松平清康の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

あなたは松平清康という人物をご存知ですか?

松平清康は誰もが知っている有名な戦国武将のお爺ちゃんです。

その戦国武将というのが、天下統一を成し江戸幕府を開いたあの徳川家康です。

徳川家康はもともとは松平元康という名で今川義元の人質にあり、松平氏は今川氏に吸収されていました。

しかし、松平清康の代には三河国(愛知県東部)を統一し、隣国の織田氏や今川氏と戦うなど、松平氏が栄えていた時期がありました。

今回は松平清康について

  • 松平清康の生い立ちとは?
  • 松平清康の経歴や最後は?
  • 【エピソード】松平清康の人柄や性格が分かる逸話

を紹介します。

こちらを読めば松平清康の生涯や性格がわかりますよ。

ぜひ読んでみてください。

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松平清康の生い立ちとは?

松平清康は永正8年(1511年)に

  • 父は松平信忠
  • 母は大河内満成の娘

の嫡男として生まれます。

松平清康が生まれた松平氏は三河松平氏(安祥松平家)とも呼ばれ、松平氏の初代は松平親氏(室町時代初期の人物)と言われています。

その後、三河国で三河守護の一色義貫が8代将軍・足利義政によって暗殺され、三河守護に細川氏が任命されると三河国は内戦状態となります。

この内戦状態の中、松代信光(松平親氏の子または孫)は三河守護・細川氏に味方し、復権を狙う一色氏と戦いました。

その後、松平信光は岡崎城(愛知県岡崎市)や安祥城(愛知県安祥市)を勢力下に置きます。

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そして、松平信光は息子らにそれぞれ領地を与えました。

  • 松平守家 → 長男 竹原松平家
  • 松平親忠 → 三男 安祥松平家 後に松平氏本家となる
  • 松平与副 → 四男 形原松平家 
  • 松平光重 → 五男 大草松平家
  • 松平忠景 → 七男 五井松平家

※他にも松平氏の分家は多々ある

12歳にして家督を継ぐ

松平清康が生まれた家は安祥松平家(三河松平氏)で、安祥松平家の家祖・松平親忠の曾孫にあたります。

松平清康の祖父・松平長親の代までは松平氏は比較的安定しており、駿河国の今川氏親や北条早雲の軍を破ったりもしています。

北条早雲 Wikipediaより

しかし、松平清康の父・松平信忠は家臣ならびに松平氏一門をうまくまとめることができず、家臣と松平氏一門の協議により34歳で隠居し出家します。

家督は、まだ12歳の松平清康が継ぐことになります。

松平清康の生涯や最後は?

~若くして三河国を統一~

大永3年(1523年)、12歳で安祥松平家の当主となった松平清康ですが、当主として祖父・松平長親(出家して道閲と名乗る)の後見の下、若いながらに多くの功績を残していくことになります。

当時の三河国には松平氏以外にも多くの豪族がいました。

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松平清康は三河を統一するため、図に載っている周辺の豪族を勢力下に置こうとします。

大永5年(1525年)、松平清康が14歳の時に北の鈴木氏を攻めて降伏させます。

また、大永6年(1526年)には松平一門で岡崎城を拠点としていた松平昌安(大草松平氏)を降伏させました。

18歳で三河国を統一

松平清康はこの際に新しく岡崎城を築城し、拠点を岡崎城に移します。

また、岡崎城の城下町に寺を建立するなど整備します。

その後は享禄2年(1529年)の間に、東三河の牧野氏・南方の戸田氏・北方の山家三方衆を屈服させます。

これによって松平清康は18歳で三河国を統一しました。

~織田氏との戦いと清康の急死~

三河国を統一した松平清康は、今度は西の織田氏を討つべく尾張国へ侵攻します。

この頃の織田氏の当主は織田信長ではなく、織田信長の父にあたる織田信秀という人物です。

織田といえば織田信長のイメージが強く、父の織田信秀はあまり有名ではありません。

しかし、織田信秀も松平清康のように10代で家督を継いでいて、松平清康のように優れていました。

ちなみに、松平清康と織田信秀は永正8年(1511年)生まれの同い年です。

そんな両者が戦うことになりますが、誰も予想だにしない事件が後に訪れることになります。

松平清康は織田氏と敵対関係にあった美濃国(岐阜県南部)の斎藤道三と手を結び、織田氏を挟撃する形をとったのです。

斎藤道三 Wikipediaより

天文4年(1535年)、松平清康は約1万の兵で尾張に入り、織田信秀の弟・織田信光が籠もっていた守山城を包囲して攻撃します。

しかし、その陣中で松平清康が家臣の阿部正豊に斬られ亡くなってしまいます(森山崩れ)。

この時、松平清康は25歳という若さでした。

~松平清康が殺された理由~

松平清康が暗殺された事件の裏には、松平一門の松平信定の存在があると考えられています。

松平信定は松平清康の叔父にあたる人物ですが、松平清康ら松平本家に恨みを持っていたのではないかと考えられています。

松平信定は、兄の松平信忠がうまくまとめられずに人望がなかったことから、家臣から松平本家の当主になってほしいという要望がありました(生まれは松平信忠と同じ松平本家)。

しかし、松平信定は叔父の松平親房に養子に出され、松平本家を継ぐことが出来なくなります。

これによって松平信定は松平信忠・清康を恨んだと言われています。

そして、松平信定は織田信秀と裏で手を結び、清康暗殺を企てたものだと言われています。

~松平清康が急死した後の松平氏~

松平清康の死によって三河国は大混乱となります(10年以上の内戦期に突入)。

それまで松平家に従っていた豪族らが反旗を翻します。

当主には松平清康の嫡男・松平広忠が家臣に迎える形でなりますが、それでも対立は続き、西からは織田氏が攻めてきました。

そこで、松平広忠は天文16年(1547年)に駿河の戦国大名・今川義元に助けを求めることになりますが、この時に6歳の竹千代(後の徳川家康)が今川氏の人質となります。

ところが、松平広忠も天文18年(1549年)に謎の死を迎え、松平氏は今川氏に吸収されてしまいます。

この後、再び松平氏が徳川家康のもとで再興し世に出てくるのは、松平清康の死から25年後のことになります。

【エピソード】松平清康の人柄や性格が分かる逸話

松平清康に関するエピソードは、清康が若くして亡くなったことから、多くは残っていません。

ただ、江戸時代に書かれた『常山紀談』や『三河物語』には、若いながら慈悲深く誰にも分け隔てなく接したと言われていて、多くの人から慕われていたというふうに書かれています。

松平清康は、ここまで書いてきたように、武勇に優れているとともに内政もでき、さらには慈悲深いという完璧な人物だったように見えます。

もし、松平清康が暗殺されていなかったら、織田信長は世に出ていなかったかもしれません。

まとめ 松平清康はどんな人?大河ドラマや映画はある?

ここまで松平清康について紹介してきました。

まとめてみると

  • 松平清康は徳川家康の祖父だった
  • 松平清康は12歳で家督を継いだ
  • 松平清康は18歳で三河国を統一した
  • 松平清康は25歳での若さで亡くなった
  • 松平清康は軍事だけでなく内政にも優れていた

松平清康が登場する大河ドラマや映画は残念ながらありません。

ただ、隣国の織田信秀や今川氏親、そして斎藤道三といった人物を主役にしたドラマなら、少しだけ出番が回ってくるかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

以上、「松平清康の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い」でした。

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