黒田官兵衛の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い

黒田官兵衛という武将をご存知でしょうか。

2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』で岡田准一さんが演じていました。

黒田官兵衛は豊臣秀吉を軍師として補佐し天下統一の夢を果たしました。

今回は黒田官兵衛について

  • 黒田官兵衛の生い立ちとは?
  • 黒田官兵衛の経歴や最後は?
  • 【エピソード】黒田官兵衛の人柄や性格が分かる逸話

を紹介します。

こちらを読めば黒田官兵衛の経歴や性格がわかりますよ。

ぜひ読んでみてください。

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黒田官兵衛の生い立ちとは?

天文15年(1546年)に姫路城代・黒田職隆(もとたか)の嫡男として播磨国(兵庫県)の姫路に生まれます。

幼名は万吉です。後に孝高と名を変えます。

官兵衛は通称です。

永禄2年(1559年)の時に母を亡くしてしまいます。

永禄4年(1561年)、若いながら才能を見込まれ、主君・小寺政職の近習(側に仕える)となり、翌年には初陣を飾ります。

黒田官兵衛の経歴や最後は?

永禄10年(1567年)頃に父・職隆から家督を受け継ぎ黒田家の当主となります。

また、櫛橋伊定(くちはしこれさだ)の娘を正室に迎えます。

永禄11年(1568年)、長男・松寿丸(後の黒田長政)が誕生します。

また、この年には織田信長が足利義昭を奉じて京に上洛します。

永禄12年(1569年)、織田信長による西への進軍によって黒田家にも影響が及びます。

黒田官兵衛の姫路城には、足利義昭(織田信長の傀儡)と友好関係を結んだ播磨国龍野城主・赤松政秀が攻めてきます。

黒田軍は300人の兵で奇襲攻撃をし赤松勢を2度も撃退します(青山・土器山城の戦い)。

元亀4年(1573年)、武田信玄が病になったことから武田家が弱体化すると織田信長はされに勢力を広げ、9月には足利義昭を追放します。

織田信長は中国地方へ羽柴秀吉を送ります。

黒田官兵衛は主君・小寺政職に羽柴秀吉への追従を進言します。

ここで黒田官兵衛は羽柴秀吉に気に入られ軍師となります。

天正3年(1575年)、織田信長が長篠の戦いで武田軍を破ったことを聞いた黒田官兵衛は主君・小寺政職に織田信長への臣従を進言し、羽柴秀吉の取り次ぎによって別所氏らとともに岐阜城で織田信長に謁見します。

天正5年(1577年)5月、毛利家家臣の浦宗勝が同盟を結んだ播磨の三木通秋の所領・英賀(あが、兵庫県姫路市飾磨区にある地名)に約5000の兵を進めてきます。

黒田官兵衛は約500の兵で奇襲し撃退します(英賀合戦)。

この合戦の後に織田家への忠誠の証として長男の松寿丸を人質として送ります。

同年10月、黒田官兵衛は羽柴秀吉とともに毛利家の属していた赤松氏が籠もる上月城を攻めで先鋒として活躍します(第一次上月城)。

天正6年(1578年)3月、別所氏が播磨国の豪族のほとんどを取り囲んで反旗を翻します(三木合戦)。

 

同年4月には宇喜多直家が別府(べふ、兵庫県加古川市別府)の阿閉城へ攻めてくると、黒田官兵衛は約1000人の兵で救援しに行き退けます。

同年9月中国地方を中心に織田家と毛利家の間で調略戦が激しくなる中、黒田官兵衛は宇喜多直家を調略します。

同年10月になると織田信長から有岡城を任されていた荒木村重が反乱を起こします(有岡城の戦い)。

また、主君・小寺政職も毛利家と通じます。

黒田官兵衛は羽柴秀吉の使いとして荒木村重を説得しに行きますが拘束され牢に入れられます。

天正7年(1579年)10月、織田勢の前に有岡城は開城します。

幽閉されていた黒田官兵衛は家臣の栗山利安に救出されます。

約1年の幽閉であったため片足が悪くなり足を引きずる生活になったといわれています。

天正8年(1580年)、主君・小寺政職が織田信忠(信長の嫡男)によって討伐され御着城から逃げたため大名小寺氏は滅びます。

黒田官兵衛は正式に織田家家臣となり羽柴秀吉に仕えます。

この頃から黒田を名乗ります(以前までは小寺孝高)。

天正9年(1581年)、羽柴秀吉による鳥取攻め(第二次鳥取城攻め)に参戦し兵糧攻めを行いわずか3ヶ月ほどで降伏させます。

天正10年(1582年)、毛利家家臣の清水宗治が籠もる備中高松城を攻めます。

備中高松城は周辺を沼地に囲まれていたため難攻不落でした。

そこで黒田官兵衛は水攻めを決行し梅雨であったことから城は水で溢れます。

ところがは備中高松城を攻めている最中に織田信長が明智光秀の謀反によって亡くなります。

黒田官兵衛は羽柴秀吉に毛利家と和睦することを提案し見事に実現させました。

天正11年(1583年)、柴田勝家との賤ヶ岳の戦いでは敵の猛攻を受ける中、何とか守り抜きます。

また、この年にはキリスト教の洗礼を受けます。

天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いの際には毛利氏や宇喜多氏と交渉し羽柴秀吉の配下にします。

