を転々とした琢磨はやがて箱館(現・函館市)に落ち着きます。

自身に負があったとはいえ、たった一度の過ちが、こんなにも大きくその後の人生を変えてしまうなんて、運命とは残酷なものだと感じてしまいますね。

新島襄が米国に密航する手助けをした

さて、持ち前の剣の腕が功をなし、それがきっかけで道場を開き町の名士たちと親交をもつようになった琢磨。

そんななかで知り合った箱館神明宮、現在の山上大明神宮司に請われて、娘の婿養子として迎えられ、以後、沢辺琢磨と名乗ることになります。

また、箱館時代の琢磨のエピソードとして、大河ドラマ「八重の桜」で有名な、後に新島八重の夫となる新島襄が米国に密航する手助けをしたと伝えられています。

こんなところで、大河ドラマの登場人物たちが繋がっているなんて歴史って不思議な縁で繋がっているんですね。

日本ハリストス正教会の最初の信者となる

また当時、既に開港していた箱館にはロシアの領事館があり、ロシア正教会のニコライ神父は日本宣教の機会を窺いつつ、日本の研究もしていました。

領事館内の子弟の武術の指南役として領事館に出入りするようになっていた琢磨は、ニコライの日本研究が日本侵略のための情報収集だと疑念を抱くようになります。

そして、ニコライをロシアの密偵だと思うようになった琢磨は、殺害をも辞さぬ覚悟で大刀を腰に、ニコライの元を訪問します。

外国人をうち払い国内に入れないとする、攘夷論者であった琢磨にとってこのように考えることはしかたのないことだったのでしょう。

しかしこの出来事が、自身の生涯に大きな影響を与えることになるなんて、当の琢磨自身も想像だにしていなかたことでしょう。

琢磨の詰問に理路騒然と答えたニコライは、琢磨に対してハリストス正教の教えを説きました。

以後、ニコライの下で教えを学んでいくうちに琢磨はハリストス正教の教えに心服し、刀を捨てる決意をします。

そしてついにまだキリスト教禁制下の慶応4年(1868年)、秘密裡にニコライより洗礼を受けけ、日本ハリストス正教会の最初の信者となりました。

山本数馬の人物像が分かる面白い逸話とは

洗礼を受けた後も琢磨はしばらくの間、神明社宮司の座に留まっていました。

祝詞を漢語訳聖書の聖句に置き換えてカムフラージュを続けていましたが、やがてハリストス正教に改宗したことを公言し、自ら神明社を去ります。

キリスト教禁制下にあり、祭司職という琢磨の立場もあって、琢磨一家に対する迫害は非常に厳しいものでした。

琢磨は、妻子を残し箱館を一時脱出し、布教と捕縛を繰り返す生活を続けていましたが、明治政府により禁教が解かれ晴れて自由の身となりました。

そして以前にも増して伝道に力を入れるのでした。

そしてついに琢磨は、日本人初の司祭となりました。

まとめ:山本琢磨はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

山本琢磨の生い立ちや家族、面白エピソードや逸話について紹介しました。

最後に山本琢磨についてまとめておきますね!

  • 坂本龍馬や武市半平太とは親類関係にあたる
  • 剣術の腕は一流で師範代を務めるほどだった
  • 拾った金時計を売ったことが不法な行為とみなされ、起訴されそうになったところを龍馬や半平太の尽力により江戸を脱出する
  • 箱館神明宮の娘と結婚し、婿養子となり沢辺琢磨と名乗るようになる
  • 新島襄が米国に密航する手助けをしたと伝えられている
  • ニコライ神父をロシアの密偵だと思いこみ、詰問しにいったが、逆にハリストス正教の教ええに心服し、刀を捨て、キリスト教禁制下で日本人ハリストス正教会の初の信者になる
  • 日本人初の司祭となる

自分の撒いた種とはいえ、武士の命ともいえる刀を捨ててまで、一貫して神に貢献する道に身を投じ、福音宣教に生涯を捧げた山本数馬(沢辺琢磨)。

彼が「もう一人の龍馬」といわれる所以はここにあったんですね。

明治45年(1912年)ニコライ大主教が永眠すると、師の後を追うように翌大正2年(1913年)琢磨は、長男で司祭のアレキセイ・沢辺梯太郎神父に看取られながら永眠しました。

山本琢磨の波乱に満ちた人生をもっと知りたい!という人にはこの2作品がオススメです。

  • 大河ドラマ「龍馬伝」(2010年・NHK/演・橋本一郎)
  • 龍馬の夢~北の大地で志を継いだ沢辺琢磨と坂本直寛~・聖書を読んだサムライたち(フォレストブックス/守部喜雅)

ぜひ、山本琢磨(沢辺琢磨)の覚悟と信念を持った人生に想いをはせてみてください。

以上、「山本琢磨の生い立ちや家族、面白エピソード・逸話」でした。

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