細川ガラシャとはどんな人? なにをした人物なの?
細川ガラシャの名前を一度は耳にしたことがあるという方は多いのではないでしょうか。
細川ガラシャは本能寺の変をおこした明智光秀の娘です。
そんな細川ガラシャを大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」では女優のミムラさんが演じました。
あまり知られていない細川ガラシャですが、いったいどのような性格の持ち主でどのような生涯を送っていたのでしょうか。
そこで細川ガラシャについて調べてみることにしました。
調べてみると細川ガラシャは悲しい人生を送った女性であることが分かりました。
そんな細川ガラシャについてご説明いたします。
細川ガラシャはどんな人物?生い立ちとは?
細川ガラシャは明智光秀の三女として越前国で誕生しました。
周囲からは美人と褒められるほどの容姿の持ち主であり、戦国一の美女であったともされています。
そんな細川ガラシャは15歳になると父の明智光秀と交流のあった細川藤孝の嫡男、細川忠興のもとに嫁ぎます。
嫁いでから、4年後のことです。父の明智光秀が本能寺の変で織田信長を討ち取ります。
謀反者とされた明智光秀の娘であったため、細川ガラシャは幽閉されることとなりました。
幽閉生活が2年過ぎ大阪に戻ることができた細川ガラシャはキリシタン大名である高山右近からカトリックの教えを聞くと、カトリックに惹かれ洗礼を受けここでガラシャと名乗ることとなります。
当時はキリスト教の教えを広めることは豊臣秀吉によって禁止されていたため細川ガラシャはキリシタンであることを隠しながら生活をしてました。
1600年にかの有名な関ヶ原の戦いがおきると細川屋敷にいた細川ガラシャは敵将の石田三成に人質にとられそうになります。
しかし、細川ガラシャはそれを拒み屋敷にいる侍女たちを逃がした後、キリスト教では、自殺行為は禁じられているため自らを家臣の小笠原秀清に殺害するように頼み、細川ガラシャは38年の生涯を閉じました。
細川ガラシャの性格とは?
細川ガラシャの性格についてですが、『細川記』には、細川ガラシャが夫の細川忠興が家臣を手打ちにし、細川ガラシャの小袖で刀についた血を拭いた際、彼女は動じる様子もなく、その着物を何日も着続けたと記されています。
また細川ガラシャは、もしなにかあった際、甲冑を被り馬に乗り敵に向かっても私は男に劣ることはないと言った記述も残されています。
こうした記述から細川ガラシャは男勝りで勝気な性格の持ち主であったのではないでしょうか。
そしてキリストの教えを熱心に勉強していたとされ、キリストの宣教師は彼女を明晰かつ果敢な判断のできる日本女性と評価しました。細川ガラシャは本当に熱心なキリストの信者だったのですね。
細川ガラシャの最期の絶句とは?
細川ガラシャは最後の絶句として
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
と残しました。
花も散り時を心得ているから美しいのであって、花には花の美しさ、人には人の美しさがある。
といった意味が込められました。
キリシタンであったため最期は家臣に自らを殺害させるといった壮絶な人生を送った細川ガラシャらしい最期の絶句が残されたようです。
まとめ 細川ガラシャの性格と生い立ちは?美人で最期の辞世の句がスゴすぎた!
細川ガラシャの性格と生い立ちについて調べてみました。
まとめると細川ガラシャは
- 明智光秀の娘で、細川忠興のもとに嫁いぎ高山右近からキリストの教えを聞き、洗礼を受けガラシャと名乗った
- 戦国一の美女とされながらも勝気で男勝りな性格だった
- 最期はキリスト教の教えを守り家臣に殺害させた
調べてみると、細川ガラシャの壮絶な人生が分かりました。
戦国一とされた細川ガラシャはいったいどれほどの美人であったのでしょうか、気になりますね。
これを機に、大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」を見返してみてはいかがでしょうか。
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