あなたは伊達政宗を支えた片倉小十郎という人物をご存知でしょうか。
ゲームやアニメなどには、伊達政宗を献身的に支えるキャラクターとして多く登場しています。
現在放送中のアニメ「学園BASARA」にも伊達政宗を支えるキャラクターとして登場しています。
では片倉小十郎とは一体どのように伊達政宗を支えていた人物であったのでしょうか。
今回は片倉小十郎の
- 生い立ち
- 経歴
- 性格
- エピソード
をご紹介いたします。
これを読めば片倉小十郎の生い立ちや経歴、性格、エピソードを知ることができますよ。
2年1組
片倉小十郎
CV.森川智之得意科目:家庭科
苦手科目:化学https://t.co/Wf05VnPbaK#学園BASARA #学バサ pic.twitter.com/kNfxqoo2MX— アニメ『学園BASARA』公式 (@gakuen_basara) 2018年5月18日
【実在】片倉小十郎の生い立ちとは?
片倉小十郎は現在は弘治3年(1557年)、千葉県市川市八幡八幡宮の神職・片倉景重と本沢刑部真直の娘の次男として誕生しました。
- 神主をしていた父・片倉景重は神主のまま伊達輝宗に仕えていたと考えられています。
- 片倉小十郎という名前の他に、片倉景綱と呼ばれていました。
- 小十郎という名前は、母方の一族の武勇の士・飯田小十郎にちなんでつけられたとされています。
小十郎(景綱)は幼いころに両親を亡くしました。
その代わりとなったのが20歳離れた異父姉・喜多です。
異父姉・喜多は母のように小十郎を育てましたが、小十郎は親戚の藤田家に養子に出されることとなるも、その藤田家に男子が誕生したため、再び異父姉・喜多のもとに戻ってくることとなります。
再び、ともに暮らし始めた異父姉・喜多は兵書を好んで読んでいたため、幼い小十郎に講じていたとされています。
永禄10年(1567年)父・片倉景重の代から仕えていた主君・伊達輝宗に嫡子となる伊達政宗が誕生します。
この際、異父姉・喜多が政宗の乳母として任命されました。
天正年間初め頃、伊達家の城下で火事があった際、自ら火消し役を買って出た小十郎の活躍が主君・伊達輝宗の目に留まると、小十郎は政宗の小姓として仕えるよう命じられます。
片倉小十郎の経歴。最後や死因は?
こうして天正3年(1575年)、小十郎は政宗の近侍となりました。
この時、小十郎は18歳、政宗は8歳です。
天正10年(1582年)伊達輝宗が以前から対立関係であった相馬氏を侵攻した際、小十郎は陸奥国の蘆名盛隆から援軍を呼びよせることに成功します。
天正12年(1584年)12月25日、正室であった矢内重定の娘との間に、嫡男・重長が誕生しました。
その後、
- 天正13年(1585年)人取橋の戦い
- 天正16年(1588年)郡山合戦
- 天正17年(1589年)摺上原の戦い
- 天正18年(1590年)小田原征伐
- 文禄2年(1593年)文禄・慶長の役
- 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い
などの戦には、政宗とともに参加します。
天正18年(1590年)の後北条氏の討伐である小田原征伐の際、主君・政宗は父・伊達輝宗の代から後北条氏と交流関係があったため参戦することを迷っていました。
しかし、小十郎が主君・政宗を説得し、小田原征伐に参戦させたとされています。
小十郎は戦に参加しただけではなく主君・政宗から信頼されていたため
- 安達郡二本松城在番
- 信夫郡大森城主
- 佐沼城主
- 亘理城主
などの城代を任されました。
小十郎は主に伊達氏の対外交渉を担当し、そのため主君・伊達政宗が出した多くの外交文章には、その旨を記した小十郎、直筆の副状が添えられています。
慶長7年(1602年)関ヶ原の戦いの後、主君・伊達政宗が仙台藩主となると白石城1万3000石を与えられましたが、病を患っていたため療養し、慶長10年(1605)に白石に移りました。
慶長19年(1614年)から始まった大阪の陣には病気で療養していたため、政宗とともに参加することができず、代わりに嫡男・重綱を大坂の陣に送り出しました。
その後も、病は回復することなく元和元年(1615年)59歳で亡くなります。
- 『伊達家世臣家譜』に残された小十郎の病の症状から、糖尿病を患っていたと推測されています。
- 小十郎亡き後、小十郎の死を悲しんだ家臣6人が後を追って殉職しました。
小十郎が家臣から慕われていたことが分かりますね。
その後、「小十郎」という名前を小十郎の息子・重長も名乗るようになり、代々の当主が踏襲して「小十郎」を名乗るようになりました。
【エピソード】片倉小十郎の人柄や性格が分かる逸話
伊達政宗は天然痘を幼いころに患っており、右目は失明し白濁して見開いていたとされています。
- そのため、その右目のコンプレックスからかなりの人見知りでした。
- そんな政宗の小姓になったのが小十郎でした。
- 小十郎は政宗とは10歳離れており、内気で人見知りな政宗を前向きにさせたのが小十郎とされています。
- また剣術に長けていた小十郎は政宗に剣術指南などを行っていました。
- 幼い政宗にとって10歳も離れた小十郎は小姓でありながらも兄のような存在であったのではないでしょうか。
その後も、政宗からは重用されるようになり、生涯の多くを政宗と過ごした小十郎でしたので、政宗を思う気持ちは誰よりも強い人物でした。
政宗を思う小十郎のこのような逸話が残されています
- 政宗よりも早く自身の正室に子供ができた際、政宗に未だ子供がいなかったため、主君よりも早く子供を持つことは、申し訳ない。もし生まれてきた子供が男子なら子供は殺害しよう。と決意しています。
- 政宗と小十郎は10歳も離れており、小十郎が先に子供を持つことは当たり前なのですが、政宗を思うあまり、このような恐ろしい考えに至りました。
- そのことを知った政宗は、慌てて小十郎を説得したため、小十郎は子供を殺すことはありませんでした。
- また、天下人、豊臣秀吉は小十郎の知才に惚れ、自らの家臣にならないか。と誘いを受けましたが、小十郎は政宗への忠義を選び、秀吉からの誘いを断りました。
このような逸話から小十郎は生涯を政宗に捧げた人物であったことが分かります。
まとめ 片倉小十郎はどんな人?basaraよりかっこいい?
片倉小十郎の生い立ち、経歴、性格、エピソードをご紹介いたしました。
簡単にまとめると
- 神主の父から誕生する
- 姉に育てられる
- 伊達政宗の小姓となった
- 生涯を政宗に捧げた
- 糖尿病で亡くなった
片倉小十郎は伊達政宗に生涯を捧げた人物であることが分かりました。
片倉小十郎の子孫は代々と続き、明治まで11代にわたって白石の地を収めたとされています。
そんな片倉小十郎は現在放送されているアニメ「学園BASARA」に登場しています。
この作品はアニメ「戦国BASARA」を元ネタとした学園パロディなのですが、このアニメの中でも、伊達政宗を支えており、声優の森川智之さんが小十郎の声を担当されています。
「学園BASARA」にはかっこいいクールなキャラクターとして登場していますが、残念ながら、実際に小十郎がイケメンであったという史実は残されていませんでした。
これを機に、片倉小十郎に興味を持った方は
- アニメ「学園BASARA」
を見てみてください。
以上「片倉小十郎の性格と実在の経歴、生い立ちやエピソード」のご紹介でした。
コメント