天正13年(1585年)、四国攻めでは宇喜多軍の軍監(軍事のトップ)として参戦し諸城を落とします。

天正14年(1586年)、九州征伐でも毛利軍などの軍監として指揮をし豊前国の諸城を攻略します。

翌年には島津義久と根白坂で戦い勝利します(島津家降伏)。

天正15年(1587年)には豊前国12万石を与えられます。

天正17年(1589年)、家督を嫡男・黒田長政に譲りますが、豊臣秀吉の側近として働きます。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐では小田原城に赴き無血開城させました。

文禄元年(1592年)、文禄の役(朝鮮出兵)では加藤清正らとうまく行かず指揮がとれなかったことや石田三成と対立し無断で帰国します。

また、豊臣秀吉とも関係が悪くなり無断で出家して「如水軒円清」と号します。

如水とは水の如しという意味で今までの功績が水の泡となったことを指します。

豊臣秀吉からは隠居を許されるが仕えるようにと命令されます。

慶長2年(1597年)、慶長の役(朝鮮出兵)では息子・黒田長政が留守にしていた梁山城が敵の攻撃を受けますが、わずか1500の兵で救援したといわれています。

慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が亡くなると翌年に徳川方につきます。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、豊前国中津にいた黒田官兵衛は九州統一に動きます。

  • 9月13日  石垣原の戦いで大友軍に勝利
  • 9月19日  西軍敗北の知らせを受ける
  • 10月4日  臼杵城の太田一吉を降伏させる
  • 10月25日 柳川城の立花宗茂を降伏させる

11月に入ると九州最大勢力の島津氏の討伐を開始しますが、島津氏と徳川家康が講和したため軍を退きます。

関ヶ原の戦いの後に息子・黒田長政が筑前国(福岡県)52万石に移封となり、黒田官兵衛も筑前国へ移ります。

慶長9年(1604年)、京都の伏見藩の邸で亡くなります。享年59でした。

【エピソード】黒田官兵衛の人柄や性格が分かる逸話

黒田官兵衛のエピソード1.母の死

黒田官兵衛(当時は万吉)は7歳のときに寺に入り学問を受け始め、年長者と一緒に学び始めると漢文などを読み学問に励みます。

また、成長していくにつれて武術も鍛錬していきます。

しかし、14歳の時に母を亡くすと部屋に引き籠もってしまいます。

万吉は母の死を悼む歌を詠んだり和歌集を読みふけったりしてどんどん悲しみを深めていってしまいます。

この状況を見ていた坊主の円満から「ずっと悲しむことを母はお望みか?」と問いかけられた万吉は、次第に心を入れ替えていき兵書を読んだり武術を鍛えたりしていき、母の願いであった強い武人へと歩んでいきます。

黒田官兵衛のエピソード2.元服と同時に大出世

永禄4年(1561年)に元服を迎えた万吉は名を孝高と改めます。

当時、黒田家は小寺家の一家臣に過ぎませんでした。

ある日、主君の小寺政職が鷹狩りから帰ってくる際に黒田家が城主を任されていた姫路城に立ち寄ってきます。

父・黒田職隆が接待をしている間に、孝高は御膳を運んでいました。

この時のきびきびした行動に目をつけた小寺政職から「仕えないか?」と言われ、孝高は近習として仕え始めます。

黒田官兵衛のエピソード3.実は野心家だった

黒田官兵衛は豊臣秀吉の家臣として仕えていましたが、豊臣秀吉が亡くなると九州平定に動きます。

もともと黒田官兵衛は播磨国を治めていましたが、豊臣秀吉の命令によって九州に移動させられます。

これには豊臣秀吉が黒田官兵衛を恐れていたという説があります。

黒田官兵衛は関ヶ原の戦いが起こると東軍方として九州の西軍方を攻撃しますが、本当は両軍の力を衰えさせることを考えていたとも言われています。

しかし、これらの話は後世に書かれた書物(『黒田家譜』など)に書かれているため実際のところはわかりません。

ですが、史実として九州の諸勢力を攻撃し数々の城を落としていたのは確かです。

まとめ 黒田官兵衛はどんな人?大河ドラマや映画はある?

ここまで黒田官兵衛について紹介してきましたがいかがでしたか。

まとめてみると

  • 黒田官兵衛は母の死によって文武両道の道を歩んでいった
  • 黒田官兵衛は元服と同時に近習となった
  • 黒田官兵衛は豊臣秀吉の軍師として補佐した
  • 黒田官兵衛は野心家だった?

大河ドラマでは2014年に放送された『軍師官兵衛』があります(岡田准一さん)。

テレビドラマでは2011年の『戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち』があります(高橋克典さん)。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

以上、「黒田官兵衛の性格と経歴はどんな人?生い立ちやエピソードが面白い」でした。

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